IMADR通信
NEWS LETTER

人種差別との闘いを再考する

現代的形態の人種差別に関する国連特別報告者(2002~2008)として私が学んだ教訓は、否定こそが人種差別と闘ううえで最も困難な障壁であるということだ。それは、国の歴史教育や歴史の記述の中に埋めこまれた固い岩のようだ。このような否定は取り除かなければならない。関東大震災における朝鮮人虐殺はこの歴史の否定を表している。
そのため、人種主義、差別、外国人排斥と闘うには、新たな戦略を打ち出さなくてはならない。私たちの行動は、差別や人種差別の起源、仕組み、プロセス、形、表現に関する議論を反映したものでなくてはならない。言い換えれば、人種差別と差別の文化的根源に迫る知的戦略が必要だ。こうした文化的根源を理解することは、人種差別撤廃に向けた法律や法的機構に知識をもたらし、その基礎を提供する。

多様性とアイデンティティ
アイデンティティの再考:民族間の歴史を見れば、アイデンティティに関する誤解が重大な影響を及ぼしてきたことが分かる。アイデンティティという概念は、それ自体が自己の肯定であると同時に「他者」の否定である。長い歴史的記憶と、あらゆる文明と文化を形成してきた「運動-遭遇-相互作用」という弁証法的な繰り返しを見れば、新しい意味のアイデンティティ(民族的、文化的、精神的)を発展させることは極めて重要である。したがって、アイデンティティは本質的に内向きであり、現代の紛争が示すように「昨日の隣人が今日の敵」となる文脈においては、相互に絡み合い、絶えず再形成される複合的で多層的なものとして提示する、あるいは説明する必要がある。

つまり、アイデンティティは道徳的規範と地域社会の再発見の基盤となるという考えを広めることである。ただし、これは、孤立や排除、乗り越えがたい差異として経験されないように、また差別的な文化と慣習のイデオロギー的根拠とならないように行われなければならない。あらゆる社会で、そして国際レベルで、単一性と多様性の実りある弁証法が受け入れられる必要がある。

バイオカルチャー:差別の文化やイデオロギーを根絶するための戦略として、生物多様性の知恵、すなわち、異なる種の存在とその相互作用が生命の源であり条件であること、そしてどのような種であれ、その消滅は生態系にとって致命的であることに目を向けることが重要だ。その知恵を「共生」の領域に移し変えることで、統一と多様性の弁証法に基づく新たな人間関係のビジョンが生まれる。それは、あらゆる社会の活力と存続にとって不可欠な条件として、文化・民族・人種・宗教間の相互交流の価値を理解を促進する。

多元主義としての多様性:差別を根絶するためには、多様性を歴史的・イデオロギー的な概念から、多様性と統一性を弁証法的に結びつける価値、すなわち多元主義へと転換する必要がある。民族的、文化的、社会的、精神的な多元主義は、特にグローバル化において、あらゆる形態の差別と闘ううえでの不可欠な価値となる。多元主義を、多様性の認識、保護、促進、尊重と定義することができる。多元主義は、最も深い意味で、民族的、文化的、あるいは精神的な特殊性の認識と保護を表現する。多元主義の促進は、深層で差別を永続的に撤廃するための戦略を構築する中核的な価値となりうる。

究極的には、異文化間対話の目的は、人びとが互いを知るようになることであり、権利において互いに認めあうようになることである。言い換えれば、すべての社会と国際社会が解決しなければならない文化的難問とは、(民族的、精神的、共同体的、あるいはその他の)特殊性の保護と尊重を、それらの特殊性を包含し超越する共有価値の承認といかに結びつけるかということだ。

人種差別と差別の文化に対抗する知的戦略
歴史:歴史とは、文化、文明そして民族がそのアイデンティティを確立し、互いの関係を築いてきた舞台である。それゆえ、誤解、対立、友情、敵意など、あらゆるものの起源を有するその歴史にこそ、今、特別な注意が向けられるべきだ。記憶を通して、より正確には歴史を長い目で見ることによって、私たちは人種差別のプロセス、メカニズム、発現の形を発見し、その深部にある起源にさかのぼることができる。今この瞬間に必要なのは、あらゆる民族が、それぞれ個別に、また全体として、歴史が語る物語とその内容、そこから学ぶべき教訓、特に自らのアイデンティティがどのように形成され、「他者」のイメージをどのように構築したかについて、緊急の見直しを行うことである。

教育:教育と教育制度は、長期的に意識改革を生み出す王道である。教育を通して、多元主義と対話の原則がしっかりと植え付けられなければならない。異文化間教育はその意味でカタルシスであり、個々の民族や文化が自らを批判的にとらえ、確信に疑問を抱き、障壁を取っ払い、閉鎖性から脱却することを迫る。同様に、対話と交流の必要性を具体的に表現できるようにするためには、「自己」像と「他者」像を構築し投影する手段であるコミュニケーションもまた、異文化間のものでなければならず、ショーン・マック・ブライド(アイルランドの著名な政治家、人権活動家)の「Many Voices – One World(多くの声、一つの世界)」という見事な表現にこめられた対話の必要性を具体的に表現できるようにしなければならない。

経済交流:貿易はまた、多元主義と対話のための理想的な手段であり、差別の文化を根絶するための手段となりうる。古代から、あらゆる大陸で貿易は文化的、芸術的、精神的な出会い、普及、交流の手段であった。文化と貿易の対立という魅力的ではあるが虚偽の理論を超越し、貿易の中核である交換の過程の中核に対話の価値を据えることが重要である。

この流れにおいて、新たな差別的言説が徐々に台頭していることに注意すべきである。そこでは明示的・暗示的に、「近代性」に反対する古風で時代遅れの価値観が社会に影響を及ぼしていることが、未開発の原因として説明される。こうした試みによれば、未開発とは一種の文化的劣等性の表れである。
成長と発展は、生活や生き方に対する「多様な声」を反映すべきである。文化と文明の対話において争点となる問題は、貿易と世界経済に関する交渉の要素となるべきだ。そうすることにより、文化に基づく倫理規範は市場原理の負の側面を減衰させる手段となりうる。

相互作用による相互理解:相互理解はしばしば、「他者」への無知や文化的対立に対する唯一で最善の対応策と考えられてきた。しかし、そのような理解は一般的に文化の美的次元に限定され、芸術、音楽、料理あるいは建築など、「他者」の表現形式を楽しむことに過ぎない。そのような表面的な知識は、見知らぬ相手の人間的で精神的な価値観や人格の理解や尊重を必ずしも意味するわけではない。例えば、ある国を旅行して散々そこの文化や芸術を堪能した人が、帰国した途端、自国にいるその国の出身者を拒否し、差別するかもしれない。注意深く見分すれば、多くの紛争は、イデオロギー、政治、宗教的な理由により、古くからの隣人が今日の敵となり、排除や差別が行われてきたことが分かる。知性の差別や偏見を根絶するため、文化、文明、精神的伝統間の相互作用の形態を明らかにし、認識することで、相互理解を豊かにすることが求められる。この相互作用については、これまで十分に研究されてこなかった。しかし、ここにこそ、あらゆる人間関係の根底にある原動力があり、差別の文化や慣習の中心にある抑圧的な思考を打ち破る力がある。

(本稿は2023年8月11日開催「関東大震災における朝鮮人虐殺から100年」でのディエンさんの発言を事務局で抄訳したものである)

IMADR通信224号 2025/11/21発行