2015年4月25日に起きたマグニチュード7.8の大地震は、広範囲にわたり壊滅的な被害をもたらしました。5月4日現在、死者は7,400人、負傷者は14,000人、食料支援が必要な被災者は300万人にのぼります。交通手段や通信手段も深刻な打撃を受けており、未だ被害の実態は把握できていません。そんな中、自らもテントに避難をしていたFEDO代表のドゥルガ・ソブおよびスタッフより、緊急支援の様子を伝える第一報が届きました。
政府の救援が遅れているため、多くの被災者は地元の役場に行き、テントや食料・水などを提供するよう訴えています。FEDOは、4月29日より被害実態の調査と救援活動を始めました。
最初に、カトマンドゥから約15キロ離れたゴダワリ村に行きました。ここでは36世帯が家を失いましたが、役所はその内、近場にある4世帯にしか救援物資を配りませんでした。人びとの訴えを聞いて、私たちはすぐに役所と掛け合い、残る32世帯にもテント、食料、衣類を配るよう申し出ました。
その後、カトマンドゥのゴンガブ・バス駅から7キロ離れた所にあるサングラ村とプトゥン村に行きました。サングラ村では7人が死亡、45世帯のうち41世帯が家を失いました。プトゥン村では22世帯のうち12世帯が家を失いました。私たちが行くまで、どこからも救援物資は届いておらず、村人たちはテントもないまま戸外で避難生活をしています。
「すべて失くした」、壊れた家の瓦礫の山を見ながら、サングラ村のラメッシュ・マン・シン・クンワルさん(55歳)は言いました。さっそく持って行ったテント、マット、食料、薬を渡しました。見捨てられたのではないかという絶望に似た気持ちの中、私たちの訪問は希望の灯をともしたようです。「役所や外の人たちにこの状況を伝えてください」「お礼の言葉が見つかりません」、ラメッシュさんはそう述べました。
カンチ・スナルさん(80歳)はサングラ村でも人里離れた所に住んでいます。家は全壊し、同じダリットの3家族と共に戸外に避難をしています。「地震以来、何も食べていません。孫たちはお腹がすいたと言って泣きます。どうすればよいのか、一体どうなっているのか・・・」、スナルさんは涙を流しながら訴えました。「贅沢は言いません、雨露をしのげるテントと食べ物さえあれば助かります。役所からは誰も来ません。私たちは貧しいダリットです。だから何ももらえないのかもしれません。お願いします、どうぞ助けてください」。私たちは被災家族に、テント、マット、食料、薬を提供しました。「ありがとうございます!ご恩は一生忘れません」、人びとから感謝の言葉をいただきました。
その他、地震で45歳の息子を失くしたマイラ・
プトゥワルさん(67歳)にマットと薬を渡し、家族を失った3世帯にマット、テント、薬を渡しました。
プトゥン村に住むツゥリ・アクハミさん(100歳)は長年喘息を患っています。大きな余震が来るという噂に、家族の身をあんじています。FEDOの救援活動に感謝してくださいました。
写真:救援物資を詰めるFEDOスタッフ(右から2人目がドゥルガ・ソブ)
写真:サングラ村で被災者の話を聞くFEDOスタッフ
1. 被災の実態調査:
カトマンドゥ周辺、ポカラ周辺および地震に見舞われた農村部にあるダリットや先住民族などのコミュニティの被害実態を調査し、必要とされるものを把握し、行政交渉、救援物資提供、医療チームの手配などを通してニーズにこたえる。
2.救援物資の提供:
食糧: 米、豆、砂糖、ドライフード(乾パンや乾麺)、食用油等
医薬品: 解熱鎮痛剤、バンドエイド、消毒薬、抗生物質、衛生ナプキン等
その他: テント、マット、衣類等
3.注意喚起と医療カウンセリング:
保健衛生面、特に伝染病の予防のための注意喚起
医療従事者による巡回医療
トラウマなど生存者の精神面でのカウンセリング
<翻訳:反差別国際運動日本委員会>
FEDOが引続きこれらの救援活動を実施するためには支援が必要です。
是非ご協力くださいますようよろしくお願いいたします。
ネパール地震 緊急カンパのお願い