IMADR通信
NEWS LETTER
つくりあげられた「キタチョーセン」
uhi
アクティビスト
*この記事では性差別的・人種差別的な言葉、マイクロアグレッションの実例などを取り扱っています。
読まれる際には、ご自身の心の調子を尊重していただくようお願いいたします。
日常を蝕む風景
ある日の休日。気分転換をしたくて外の空気を吸いにバルコニーに出たら、向こうの方から中学生とおぼしき4人組が歩いてくる。そのうちの1人が、もう1人に向かって、なにやらジェスチャーをしながら馬鹿にしている。うちのアパートは低いので、住宅街の道を歩く人たちの話し声が、それはそれはよく聞こえてくる。
「お前の母ちゃんこんなんだから!俺一回見たことある、垂れ乳(笑)」
言われている側は咄嗟に「お前嫌い」と絞り出す。笑いながらそう言うしかなく、でもスタスタと1人早足で歩みを進め、表情とは正反対の行動をとっている。あとの2人も笑っている。この時点で相当唖然としてしまった。思春期の頃から、常に自分の体型の良し悪しが他人の眼差しによってジャッジされ、比較されてきたどうにもできなかった過去の感覚。それが瞬時にフラッシュバックする。そして直後、その中学生は私にトドメの一撃を刺す。
「金正恩と一緒(笑)」
私は本当にここ数年、溜め込むのをやめる訓練を自分の中でずっと行なっていたので、何か言わなきゃと思って、「サイッテー!!!!」と、それなりに大きな声で下に向かって吐き捨てたのだけど、もう中学生たちは過ぎ去ったあとだった。ギリギリ聞こえていたか、どうか。せめて言われていた子には届いていてほしい。わからないけど。とりあえず悲しくて、私の一日が一瞬にして汚された気持ちになった。
何年か前に東アジア関連の交流の場で、初対面の “日本人”にものすごく好奇心旺盛に「どんな差別にあうんですか!?言いたくなかったらいいんですけど!」と、聞かれたことがある。
あ…えっと…。
日々私のあうマイクロアグレッションって “日本人”からしたらとてもわかりにくいし、それは差別じゃないとジャッジされないように構えて、差別だとわかってもらえるようなわかりやすい例を出さなきゃ、と瞬時に進む脳内計算。
『初対面の人に私が「在日コリアンです」と言ったら、急に「こんにちは!金正恩です!」と返されたこととかですかね…』という例を出した。
それを聞いた相手は「そうなんですね!教えてくれてありがとうございます!」みたいな感じで言ってきて、ちょうど数日前にたまたまそのことをぼんやり思い出していた。
だけどあのセリフってどんな場面でどこの誰に言われたんだっけと、そういえばあんなこと言われたことあるなぁって言葉だけが残って、その情景がすっぽり抜け落ちるくらいには忘れていたのだけど、皮肉なことにさっきの中学生のおかげで記憶が鮮明に立ち上がってきたのだった。
言われていた子が、近い将来フェミニストになってくれることを、私はこの部屋から祈ることしかできない。どうしようもない他人任せにむなしくなる。まぁ仮にセクシズムに気付いたとて、レイシズムはどうせ呑み込むのだろうな、とか思いながら。
在日朝鮮人に対するレイシズムの現在地
記号化された「金正恩」というワード。これがなぜレイシズムになるのか、世の中の人がどれだけ理解できるのかと言ったら甚だ疑問だ。だって国民を洗脳している軍事独裁者だから。自分に逆らう者はみんな処刑する全体主義を押し進めるのだから。核開発してミサイル飛ばすような悪魔なのだから。飢餓で苦しむ国民を置いて自分だけ美味しいもん食って太って肥えているのだから。こんな人間と比べることが失礼だ。こんな人間に例えることがおかしいことだよね。「朝鮮」というだけで、関係のないあなたがこんな人間に結びつけられて嫌な気持ちにならないわけないよね。そうやって私─在日朝鮮人─のことを守ってくれるのだろう。寄り添おうとしてくれるのだろう。
こうやって頷いてくれる人たちの言葉が、私にはありがたいのだろうか。直接このように文脈立てて言われたことがあるわけではない。なのに私の脳内にはそういう言葉が、誰かの実態を持った話し声として、いつも聞こえてきてしまう。どうしてだろう。
物心ついた頃に観たテレビ画面。笑顔の金正日総書記と小泉純一郎首相が握手を交わす映像を、子どもながらにおぼえている。2002年に平壌で行われた日朝首脳会談の時、私は朝鮮学校に通う、小学2年生だった。平壌宣言において小泉首相が「お詫び」を表明し、それに呼応するように金総書記が「拉致問題」を認め謝罪した。国交正常化に向けた一歩となっていく、そう思いきや、日本では「北朝鮮バッシング」が急拡大していった。その渦に飲み込まれたのは、在日朝鮮人がアイデンティティを育む朝鮮学校だった。その前年の2001年には、9.11同時多発テロによって「テロ」という言葉が日本にいる私たちの日常生活にも溢れかえると同時に、「キタチョーセン」はイラクやイランと並ぶ「悪の枢軸」として急速に言説化されていた。
朝鮮学校ってキタチョーセンの学校?肖像画があるって本当?そのことについてあなたはどう思ってるの?こういう「素朴な疑問」は常に向けられ、私も次第に内面化していった。2010年になると、日本政府は高校無償化制度から朝鮮高校だけを排除し、その余波は高校だけでなく小・中学校にも及ぶ。地方自治体が長年支給してきた朝鮮学校への補助金も凍結・減額されている。日本のリベラル新聞も、正式名称ではなくあたかも国名が「北朝鮮」であるかのように、政府によってつくられてきたナラティブの枠組みの中でニュースを発信する。朝鮮学校の排除に反対する朝日新聞なども、民族教育は大事だけど教育内容は変えなければならないといった社説を通してリベラル層の世論を形成していく1。天皇制反対を訴える中で、その理由を「キタチョーセンのようになるから」と、歴史的背景や日本人の責任を丸無視してわざわざ比喩に持ち出す人にも出会ったことがある。テレビのワイドショーや報道番組はいうまでもなく、キタチョーセンという「脅威」を仕立て上げ、不安を煽るようなJアラートと連携する。日常生活の中でいつトリガーに遭遇するか、正直怯えながら生きている。
キタチョーセンの「せい」で朝鮮学校や在日朝鮮人がターゲットにされるのだから、私は朝鮮人としてキタチョーセンを責めればいいのだろうか。在日朝鮮人が考えていかなければならない責任はもちろんあるだろう。しかしそもそもなぜ、あなたたちの大嫌いなキタチョーセンという国が存在しているのか。朝鮮半島分断の元凶は日本の植民地支配である。日本がいつ朝鮮民主主義人民共和国に対し植民地清算をしたのか。自分たちが甚大なる人と資源を搾取した歴史的事実に対しなんの補償もしないまま、その国をさらに非人間化し、未だ国交がないということ自体があり得ない話である。
ダブルスタンダードな制裁
日本政府は2006年からキタチョーセンに対して経済制裁を行っている2。そして、日本独自の制裁として、在日朝鮮人が制裁の対象にもなっていくのだ。朝鮮学校に対する抑圧は、国連安保理加盟国をはじめとする国際的な対キタチョーセン制裁に加え、2002年以降「救う会」3の政治的発言力が増したことにより形成された国内世論が下支えする、独自の制裁がもとになって行われている。
2023年10月以降、イスラエルによるパレスチナ人の民族浄化が本格化して以降、パレスチナ人によって世界に呼びかけられているBDS運動に倣い、日本でもイスラエルへの経済制裁を求める声が上がっている。外務省前でも幾度となくそのデモが行われてきた。しかし、日本政府は一向にイスラエルに制裁を行おうとしない。そればかりか、防衛省はイスラエルから戦闘用のドローンなどの兵器を購入している。
このようなダブルスタンダードを見ると、日本政府が何をしたいのか一目瞭然である。防衛費は年々増額している。拉致問題が外交で解決されたとして、国交が正常化したとして、「脅威」がなくなった世界で都合が悪くなるのは一体誰なのか。
100年経って、「国へ帰れ!」「チョーセン人!」という言葉がやっと少しずつヘイトだと認識されるようになった。「キタチョーセン!」がそうなるまでには、あと100年くらい、いや、それ以上かかるかもしれない。長い闘いになる。共にしてほしい。
1 在日本朝鮮人人権協会『人権と生活 No.59』p.10
2 https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/unsc/page3_003268.html
3 北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会
IMADR通信224号 2025/11/21発行