IMADR通信
NEWS LETTER

北海道における脱植民地化の課題

歴史修正主義者たちによるパネル展示
2025年9月16日、札幌駅前通地下歩行空間(チカホ)にて「アイヌの史実を学ぼう!」と題したパネル展が開催された。主催は日本会議北海道。歴史修正主義者によるアイヌ差別を助長する展示である。この展示については、アイヌ民族団体などから、札幌市や直接の管理者である札幌駅前通まちづくり株式会社に対して展示を許可しないよう求める要望や署名が提出されていた。アイヌ近現代思想史研究者であるマーク・ウィンチェスターさんは、展示会場でパネルの内容を批判的に解説し、鑑賞者に提供する活動を行なったが、彼によればその内容は、大きく以下の3点にまとめられる。「アイヌは先住民族ではない」「アイヌを和人が文明化した」「近代化の過程においてアイヌは優遇された」。そこにあるのはむき出しの植民地主義的なまなざしである。
こうした一部の人たちによる歴史歪曲は、アイヌの方々に対する差別、「暴力」であるため放置できない。しかし同時に、現在の日本のアイヌ政策やそれを支えている日本人多数者の意識の中にも、こうした植民地主義的な感覚が無自覚に潜んでいるのではないだろうか。

先住民族の権利回復と脱植民地化
日本政府はそもそも長い間、アイヌを先住民族として認めてこなかった。2008年、国会の「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」を受け、ようやく先住民族と認め、新しいアイヌ政策の検討を開始し、2019年に成立したアイヌ施策推進法で法律の中で初めてアイヌを先住民族と記述した。しかし、この法律におけるアイヌ施策は、文化振興およびその環境整備に限定されたものであり、2007年に採択された「先住民族の権利に関する国連宣言」(UNDRIP)に示されている先住民族の諸権利の保障については一切触れていない。
「先住民族の権利に関する国連宣言」では、先住民族の定義をあえて定めていないが、例えばこのような記述がある。「先住民族は、とりわけ、自らの植民地化とその土地、領域および資源の奪取の結果、歴史的な不正義によって苦しみ、したがって特に、自身のニーズ(必要性)と利益に従った発展に対する自らの権利を彼/女らが行使することを妨げられてきた」(前文6段落)。つまり、先住民族とは国家(とその多数民族)によって植民地化され、自らの生活基盤であった土地・領域・資源を奪われ、その権利を剥奪されてきた民族である。それゆえ、先住民族の権利回復のためには、支配的な立場にある多数民族の側が現存する植民地主義と真摯に向き合い、そこから脱していくために努力することが必要なのである。

「入植者植民地」としての北海道
「入植者植民地主義(Settler colonialism)」とは、既存の住民がいる土地に入植者が定住し、永続的な居住地として支配を確立していく植民地主義の一形態である。アメリカやカナダ、オーストラリアやニュージーランドなどの移民国家はこの典型であろう。また、中国によるチベット支配、イスラエルによるパレスチナ支配、モロッコによる西サハラ支配などもこれに当てはまる。入植者による新たな社会建設は、先住民族への迫害や先住民族社会の破壊を伴う。そして、「入植者人口の離脱や植民地構造の改革、入植者と先住民の協定、和解プロセスによる脱植民地化が起きない限り、無期限に継続する」*1のである。
一般的に、アジアやアフリカに対する欧米諸国や日本による植民地化は、第二次大戦後の脱植民地化のプロセスによって、それぞれの主権国家としての独立へと向かっていった。しかし、入植者植民地主義は今日的な問題であり、先住民族の権利回復の動きと共に、1990年代以降になって研究や議論が進んだテーマである。
日本においてこの「入植者植民地」に該当するのが、明治以降の北海道である。1984年に北海道ウタリ協会(現・北海道アイヌ協会)が提案した「アイヌ民族に関する法律(案)」の前文にあたる「本法を制定する理由」では、日本の入植者植民地主義のありようが、簡潔に、しかしはっきりと示されている。
「明治維新によって近代的統一国家への第一歩を踏み出した日本政府は、先住民であるアイヌとの間になんの交渉もなくアイヌモシリ全土を持ち主なき土地として一方的に領土に組み入れ、また、帝政ロシアとの間に千島・樺太交換条約を締結して樺太および北千島のアイヌの安住の地を強制的に捨てさせたのである。土地も森も海もうばわれ、鹿をとれば密猟、鮭をとれば密漁、薪を捕れば盗伐とされ、一方、和人移民が洪水のように流れこみ、すさまじい乱開発が始まり、アイヌ民族はまさに生存そのものを脅かされるにいたった。アイヌは、給与地にしばられて居住の自由、農業以外の職業を選択する自由をせばめられ、教育においては民族固有の言語もうばわれ、差別と偏見を基調にした『同化』政策によって民族の尊厳は踏みにじられた。戦後の農地改革はいわゆる旧土人給与地にもおよび、さらに農業近代化政策の波は零細貧農のアイヌを四散させ、コタンはつぎつぎと崩壊していった。」

「戦後」日本社会に潜む植民地主義
アイヌ民族に対する日本の入植者植民地主義の起点は、明治初頭のアイヌモシリ併合(開拓使の設置)にあるが、第二次大戦後の日本社会のありようも見過ごせない。
敗戦により、日本は植民地化していた台湾や朝鮮半島などの領土を失い、そのほかのアジアの占領地も放棄することとなった。しかし、帝国主義国家としての併合の起点となった北海道や琉球については、戦後も日本国の領土に組み込まれた。そして、海外の植民地を失った戦後の日本社会では、政策的にも人びとの意識のうえでも国内に複数の民族が存在するという前提が失われ、「単一民族」的な価値観が支配的となった。アイヌ民族に対する同化政策は明治期以降から進められてきたものだが、戦後日本社会における同化圧力はこうした社会背景によってより強烈なものになったと言わざるを得ない。

先住権回復に向けた基盤づくり
アイヌ民族の権利回復が、北海道の脱植民地化というプロセスであるとすれば、自分たちにできることはなんであろうか?私たちが2022年よりはじめた「森川海のアイヌ先住権研究プロジェクト」*2は、そのひとつの試みである。
このプロジェクトは明治以降の150年余りの間に、日本の政策や開発行為によってアイヌモシリの自然環境がどのように変化し、それに伴ってアイヌ民族の社会や暮らしがどのように変えられていったのかを様々な文献や、アイヌの年長者(フチやエカシ)からの聞取りをもとに調べ、可視化し、発信することでアイヌの先住権についての理解を深める基盤とすることを目的としている。
政府のアイヌ政策が歴史的不正義の非を認めず、脱植民地化政策に舵を切っていない中、冒頭に述べたような言説がSNSなどではびこっている。こうした状況下で、アイヌ民族の立場をふまえた歴史や先住民族の権利についての理解を広め、個々のアイヌの歩みやその声を広く発信していくことが重要だと考え、その一助になればと思い、試行錯誤を続けている。
このプロジェクトは、アイヌと非アイヌ(和人)が共同で取り組んでいる。「共同で取り組む」と言えば聞こえはよいが、植民地化している側とされている側には立場性の違いがあり、チーム内においても立場性の違いに起因する問題が指摘されてきた。私たちは、対話を進め、ポジショナリティに関する理解を深めていくことでそのギャップを乗り越えようとしている。それは思いのほか困難な課題だが、このプロセスは、社会における真の和解や共生の実現に向けた一里塚であると考え、その課題に向き合いながらプロジェクトを進めていきたい。

*1 https://en.wikipedia.org/wiki/Settler_colonialism より
*2 森川海のアイヌ先住権研究プロジェクトのウェブサイト

IMADR通信224号 2025/11/21発行