IMADR通信
NEWS LETTER

「世系(descent)」と反差別運動

2025年、国連で人種差別撤廃条約(あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約)が採択されてから60年、日本の加入から30年を迎えた。筆者はこの節目に「世系(descent)」という概念に注目して、日本における条約批准運動について卒業論文を執筆し、同年3月にはIMADR特別セミナーにて報告を行った。本稿では、その内容をもとに「世系(descent)」と反差別運動の接点について紹介する。
「descent」は、人種差別撤廃条約の第一条一項で、条約の定義する「人種差別」の事由のひとつとして登場する。語源をたどれば、「上から下へ降りる」という意味をもつ。法律用語としては、原文の英語と外務省公定訳の「世系」のどちらについても、この条約ではじめて使用された。条約起草時にインド政府の提案によって追加された単語であるが、当時の資料からインドの提案理由や意味内容は明らかにされていない。日本では、批准運動の時期には「門地」と訳され、市民らの間で用いられてきた。
部落解放同盟を中心とする市民社会は、「人種差別」を名に冠する同条約の批准運動で重要な役割を果たした。しかし、同団体には、被差別部落の人々に本質的差異があるとする「人種」言説や「異種」言説を強く批判してきた歴史がある。そのため、運動内部には「人種」という言葉への強い忌避感が存在していた。では、なぜ部落解放運動は人種差別撤廃条約と接続し得たのだろうか。

社会構築物としての「人種」
ここで、「人種」という概念を批判的に検討しておきたい。現代の学術的議論では、「人種」は生物学的実体ではなく、社会的に構築された概念として理解されている。「人種」という実体は存在せず、あるのは人びとが「人種」の存在を信じているという事実だ。学者らはしばしば、人種化(racialization)という言葉で社会構築性の説明を試みる。これは、かつて支配的パラダイムであった生物学的人種主義(あるいは今日では疑似科学性が指摘される「科学的人種主義」)の反省から誕生した見方である。たとえば、肌の色を基準にして人間に優劣をつける実践は、現在の社会科学では生物学的人種主義として批判の対象となる。
国連では、ユネスコのもとで人種に関する専門家会議が開催され、1950年の声明では「『人種』は生物学的現象というよりも社会的神話」と明記された。人種差別撤廃条約の起草段階でもユネスコの研究成果が参照されており、同条約は「人種」を社会的構築物として捉えたうえで、反差別の理念を国際的に法制化したものといえる。つまり、条約が対象とする「人種差別」とは、単に表現型的特徴による差別に限定されない。日本に条約を紹介した法学者らは、この「人種差別」が広義であり、部落差別も対象になりうると解した。そして、彼らから条約を学んだ運動家たちは、この国際条約が部落問題解決のための有効な手段となると考えたのであった。
とはいえ、運動内部で条約批准運動への理解を得ることは決して容易ではなかった。たとえ条約が生物学的な人種概念に限定されないとはいえ、「人種差別」という語との接続には依然として慎重な態度がみられた。さらに、英語の「race」は「民族」の意味も含む一方で、日本語の「人種」という訳語ではその広がりが失われる傾向があり、結果として「人種差別」が狭義に理解される問題もあった。そうした状況下で運動と条約の橋渡しに役立ったのが、比較的若い法律用語である「descent」である。この語は、誤解を招きかねなかった「人種」という語に代わり、国連で使用される「人種差別」概念の説明を可能にした。

条約における部落差別の位置付け
1982年、部落解放同盟は一般運動方針において、条約が部落解放基本法の制定と深く結びつくことを確認し、本格的な批准運動を展開する方針を示した。その後、部落解放運動は国連にも積極的に参加し、ついに史上初めて国連の議論で部落問題が取り上げられた。さらに、人種差別撤廃委員会の委員を日本に招いてイベントを開催するなど、トランスナショナルな活動とともに批准運動は盛り上がりをみせた。来日した委員からは、部落差別が「世系(descent)」に基づく差別、すなわち「世系差別」として条約の対象になる旨の個人見解を得た。これにより、「descent」の意味が公的に示されない状況においても、部落解放運動は委員会の組織的見解をある程度予測することができた。
しかし、部落差別が条約の対象になるか否かについて、国内では議論が平行線をたどった。外務省は当初から部落差別が条約の対象外であるという内部見解を有しており、国会では「descent」の訳語について明言を避けた。部落解放運動内部にも意見の相違があり、部落解放同盟は条約の適用対象になるとする一方で、運動方針を異にする全国部落解放連合会は「人種差別をなくすことを目的とした条約に、同一人種、同一民族内での身分制にもとづく差別を含むことは、大変な無理と説得力に欠ける論理展開」と意見し、反対の立場を示した。ただし、2003年の論考で杉之原は、部落差別は条約の示す世系差別の一つであり、条約の適用対象になると判断している。日本は1995年に条約加入を実現したが、臨時国会における迅速な加入を優先したため、部落差別の位置付けについては依然として玉虫色であった。次なる注目は、条約加盟国に提出が義務付けられる政府報告書に集まった。
2000年に人種差別撤廃委員会に提出された日本政府の第一回・第二回報告書において、部落差別は一切言及されなかった。委員会による報告書審査で、ある委員は部落問題が抜け落ちていると驚きの声を上げた。総括所見には「本条約第1条に定める人種差別の定義の解釈については、委員会は締約国とは反対に、『世系(descent)』の語はそれ独自の意味を持っており、人種や種族的又は民族的出身と混同されるべきではない」と明記された。一方の日本政府は「委員会の”descent”の解釈を共有するものではない」と反応しており、現在に至るまで双方の見解は一致していない。
現在、国内では「世系(descent)」を鍵概念とした部落差別と条約の接続は難航している。しかし、今世紀の国際社会に目を向けると、世系差別は大きな注目を集めている。たとえば、近年の人口増加が著しいインドにおいては、ダリットに対する差別が委員会から世系差別として指摘されている。また、2001年の国連ダーバン会議では、世系差別が議題のひとつとなった。さらに、国連の人権小委員会は「職業と世系に基づく差別」を研究し、世系差別がアフリカやディアスポラ社会にも存在することを明らかにしている。このように「世系(descent)」という語を使用することによって、これまで国際社会で説明されてこなかった差別の現状が可視化されはじめたのである。

現代のグローバルな反差別の文脈で生きる「世系(descent)」は、その歴史をたどると日本の市民運動による貢献が大きい。また、国際人権基準における「人種差別」が日本社会に決して無関係でないことは、「世系(descent)」概念が照らし出すインターセクショナルな差別構造と社会構築性から可視化される。今後、「世系(descent)」へのさらなる注目と研究の深化が期待される。

IMADR通信222号 2025/5/27発行