3月8日は、女性の功績を称え、ジェンダー平等を促進するための行動を起こす国際女性デーである。ジェンダー平等という言葉はこれまで以上に頻繁に聞かれるようになったが、真のジェンダー平等は「すべての」女性のためにこそ実現されるものである。マイノリティの女性こそ、その声がより封じられ、権利がより制限されている。
102年前の1922年3月3日、人間としての尊厳を否定されてきた被差別部落民の解放を宣言して、全国水平社が創設された。翌年には婦人水平社が設立され、1924年6月から10月まで、水平新聞の婦人欄に部落の女性たちが記事を書いた。その第3号と第5号には、部落出身のケイという女性が記事を寄稿している。第3号でケイは部落女性としての生きづらさを次のように語っている²。
…部落婦人の立場を考えずに新聞で或は雑誌で、部落民内外の男女の方から、私共姉妹に自覚を促されるのを度々見受けますが、誠に不愉快でなりませぬ。例えそれがどれだけご理解された人々にもせよ、今迄の立場から直接の迫害を加えなくても間接にもせよ、私共を苦しめていた側の人である以上、どうして私共のこの苦しみを知ることが出来ましょう。…(『水平新聞』第3号、1924年8月20日)
この文章は、ジェンダーと部落差別が交錯していることを端的に示している。被差別部落民は、職業、居住地などさまざまな領域で差別されていた。さらに、男尊女卑の家父長制的な考え方が、女性をより厳しい境遇に追い込んだ。したがって、被差別部落民であり女性であるという両面において、より大きな疎外を経験したのは部落女性たちであった。
しかし、部落の女性たちが声をあげ、自分たちの置かれた状況を「二重、三重の抑圧」と表現したことは注目に値する。前述の寄稿もそのひとつである。このような差別は人間が生み出したものである。それゆえ、深く根付いたジェンダー規範や慣習に抵抗しながら、彼女たちは自ら声をあげ、社会を変えるために行動を起こした。
部落問題もジェンダー問題も、現代の日本に今もある。2016年、女性差別撤廃委員会(CEDAW)³ は、日本には部落を含むマイノリティ集団の女性に対する差別が交差していると指摘した。しかし、交差する差別をめぐる議論は十分ではないように思われる。交差性には、人種、民族、年齢、国籍、ジェンダー、移民の地位など、さまざまな根拠となるアイデンティティが関わる。交差性の認識は、自分自身が持つ複数のアイデンティティに気づくため、そして多様な世界を実現するために必要である。
そのためには、マイノリティ女性の声に耳を傾け、彼女たちとともに問題に取り組む必要がある。
** IMADR English website にも掲載➟英文記事
¹ 本記事で使用したすべての写真は以下を引用:
「写真記録:部落解放運動し-全国水平社創立100年」部落解放同盟中央本部編、部落解放出版社。
² 宮前千雅子「不可視化に抗するー100年前の部落女性は何を伝えようとしたか①」IMADR通信211号(2022年8月)より。
参考にした関連記事:宮前千雅子 同シリーズ② 212号(2022年12月)、宮前千雅子 同シリーズ③ 213号(2023年2月)
³ CEDAW/C/JPN/CO/7-8