2024.08.14

あれから80年 8月2日はスィンティとロマのためのヨーロッパ・ホロコースト記念日 

2024年8月2日、スィンティとロマのためのヨーロッパ・ホロコースト80周年追悼記念集会がアウシュヴィッツ・ビルケナウで開催されました。IMADRのパートナー団体であるドイツ・スィンティ・ロマ中央委員会のプレスリリースより要約報告します。

1944年8月2日の夜から3日にかけて、アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制絶滅収容所に収容されていた最後のスィンティとロマ 4,300人 ー 女性、子ども、高齢者 ー は、激しく抵抗したにもかかわらず、SS(親衛隊)によって強制的にガス室に入れられた。2015年に欧州議会は、ナチス占領下のヨーロッパで殺害された 50 万人のスィンティとロマの犠牲者を追悼するため、8月2日を「スィンティとロマのためのヨーロッパ・ホロコースト記念日」とすると宣言した。

アウシュヴィッツで近親者を亡くしたホロコースト生存者であるアルマ・ラシンはスピーチの中で、「右翼政党の躍進は、私にとって非常に恐ろしいことです。だからこそ私は、若い人たちに、特にこれらの誤った預言者たちに対して警戒し、『私たちの民主主義を守って』と心からお願いしたいです」と強調した。

ポーランド出身のホロコースト生存者である ボレスロー・ルマノスキーは、「この記念日は私たち全員が振り返り、思い出す機会となります。私たちは、亡くなった人びとと生き残った人びとを思い出さなければいけません。ホロコーストの記憶を将来の世代へと繋げていくことは私たちの道義的義務です」と述べ、若い世代へと記憶を繋いでいくことの重要性を強調した。

ドイツ・スィンティ・ロマ中央委員会議長のロマニ・ローゼは、アウシュヴィッツで殺害された人びとのレガシーに言及し、遺灰は強制絶滅収容所の地面を覆っていると述べた。また、「ナチス独裁の経験は、あらゆる所であらゆる人の尊厳と人権を守ることは、私たちの義務であると教えてくれます。民主主義国家は今一度、普遍的人権を行動の中心に据えなければなりません。私たちは、毎年何千人もの人々が地中海で溺れ、また数千人がチュニジアとリビヤの砂漠に捨てられているのを知っています。アウシュヴィッツの犠牲者のレガシーは、このような無関心を受け入れることを許しません」と訴えた。

ポーランド・ロマ協会会長ロマン・クヴィアトコフスキは「アウシュヴィッツ・ビルケナウは、ナチスが50万人のロマとスィンティに対して犯した歴史上最大の人道に対する罪の象徴です。ロマ収容所の一掃はロマの最後の絶滅ではありませんでした。同じ絶滅の運命を背負わされた同胞のユダヤ人の居場所を確保するために、私たちは殺害され続けたのです。第二次世界大戦中、ロマとユダヤ人は同じ大量虐殺政権の犠牲者になりながら、苦難の悲劇的共同体の中で団結し、結束を強めました。ロマとスィンティのホロコーストが第二次世界大戦の歴史の文脈の中で語られることは、いまだにほとんどありません。この悲劇を記憶し、決して忘れないことは私たちの共同責任です」と強調した。

アントニオ・グテーレス国連事務総長は歓迎スピーチの中で、スィンティとロマがヨーロッパで伝統的な反ジプシー主義にさらされ続けている事実を非難した。

イスラエルにあるヤド・ヴァシェム記念館のダニ・ダヤン館長は、「この極めて重要で象徴的な追悼式典で、戦慄のしかし意味のあるこの場所で、私はユダヤ人を代表して、ホロコーストと同時にロマとスィンティへの壊滅的な大虐殺に対する深い認識を示したいです。また、私はあなた方の永遠の悲しみに個人的に寄り添いたいです」と、殺害されたスィンティとロマへの連帯を表明した。

ロマニ・ローゼは式典で、「アウシュヴィッツはナチス占領下のヨーロッパにおける、50万人のスィンティとロマ及び600万人のユダヤ人に対するホロコーストの象徴です。私たちスィンティとロマの間では、『アウシュヴィッツ』という言葉はほとんど必ず親族の殺害を連想させます」と語った。

▶︎ 追悼式典のライブ配信はこちら

▶︎ 議員・政治リーダーのスピーチはこちら

Archive