2021.03.8

部落に関するラムザイヤー論文の問題点 人権と反差別の視点から

ハーバード大学のマーク・ラムザイヤー教授による論文 “On the Invention of Identity Politics: The Buraku Outcastes in Japan (でっちあげられたアイデンティティ・ポリティックス:日本の部落アウトカースト) に対してIMADRは大きな疑念と深い懸念を抱きます。そのため、この論文に対する私たちの考えを人権と反差別の立場から明確に示す声明をだすことにしました。声明には、マイノリティの権利のために協働してきた国際ダリット連帯ネットワーク(IDSN)とマイノリティ・ライツ・グループ・インターナショナルの賛同をえることができました。

<皆さまへのお願い> 以下のIMADRの声明をお読みになり、賛同いただける方は、下の賛同フォームからお名前を記入してください。皆さまからのご署名は時期を見て、IMADRのホームページで公表させていただきます。はじまりは小さくても集まればやがて大きな声になります。ご協力をよろしくお願いします。

賛同フォーム  👈 ここをクリック

声明 部落に関するラムザイヤー論文の問題点―人権と反差別の視点から

「人の世に熱あれ、人間に光あれ」で結ばれる水平社宣言は、99年前の1922年3月3日、全国水平社創立大会で採択された。被差別部落民が立ち上がり、自らを差別から解放するだけではなく、すべての人が差別から解放されることにより、人権尊重の社会が実現されると確信したこの宣言は、後世、さまざまに語られ、実践されてきた。未曾有の被害を出した第二次世界大戦の反省のもと、国連は1948年に世界人権宣言を採択した。それを具体化した最初の国際人権文書として1965年に採択されたあらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約は、その前文において、「人種に基づく障壁の存在がいかなる人間社会の理想にも反することを確信する」と述べている。その理念こそ、被差別部落民がそれより先立つ43年前に採択した水平社宣言の心髄である。

だが、その水平社が今、一人の学者の論文で貶められている。ハーバード大学教授のマーク・ラムザイヤーは、「On the Invention of Identity Politics: The Buraku Outcastes in Japan」(Review of Law and Economics, Volume 16 issue 2)(でっちあげられたアイデンティティ・ポリティックス:日本の部落アウトカースト)と題する自著において、「実際、ほとんどの部落民の祖先は、動物の皮をなめしたり、革の取引で働いたりしていない。彼らはギルドで働いてなかった。そうではなく、ほとんどの部落民の祖先は、異常に自己破壊的な貧しい農民のゆるい集合体であった」と論じている。

反差別国際運動(IMADR)はこのラムザイヤー論文の説に驚く。前近代の身分制度に由来する部落差別は現代においても日本社会に根深く残っている。これは南アジアにおけるカーストに基づく差別と類似した形態の差別であり、職業と世系に基づく差別として国際社会のなかで明らかにされてきた。私たちは被差別部落を含む世界のこれら被差別コミュニティと連帯して、国際人権基準のもと差別撤廃を目指している。<続きは声明の全文をお読みください>

IMADR声明の全文   日本語   英語

参考までに、以下にこの声明が問題視しているラムザイヤー論文の要旨を掲載します。

ラムザイヤー論文の要旨 (IMADR 仮訳)

14の国勢調査と多種多様なじかの証言を用いて、私は日本のアウトカーストに対して大部分が虚構からなるアイデンティが作られ、彼らの名ばかりの人権団体が(いくつかの極めて重要な側面において)恐ろしい恐喝マシンへと変貌していったことを追跡する。学者たちは長い間、アウトカースト「部落民」を前近代の皮革労働者ギルドの子孫であると説明してきた。部落民は、彼らの祖先が死骸を処理していたこと、そして日本の伝統的な浄の観念に反していたことによる差別をうけている。だが実際には、ほとんどの部落民は革職人の子孫ではなく、明らかに機能不全の規範を持つ貧しい農民の子孫である。一部の人びとは浄の不安より彼らを敬遠してきたかもしれないが、間違いなく、人びとは彼らの犯罪への関わりや崩壊した家族構造のために彼らの多くを敬遠してきた。部落の現代的な変容は自称ボリシェヴィキが部落「解放」組織を立ち上げた1922年に始まった。彼らは、この団体をマルクス主義の歴史的な図式に収めるために、皮革労働者のギルドという架空のアイデンティティをでっちあげ、それが今日まで続いている。次に猛烈なアイデンティティ・ポリティックスが続いた。2、3年も経たない内に、犯罪者の企業家たちがこの組織を乗っ取り、偏見に対する暴力的な糾弾と多額の金銭要求を組み合わせたゆすりの策略を開拓した。地域からの流出と補助金のうなぎ昇りが後に続いた。この論理は、ベッカーとハーシュマンによる経済論理をそのままたどっている:これまでにない巨額の補助金を与えられ、機会コストが最も低い被差別部落民は部落に留まり、犯罪者としてのキャリアに投資するという、かつてない大きなインセンティブを目の前にした。この策略が招いた社会の敵対心を考え、最も高い合法的なキャリアの選択肢をもつ部落民はコミュニティを捨て、一般人にまぎれていった。 

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