IMADRジュネーブ事務所 小松泰介
1965年の今日、国連総会は人種差別撤廃条約を作成する決議を採択しました。
そして、差別と抑圧に反対するこの最初の国際人権条約の実施状況をモニターするために人種差別撤廃委員会(CERD)が設置されました。
そして11月26日、人権高等弁務官事務所(OHCHR)が条約50周年の記念イベントを開催しました。
50年の功績を振り返り、現在の挑戦を議論するパネルディスカッションに、IMADRの二マルカ・フェルナンド理事長が市民社会代表として招待されました。
ここにフェルナンド理事長のスピーチの一部を紹介します。
「市民社会組織とCERDとの建設的な協力関係は、人種差別の被害者・人権活動家・先住民族およびマイノリティのリーダーといった市民社会の一員が、国連人権システムと協働するための力を与えました。残念ながら、人権、特にマイノリティに対する差別と人種主義の根絶のための活動は、しばしば誤解され、間違って伝えられます。わたしたちは頻繁に裏切り者と呼ばれます。あなたたち(国連)に協力することでリスクを負います。そのようなリスクに直面した人権活動家の一人として、委員会が、人権活動家の保護のための報告者の任命を決定したことを歓迎します。市民社会のメンバー、特に人種差別の被害者は恐れることなく委員会に声を届けられなければなりません。」
このスピーチの全文の翻訳は次号のJC通信のジュネーブ便りに掲載されます。
また、OHCHRが人種差別撤廃条約50周年の記念ビデオを作成しました。
キング牧師のあの「I Have a Dream」のスピーチから2年後に条約が始まりました。