IMADR通信
NEWS LETTER
教育は反ジプシー主義への強力な対抗手段・ドイツ
IMADR事務局
1944年8月2日から3日にかけ、アウシュヴィッツ・ビルケナウの「ジプシー収容所」に最後まで収監されていたスィンティとロマ3000人が、絶望的な抵抗の末、ガス室に送られた。その大半は高齢者、女性、子どもであった。2015年、ヨーロッパ議会は、8月2日をヨーロッパ各地で虐殺された50万人のスィンティとロマのためのホロコースト追悼記念日にすると決めた。
2001年8月2日、ポーランドのアウシュヴィッツ国立博物館で、「ナチス体制下におけるスィンティとロマの大量虐殺」の常設展示が始まった。2年後の2003年、展示品を収録したカタログがドイツ・スィンティ・ロマ資料館・文化センター(以下、文化センター)とドイツ・スィンティ・ロマ中央委員会(以下、中央委員会)により出版された。IMADRはその展示カタログの日本語版(金子マーティン訳)を2010年2月に発刊した。カタログ本の編者であり、中央委員会委員長であるロマニ・ローゼ(IMADR理事でもある)は、序文のなかで次のように書いている(一部抜粋):
「アウシュヴィッツという地名はナチス占領下のヨーロッパにおける少数民族のわれわれ、スィンティとロマの大量殺戮をも象徴している。ナチスによる政権掌握の当初から始まったわれわれの権利剥奪と非人間化過程の最終到達点が、1942年12月16日にヒムラーが発したスィンティとロマのアウシュヴィッツ追放令だった。ドイツ帝国内のみならず、ナチスの占領下に置かれたほとんどすべての地域から何千人ものわれわれの仲間がアウシュヴィッツ・ビルケナウの絶滅収容所へ追放され、そこで虐殺された。ナチスの「民族共同体」からわれわれを除外するために利用された概念が「人種」であり、われわれの追放と流れ作業の工場生産方式による大量殺戮はベルリンで計画・組織されたが、それは人類史上先例のない無類の犯罪行為だった。」
「アウシュヴィッツとは単に追悼をする場なのではなく、現在も続行する人類に対する犯罪行為に対して警告を発する場でもある。人類による20世紀最大の犯罪行為を象徴するアウシュヴィッツは、民主主義国家の連合体がその良心を証明できる場ともなっている。歴史的な啓発とナチス独裁体制下の犠牲者の想起は、現在進行中のさまざまな人権軽視に関わって負うべき政治的な責務とも不可分の関係にあると、われわれは確信する。
ヨーロッパの多くの国々で台頭している極右組織による暴力沙汰や大衆扇動的な右派政党の人気によって呼び起こされる危機も見過ごされるべきでない。東西ドイツの再統一以来、ドイツだけでも百名以上の人命が極右のテロ活動によって奪われた。それに報道機関はさほど注目していないものの、極右による暴力事件はドイツにおいて日常化している。とりわけ若者文化に人種主義的で極右的な表現内容が浸透している。ほとんど規制されることもないまま、そのような思想はインターネットによって流布されているが、それは民主主義社会にとって大きな脅威となっている。さまざまな形態の人種主義的暴力は、われわれ少数民族の構成員に対しても行使されている。右翼政党はその賛同者および潜在的有権者を動員するため、「敵対者」に対する恐怖心を秘かにあるいは隠さずに煽っている。ほとんどの場合、社会的排除は先入観に満ちた「敵対者」像の形成と連動しており、少数民族が絶えずスケープゴートの役を割り当てられることは、歴史的経験が示すところである。」
(『ナチス体制下におけるスィンティとロマの大量虐殺:アウシュヴィッツ国立博物館常設展示カタログ(日本語版)』金子マーティン訳、2009年、IMADR発行)(ご購入はこちら)
記録し、伝え、育てる
ドイツ、ハイデルベルクに本拠を置く中央委員会と文化センターは、車の両輪となってスィンティとロマの名誉と尊厳のための活動を行っている。600年に及ぶスィンティとロマの歴史の調査・文書化、展示、反ジプシー主義に対抗できる政治教育、独自の文化とアートの継承・発展など、多岐にわたるプログラムを進めている。中央委員会の元調査部長ハーバード・ホイスからの情報を元に、ここでは2つの取り組みを紹介する。
■ホロコースト生存者の尊厳と安らぎのために
中央委員会は、ナチスの迫害を生き延びた人びとの墓地保護のために奔走した。その結果、2018年12月、「国家社会主義独裁下で迫害されたスィンティとロマの墓地の保存に関する連邦・州協定」に連邦政府首相が署名をした。この協定により、ナチスの迫害を生き延びたスィンティ・ロマの生存者の墓は、それぞれの市町村で家族墓碑として永続的に保護され、後世の学びの場として機能することになった。
2025年2月、ハイデルベルクのベルクフリートホーフ墓地にあるナチス時代に迫害を受けたフランツ家の墓に墓碑が設置された。墓碑には、「この墓は、スィンティ・ロマ民族に属していたという理由だけでナチスが市民を迫害したことを証しています。どうぞ、スィンティとロマのホロコーストの受難の歴史に触れてみてください。銘板に埋め込まれたQRコードから、墓地の保護に関する協定と、故人が受けたナチスの迫害に関する情報を得ることができます」と刻まれている。
■反ジプシー主義の高まりと急がれる対抗措置
日常生活のあらゆる場所において、スィンティとロマに対する差別は増え続けている。中央委員会が立ち上げ、現在は政府が運営する反ジプシー通報センター(MIA)の報告によれば、2024年に報告された差別事件は前年比36%増の1600件以上となった。実際は、通報することなくそのままになっているケースが多くあると考えられる。
反ジプシー主義への対抗として重要な役割を担うのが、ナチスによるジェノサイドに関する教育活動である。文化センターは、ドイツ政府から8年分の補助金をうけ、大学、研究機関、NGOと共同で、反ジプシー主義対策に必要なインフラ整備を州政府の協力を得ながら全国規模で進めている。極右が台頭する現下、喫緊の課題はジェノサイドの経験をいかに若い人たちに伝えるかにある。特に、学校を訪問して証言できる生存者がますます少なくなること、そして、ソーシャルメディアに対応した適切なコンテンツやフォーマットの教材が不足していることが大きな課題である。
第二次世界大戦とナチスによる大量虐殺は、今では 80 年前の出来事であり、多くの若者にとってナポレオンやシーザーと同じくらい遠いものとなった。そのため、若者が直面する現在の問題のレンズからナチスによる迫害という歴史的背景につながるようなフォーマットを開発する必要がある。これは、今後数年間における文化センターの挑戦となる。
IMADR通信223号 2025/8/20発行