マーク・ラムザイヤー氏の論文「でっちあげられたアイデンティティ・ポリティクス:日本の部落アウトカースト」について、長年、部落研究にたずさわってきた大阪市立大学人権問題研究センターの阿久澤麻理子教授と齋藤直子特任准教授は、同論文掲載の学会誌の編集長宛に重大な懸念を示す書簡を出しました。緻密なデータを用いながら看過できない問題を指摘したこの書簡は、同論文は最低限の学問上の誠意さえ示しておらず、社会科学者の研究の信頼性を傷つけるものであると結んでいます。
● なぜ編集長への書簡(letter to the editors)なのか
なぜ、Ramseyer氏の論文を掲載した学会誌に、書簡を書いたのか。それは、このように論理が破綻した論文であっても一旦学会誌に掲載されれば、それが先行研究となり、今後、世界の部落問題研究の中で、参照と引用が繰り返されるからである。
但し、異論を表明する方法は、いろいろある。声明(statement)を出したり、反論のための論文を書くこともできる。しかし私たちは、将来にわたる影響に鑑み、研究者としての持論を論文として展開する前に、Ramseyer氏の論文を公表した学会誌に、掲載の再検討を求めることを優先することにした。それゆえ、学会の編集長(複数の研究者)を名宛人として、論文中の方法論や手続き、使用した史料、引用の問題などを指摘し、誤ったやり方によって、導き出された論文の結論は信頼に足らないことを指摘した。 (阿久澤)
2021 年3月7日
Review of Law and Economics 編集長殿
私たちは、2019 年の貴学会誌において、J. Mark Ramseyer 氏による論文「でっちあげられたアイデンティティ・ポリティクス:日本の部落アウトカースト」(原題:“On the invention of Identity Politics: The Buraku Outcastes in Japan” が公表されたことに重大な懸念を表明するためこのレターを送っている。私たちは大阪市立大学人権問題研究センターで教育・研究に携わる者であり、大阪市立大学は、日本で初めて、部落差別問題の研究・教育に取り組むための専任教員を1970 年に採用した大学として知られている。以来、人権のための研究と教育はこのセンターの使命であり、部落差別についての研究・教育は我々の仕事のなくてはならない部分である。
長年、部落差別についての研究に取り組んできた者の視点から見ると、この論文は、部落コミュニティの中から立ち上がった、社会運動の歴史についての誤った解釈に基づいて書かれている。著者は、戦後の同和対策事業が、国の法に基づいて実施されたことを無視し、部落における特定の運動団体の「ゆすりの戦略」によって、事業が行われたかのように記している。また、統計的データを誤用し、部落や部落コミュニティに対する著者の先入観に合致するような結論を導き出している。さらに『全国部落調査』(1936)のデータを利用していることの問題も、指摘されなければならない。
私たちは以下に、論文中の重大な問題のいくつかを指摘している。私たちは社会学者として、社会学の領域に焦点を当て、歴史的なことがらについての数多くの懸念は、歴史研究者に委ねることにした。以下は、問題点をすべて網羅していないが、あまりにもひどいものをあげている。これだけでも、編集委員会がこの論文を再審査するのに十分足りると信ずる。 <続く>