「ジェンダー平等」という言葉を今まで以上によく耳にするようになりました。しかし、真のジェンダー平等は「すべて」の女性にとって平等になった際にのみ実現されます。なぜなら、人は複数のアイデンティティを持っていて、「女性」と一言でまとめることはできないからです。同様にマイノリティ女性たちも、単にマイノリティ女性と一言で片づけることはできません。そこには違いや多様性があり、様々な側面を持っています。複数のアイデンティティを持つ人々がともに暮らせる社会を実現するためには、マイノリティ女性と呼ばれる個々人の声を議論の中心に置き、ジェンダー平等のために闘うことが必要です。そのためには、交差性差別や抑圧を経験した人々の声を中心に据えた、インターセクショナル・フェミニズム¹が必要であると考えます。
本連載の目的は、マイノリティ女性たちの声を取り上げ、不平等の程度、アイデンティティが特定の文脈でどのように交差しているのか、そして、「マイノリティ女性」という状況やレッテル貼り、分類化にどのように抵抗しているのか明らかにすることです。また、彼女たちの声を広め、「マイノリティ女性」とカテゴライズされない人々が、真のジェンダー平等やより包括的な社会を目指してともに活動し、連帯感やつながりを築くきっかけになることも目指しています。
第1弾としてお話を伺ったのは、在日本朝鮮人人権協会で活動する 朴金優綺 (박김우기/ ぱくきむ・うぎ) さん。在日朝鮮人とは、日本の植民地支配のなか移住あるいは強制的に連れてこられ、さまざまな理由で日本に残留せざるをえなかった人びとおよびその子孫です。朴金さんは在日朝鮮人3世にあたります。
敗戦直後からずっと朝鮮学校があり、2022年末において、4,706人の韓国・朝鮮籍の方々が暮らしている岡山県²。そんな岡山県で生まれ、小中学生時代を過ごした朴金さん。
「良かったことは、初級部(小学校)1年生の頃から朝鮮学校に通ったことだと思います。入学式の時は初めて朝鮮の名前で呼ばれたりして驚きましたが、朝鮮人というアイデンティティを自分の中で違和感なく育めました。このことがいかに大切なことなのかは、在日朝鮮人への社会的差別やヘイトスピーチなどの問題に取り組むにつれ、さらに強く実感しますね。というのも、日本の学校で教育を受けた在日朝鮮人の友だちや先輩に聞くと、排外的な空気の中でとても苦しい思いをしたとおっしゃる人が多いです。私自身は、学校教育の中では朝鮮人であることを理由とする疎外感をまったく感じなかったので、それは今振り返ると本当に幸せであったと思います。」
「でも、逆に朝鮮学校に通っていたからこそ感じた疎外感というものはありました。例えば中学2,3年生の時にチマチョゴリ(民族服)の制服を着て自転車通学していたのですが、あと10分くらいで学校に着くというときに信号待ちをしていたら、ものすごい強い視線を横から感じて、なんだろうと思ってパっと見たら、(当時の記憶では)50代~60代くらいの日本人女性にみえる人が私のことを睨んでいました。すごく怖くて。あれほどの憎しみを込めたまなざしを人から受けたことは後にも先にもなかったです。」
「そのあと先生にその経験を話したら、少年の主張コンクールにその体験や感じたことを書いて出してみてはどうかと提案され、書きました。自分は何も悪いことをしていないのに、なんであんなに怖いまなざしを向けられたんだろう?チマチョゴリを着ていたからかな?ということは、私が朝鮮人だからかな?という風に考えました。その時初めて、自分とは何者か、どういう風に見られているのかについて考えました。」
「違和感というか、何度か ”在日朝鮮人”の意味については考えてきたと思います。先ほども言ったように、朝鮮学校の教育の中で在日朝鮮人というアイデンティティを育むことができたので、自分のアイデンティティはすんなり受け入れることができました。ですので、もう少し広く、在日朝鮮人や日本人といった、民族に基づくカテゴリーやアイデンティティについて考えたのは次の段階ですね。例えば、日本人の友だちと歴史認識について話しているときに、自分は戦争を経験しなかったから日本の戦争責任は関係ない、日本軍性奴隷制問題についても様々な見方があるから一概にいえない、自分は日本人というより地球人なんだといった話をされて、議論が対立したことを覚えています。私自身は、それぞれの民族的な立場に自覚的になって、主体的に歴史に向き合うことが大事だと思っています。」
「部落女性やアイヌ女性もそうだと思いますが、在日朝鮮人に関しても、’女性’といわれる人の中でも、居住地の違いや、どの学校に通ったかなど、さまざまな違いがあるなと感じています。他のマイノリティ女性たちと共有できることもたくさんあるし、あるいは異なることもたくさんあります。ですが、もとをたどっていくと、アイヌも沖縄の女性も在日朝鮮人も、日本の帝国主義、植民地主義の暴力のなかで、民族的な側面においてもジェンダー的な側面においても被害を受けてきたという共通性があると思います。そうしたなかで、(他のマイノリティ女性に)会うとすごくうれしいし、一緒に頑張ろうという風に思います。」
現在では、朝鮮大学校でジェンダー論なども教えている朴金さん。
「きっかけは、日本軍性奴隷制問題(日本軍「慰安婦」問題)ですね。大学3年生のときに、歴史認識が日本人の友だちと違うなと驚いたのと、自分自身がこの問題について無知であることを痛感しました。このままではいけないと思い、日本軍性奴隷制問題に関する研究をするために大学院に進学し、研究において不可欠な概念であるジェンダー概念について学びました。もっとも、ジェンダーの問題を身をもって感じ始めたのは、働き始めてからだと思います。いろんな人たちと関わり合う中で、学ぶことも多かった反面、若い女性に対するジェンダー規範に基づく態度や行動に疑問を持つこともありました。自分だけでなく、在日朝鮮人女性の友人や先輩、後輩が自分と似たようなつらい思いをたくさんしていて。そうした頃、自分の周りにいる関心がある人たちに声をかけて、ジェンダーについて学ぶ勉強会も持ち始めました。ジェンダーの問題については、そのように体感的に出会って理解してきています。」
そもそも人権に目覚めたきっかけは?
「きっかけは大きく分けて2つあります。1つ目は学生の時に行った国連人権理事会での経験です。そこで日本における在日朝鮮人の状況について発言する機会をいただきました。報告後、様々な国からきているNGOの人たちが、私の発言や活動を応援してくれてうれしかったのを覚えています。また、その時、同じ理事会の場で発言した日本政府の官僚の言い分が、とても不合理で腹が立ったのも覚えています。2つ目は、2009年12月に京都の朝鮮初級学校で起こったヘイトスピーチ、ヘイトデモです。その前年 (2008年)に私も朝鮮大学で学生として同じような襲撃を受けました。その時はすごく怖くて、本当にとても怖くて、 心臓バクバクで、どうしようかな、ほんとにこの人たちが学内に入ってきたらどうしようって、20代の私でも思いました。なのに、それを6歳や7歳の生徒たち、また幼稚園児も同じ目にあったかと思うと、もう本当に、本当に無力感。朝鮮学校の後輩たちに同じ経験をさせてしまったという無力感がありました。その時(2009年当時)は一介の大学院生で、できることがあまりなく、大学院の友人や先生たちに署名の拡散をしたりするだけで、恥ずかしくもどかしい気持ちでした。このような経験を経て、在日朝鮮人の人権問題に取り組んでいる在日本朝鮮人人権協会で働くことで在日朝鮮人の人権状況の改善に積極的に力を尽くしたいと思うようになり、同団体で働くことを希望した次第です。」
高校無償化制度から朝鮮学校が除外されていることに抗議し、毎週金曜午後16時から17時に開催される「金曜行動」が昨年 (2023年) 12月15日で通算500回目を迎えました。それでもなお、「基準に適合しない」との姿勢を示す日本政府³。現在でも様々な問題が残っています。
「在日朝鮮人という存在を知ってもらうことが一番だと思います。朝鮮半島が世界で唯一残る分断国家と言われているなかで、在日朝鮮人は、本国の政治的、経済的な影響を含む様々な影響を受ける、とても独特な存在であると思います。例えば朝鮮学校の処遇に関しても、南北の分断状況が大きく影響しています。そうした影響や、日本の在日朝鮮人及び朝鮮学校に対する差別的な政策があいまって、子どもたちの教育の権利が保障されない、あるいは民族差別を受ける状況に陥ります。日本で生まれ育ったのにもかかわらず、海外に出て日本に再入国するためには、未だに日本政府の許可が必要であることなど、日本で基本的人権が保障されていないという現状は知らせないといけないと強く感じます。ポジティブな面で言えば、在日朝鮮人は、日本政府の差別的な政策にも負けず、自らの言語や文化を80年近く自分たちの力で、政府の援助もなしに守ってきています。朝鮮学校の数は減っていますが、自分たちの努力で維持している、守ってきていることには、マイノリティの歴史からみても世界史的な意義があると思います。このことは、国連マイノリティ・フォーラムの場で、同じような状況にある他国の民族的マイノリティの人たちと交流する中で強く感じました。とくに教育の実践については、世界中の他のマイノリティのモデルになりうるほどの意義を持っていると思います。」
「在日朝鮮人コミュニティも一枚岩ではありません。在日朝鮮人女性の経験について、同じ「朝鮮人」や同じ「女性」という枠組みだけでは語れない生きづらさや生きがいがやはりあるのだと、インターセクショナリティという概念に出会ったとき、改めて確認しました。私の周辺の在日朝鮮人コミュニティでは、男性中心主義に基づく秩序が未だに色濃く残っています。その中で、在日朝鮮人女性たちのさまざまな経験を知らせていくことは、コミュニティの発展に必ずや貢献すると信じており、そのために尽力していきたいと思っています。」
「日本に関してお話すると、加害の歴史についてしっかり学び、認識していくことだと思います。多少の解釈のずれはあるにせよ、日本の加害の歴史について学ぶ、歴史から学ぶ、という姿勢を大事にしていない人とは、一緒に活動することは難しいなと感じます。逆に、日本の加害の歴史や、自らの特権性に真摯に向き合っている方とは、立場は違っても、一緒に同じ課題に取り組むことができると思っています。私が一緒に朝鮮学校の問題に取り組んでいる、いわゆるマジョリティの人びとは、朝鮮学校差別の問題を日本人の問題、日本社会の問題としてとらえ、取り組んでいる方が多いです。私も自らの特権性に自覚的でいなければと思わせてくれる、尊敬する方々です。日本の学校教育では近現代の日本の加害の歴史がほとんど教えられず、そのような歴史を否定する言論もまん延している中で、正しい歴史認識を持つことはやはり喫緊の課題ではないでしょうか。」
² https://www.pref.okayama.jp/uploaded/life/868657_8256669_misc.pdf. 詳しくは岡山県のホームページを参照ください:https://www.pref.okayama.jp/page/624881.html.
³ 参考:朝日新聞 https://www.asahi.com/articles/ASRDH63TYRDHUTIL00L.html
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