IMADR通信
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映画の紹介『トロフィー 歴史と現在を繋ぐ映画』

監督・脚本:孫明雅
制作:2026年

2026年7月10日に公開された映画「トロフィー」は、在日4世として生きる14歳の少女・ソヒの物語だ。朝鮮学校の舞踊部に所属し、父・サンジュもまた朝鮮学校の校長として働いている。サンジュは同胞のため一所懸命に働くが、4世であるソヒにはなぜ父がそこまで民族教育に固執するのか、理解できない。ある日、学校の交流会で仲良くなった日本人の友人と、K-POPアイドルのライブに行くお金を稼ぐため、父が大切にしていた北朝鮮の勲章を売ってしまうという事件が起こる。勲章を取り戻そうとするソヒは、朝鮮舞踊に向けられた日本社会の好奇な視線を目の当たりにし、ショックを受ける。思春期の娘と父の関係、ルーツをめぐる葛藤はどれも一筋縄ではいかないものだが、ソヒは朝鮮舞踊と向き合い、家族とぶつかり、そしてルーツを見つめる。

守り守られ、現在に続く朝鮮学校
1945年の日本の敗戦当時、日本には半島から海を渡って連れてこられた在日朝鮮人が、240万人以上いた。そのなかには、自力で船を借りたり買ったりして帰国した者もいたが、その数は六分の一ほどにとどまったという。帰国を待つ約200万人が、日本で母国語を知らずに育つ子どもたちのために、国語講習が全国に建てられる。朝鮮学校の歴史は、ここから始まる。終戦翌年には、国語講習所が、その場しのぎの学び舎ではなく、日本で生涯過ごすかもしれない同胞のための民族教育の拠点として位置づけられた。終戦直後の混乱のなか、改造した倉庫やバラック建ての貧弱な建物が校舎に使われたという。しかし、1949年、日本政府は全国の朝鮮学校337校に対して閉鎖または認可手続きに伴う改組を命ずる。悲劇はそれだけにとどまらず、学校へは閉鎖通告とともに動員された武装警官が乱入。武装警官は、殴る蹴るの暴行や子どもたちを教室から引っ張り出すなどし、校門に板を打ちつけた。父兄や教職員が抵抗し、最終的に自主学校または公立・公立分校として閉鎖を免れたところもあったという。
1952年のサンフランシスコ条約発効後、日本で暮らす在日朝鮮人たちは一律に朝鮮籍とされた。それにより、在日朝鮮人は外国人扱いとなり、政府は朝鮮学校の私立移管を主張した。都立朝鮮学校は廃校。以後、朝鮮学校は学校教育法における「各種学校」として扱われている。補助金の打ち切りや公的な給食制度からの除外、高校無償化の対象外など、朝鮮学校を取り巻く日本社会の風当たりは強い。

娘が放つ「嫌なら帰れ」
作中、ソヒがサンジュに「そんなに嫌なら、朝鮮に帰ればいいじゃん!」と怒鳴る場面がある。この言葉は、よく無神経な日本人が放つ心ない言葉だと思っていたが、在日ルーツを持つ娘が父に言い放つこの描写は、日本にいまだ存在する差別意識を感じさせる。在日コミュニティの歴史を深く取り扱わない日本の教育方針や学校制度における排除から朝鮮学校を選ぶ生徒が減っている実態など、そこには社会的な背景があるのだろうと想像を巡らせる。

「トロフィー」を入口に
父・サンジュが新入生探しに明け暮れる朝鮮学校が、そもそもなぜ存在しているのか。なぜ、サンジュのように必死にそれらを守り抜こうとする人々がいるのか。わたしは知らなかった。だが、この文章を執筆しながら調べてみて、その歴史が脈々といまの朝鮮学校に受け継がれていることを実感する。歴史を知ってみると、世界の見え方も変わってくるのだろう。そのきっかけをくれたのが、「トロフィー」である。

孫明雅監督の「在日コミュニティだけでなく、幅広い層に見てもらいたい」という思いとともに、この映画が多くのひとに届くことを願う。

IMADR通信227号 2026/8/20発行