IMADR通信
NEWS LETTER

IMADRアソシエイツに会いにいく 追悼 テオ・ファン・ボーベンさん

IMADR元理事であり、マーストリヒト大学教授であったテオ・ファン・ボーベンさんが2026年5月9日お亡くなりになりました。国連人権局(OHCHRの前身)初代局長、国連差別防止・少数者保護小委員会委員、人種差別撤廃委員会委員、国連拷問特別報告者、旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所初代書記官、国際法律家協会副理事長など様々な任務に就いてこられたテオ・ファン・ボーベンさんをここに追悼します。

IMADRは、テオ・ファン・ボーベン教授の功績と遺志を称えます。国連人権システムにおいて先駆的な存在であったテオは、「国際人権法および国際人道法に関する重大な違反の被害者の救済および賠償を受ける権利に関する国連基本原則および指針」の策定を通して、人権・人道被害者の権利に関する国際基準の強化という歴史的な貢献を果たしました。社会から疎外された人々に対する彼の献身は、IMADRに対してカーストに基づく差別への継続的な取り組みを奨励した姿勢や、スリランカにおける和解プロセスの支援への姿勢に如実に表れていました。東京、ジュネーブ、ドイツでの執行委員会に必ず姿を見せてくれたテオは、私たちの反差別の闘いを常に導いてくれました。彼は、「賠償は単に法的救済手段だけではない。賠償は、加害が二度と起きないよう、尊厳を取り戻し、苦しみを認め、社会を変革するという強い決意を示す」と教えてくれました。IMADRは、テオ・ファン・ボーベン教授が生涯を通して、人々のために成し遂げた功績と、世界中の人権・人道被害者や人権擁護者たちに示した連帯に、感謝の意を表します。(ニマルカ・フェルナンド IMADR共同代表理事)


ポピュリズムと普遍的人権

テオ・ファン・ボーベン
(IMADR通信190号(2017)寄稿文の一部再録)

包摂と排除
「包摂」と「排除」は、現代のポピュリズムの反乱を評価する際に鍵となる概念である。国際法、より具体的にいえば国際連合法は、長い年月をかけて排除から包摂へと歩を進め、周縁化によるよどみとグローバル化の影響の間を、また恐怖がもたらす脅威と安全な状態との間を揺れ動きながら発展してきた。国家主権を主張することから生まれた法律と実行が国際的な協力および参加の法へと徐々に進展していったのは、このような背景があってのことである。同じ背景から、現在および将来の世代のために持続可能な未来を確保するための手段として、国内における、そして諸国間における連携的パートナーシップが構想されるようになっている。
第2次世界大戦中の暗い時代、フランクリン・D・ルーズベルト米大統領は、有名な一般教書演説のなかで、世界のどこにあっても「4つの自由」が獲得されなければならないというメッセージを明らかにした。言論・表現の自由、信仰の自由、欠乏からの自由、そして恐怖からの自由である。このときルーズベルトによって提出された未来像が、あらゆる範囲の人権の普遍性、包摂性および不可分性の礎となった。これは、トランプ大統領が最近行なった就任演説や、同氏が用いる、胸が悪くなる排他主義的なスローガン「アメリカ・ファースト」とは著しく対照的である。
一連の国際文書に基づいて構築されてきた人権規範体系は、長年にわたって恒久的な差別、周縁化および社会的排除の状況に置かれてきた(そしてしばしば現在も置かれている)個人と集団をも対象としている。民族的マイノリティ、セクシュアル・マイノリティ、先住民族、精神障害・身体障害のある人々、戦時強姦により生まれた子どもなどである。これらの人々は、排除から包摂へと至る長期的プロセスのなかに位置づけられてきた。しかし、ポピュリストが掲げる政治課題にこれらの人びとが挙げられることはない。ポピュリストたちは、民族的なナショナリズムと愛国主義を喧伝・実践し、人種的・宗教的優越性および排斥の理論と思想を奉じ、人種的・宗教的偏見および差別を扇動するのである。
ポピュリスト的な指導者とその追随者は、利己的かつ全体を考慮しない国家主義的利益を基盤としながら自分たちの主張を打ち出していく。そこには多様な特徴や振る舞い方が共通して見られるが、法の支配、民主主義的価値の擁護および人権の尊重を侮るような姿勢が見られることが多い。ポピュリスト的な姿勢の範疇には、歴史・文化・宗教における国家的伝統を称揚することや、司法の独立を非難すること(とくに裁判所の決定がポピュリストの主張に反するものである場合)などが含まれる。さらに、とくにドナルド・トランプ米大統領の振舞いにはっきりと表れているように、自由な報道に従事する特定の報道機関を一貫して排除したり、ソーシャルメディアを通じて「オルタナティブ」な(すなわち偽の)事実を拡散することによって真実を操作したりすることは、深刻な憂慮の対象である。

苦々しい現実
ポピュリズム的な特徴や特質が欧米で高まりを見せつつあるように思われる。これはやがて、世界秩序をめぐる国家主義的な青写真の固定化へと発展していくのだろうか。私たちはますます、「文明の衝突」の方向に進んでいくのだろうか。世界を、欠乏からも恐怖からも解放された、平和で、公正で包摂的な社会に変えていくという未来像は、理想主義的で現実を見ていない、虚構としての国際的事業にすぎないのだろうか。私たちは、適者生存と自己中心的な「自民族最優先」の反人権的パラダイムに向かう途上にあるのだろうか。これらの設問は、法の支配にこだわることこそ、予測可能性、透明性、正統性、そして差別および排除の禁止に基づく、国家および国内機関・国際機関の指針とされなければならないという認識をもつすべての人々にとって、苦々しいものである。
ポピュリズムの傾向と表出に対しては、国際人権章典で宣明された人権および基本的自由に対する献身的な取り組みをあらためて進めていくしかない。さらに、法の支配を厳格に遵守し、ガバナンスの公平性と清廉性を確保し、汚職や私的目的の職権濫用を明るみに出していくために、あらゆる努力を払う必要がある。司法運営における適正性と公正性の確保、民主主義的価値の擁護といった課題に対応していくために必要不可欠な条件のひとつは、立法府・司法府・行政府の公正かつ公平な権力バランスを確認することである。トランプ氏のようなポピュリスト的指導者が、独立した立場にある司法府の構成員を「判事とやら」呼ばわりし、職務遂行に適さないとして不適格認定を行なうのは根本的に誤っており、司法の不偏不党性および不可侵性に反している。
民主主義的な公的統制に必要不可欠な要点のひとつは、とくにソーシャルメディアの影響力が増しつつあり、フェイクニュースが流されるようになった今日にあっては、情報源および情報流通者の信頼性と透明性を確認することである。国家主義的な隔離と社会的排除の時代にあって、マイノリティ、とくにセクシュアル・マイノリティ、先住民族、難民、移住者、そして皮膚の色、世系、信条、民族的または国民的出身が異なる人びとは、多くの状況下で本質的に危険な立場に置かれている。人種的・宗教的差別、排外主義および関連の不寛容と闘うという喫緊の課題を追求していくなかで、マイノリティが公正に扱われるようにしていくことは、開かれた民主主義の鍵となる要件のひとつであり、あらゆるレベルの研修・教育の基本的要素とされなければならない。以上に述べたことは、利己的なポピュリズムの忌むべき勢いを克服するための一助となることを意図したものである。ヨーロッパの視点から書いてはいるものの、その意味合いは地理的境界を越えている。

(日本語訳:平野裕二)

IMADR通信227号 2026/8/20発行