IMADR通信
NEWS LETTER

交差性とフェミニズム ─人権活動家に聞く

誰しも多様な側面を持っており、複数のアイデンティティが交差している。韓国出身の母親と被差別部落出身の父親のもとに生まれたすみれさん(仮名)に話を伺った。

─現在、研究の傍ら社会運動にも関わっているそうですが、どのように研究の道に?
「大学生の時に自主ゼミでラオスを訪れた時、ベトナム戦争について学び、ふと、私はベトナム人の知人がたくさんいることに気づきました。父が被差別部落出身で、ベトナム人も多く働く工場に勤務しています。そこに小さい頃よく遊びに行き、なぜ彼らがここで働いているのか不思議に思っていました。ようやく、彼らがベトナム戦争の影響やその後の社会の変化で日本に来たことを知りました。同時期に、在日朝鮮人の学生運動に出会い、日本は植民地支配や差別の問題を抱え続けていることを実感しました。自分の人生が実は誰かの人権を踏みにじり、搾取構造のなかで支えられてきた面があったのではないか、わたしも加害と被害の面を持っている存在であると感じ、在日ベトナム人に焦点をあてた研究を始めました。」

─在日朝鮮人運動に関わるようになったきっかけは?
「大学生の時に、先輩が日本と朝鮮半島に関するフォーラムの存在を教えてくれ、行ってみると、 自分のことを『朝鮮人です』と自己紹介したり、本名で名乗っていたりする人がたくさんいて、衝撃を受けました。当時、わたしは朝鮮人というのは差別的な言葉じゃないか、という風に思っていましたが、侮蔑的に発せられていた『チョーセン』という言葉に引きずられて朝鮮という言葉までも悪いものと思っていたこと自体が、日本社会が作り出した忌避感であると気付きました。そこから催しがある度に参加し、知り合いを増やしました。現在でも関わり、性差別解消のための活動にも参加しています。社会構造と歴史の中で差別が作られたものであるなら、その歴史認識を共有し、差別をしっかりと解消していく必要があることを、在日朝鮮人運動から教わりました。」

─活動を行うなかで葛藤は?
「私は朝鮮人かどうか、とても葛藤してきました。一番の理由は運動として前提とされている朝鮮人ではないからです。例えばダブルルーツで朝鮮人として活動している友人には、朝鮮人の父親と日本人の母親のもとに生まれた人、あるいは日本人の夫とはすでに離婚している朝鮮人の母親を持つ人が多いです。民族継承の根拠は男性優位だと言えます。私の母親は大韓民国出身で、特別永住者ではなく『日本人の配偶者等』の在留資格で、他の在日朝鮮人とは渡日の歴史的背景も異なります。そもそも在日朝鮮人とは、日本の植民地支配に起因して日本に在留せざるを得なかった朝鮮人とその子孫を指すので、私はその定義から外れています。しかし、細かく個人や家庭を見ていくと、歴史のなかで韓国から来た人たちが日本の朝鮮人コミュニティにも合流してきました。どこで線引きをできるのか、するべきなのか。このことに返答できる人は多くいないのではないでしょうか。私が在日朝鮮人の活動に参加することは全くおかしなことではないし、そう言ってくださる方々がいます。むなしい時もありますが、やめるという選択肢はありません。」

─部落というルーツに関しては?
「朝鮮人というアイデンティティとは異なり、自分は部落民だろうか、と葛藤したり、部落民ではない、と思ったことはなく、そこは父親の影響が大きいのかもしれません。ただ、私自身は実際に部落で暮らしたことはありません。部落に住んだことがない部落民の扱いをめぐっては議論もあります。けれども、部落で生きている人たちの気持ちがわからないからこそ、きちんと声に耳を傾け、尊重しなければいけないし、『自分は全てをわかっているわけではない』ことを意識する必要があると思っています。部落にはもちろん外国にルーツを持つ人がいるし、今までもいました。その存在を可視化することで、それぞれの背景を削ぎ落とさず、丸ごと肯定できるような社会づくりに寄与したいです。」

IMADR通信222号 2025/5/27発行