IMADR通信
NEWS LETTER
軍事活動と有害物質が脅かす健康の権利─沖縄
吉川 秀樹
Okinawa Environmental Justice Project
沖縄における第二次世界大戦の有害な遺産
第二次世界大戦中の沖縄戦において、日本軍とアメリカ軍が展開した破壊的な戦闘により、民間人を含む20万人以上が死亡した。沖縄では建物の80%が破壊され、環境は壊滅的な打撃を受けた。
沖縄には危険で有害な第二次世界大戦の遺産が二つある。一つは、沖縄戦終結後に接収された民間の土地に建設された普天間飛行場や嘉手納基地などだ。これらは日米の安全保障に欠かせないとされているが、地元住民にとっては有害物質を生み出す施設にほかならない。カドミウム、水銀などの化学物質による汚染は、米軍施設や跡地周辺から報告されてきたが、その多くは沖縄県民に公表されていない。
もう一つは、地中や海中に残る不発弾である。推定1万トンの不発弾のうち、7,600トンが日本の自衛隊法に基づいて処分されたが、まだ1,800トンが地中や海中にあると推定されている。最近の調査で、これら不発弾の多くは爆発性があり、有毒な化学物質を含んでいることが分かった。さらに、その一部は食物連鎖を通じて人体に入る可能性がある。沖縄県民は不発弾の爆発性は知っているが、有毒性は十分知らされていない。
冷戦の有害な遺産:米軍訓練場
朝鮮戦争とベトナム戦争時、沖縄の米軍施設は頻繁に使われるようになった。米軍は本島北部の人里離れた山間に基地や訓練場を設置し、大規模な軍事訓練を展開した。
*北部訓練場
1957年、米海兵隊北部訓練場は、ベトナム戦争時のゲリラ戦の訓練場として設置された。1972年の沖縄返還時には、国頭村と東村の約8,700ヘクタールを占めていた北部訓練場は、現在も両村にまたがる3,600ヘクタールを占めている。ヘリコプターやオスプレイの着陸地が21カ所ある。安全と環境への配慮から実弾射撃は禁止されている。
地元住民と沖縄県は、北部訓練場とその周辺における軍事活動の影響について、長年懸念を表明してきた。近くには沖縄県民の主要な水源であるダムが5つあり、水源に与える影響は特に懸念される。しかし、訓練に関して沖縄県民が入手できる情報は極めて限られており、軍用機の事故や山火事などが発生した時に、初めて、県や地元住民は日本政府を通じて米軍から知らされる。特筆すべきは、ベトナム戦争中に北部訓練場や他の在沖米軍基地において枯葉剤の使用が報告されたことだ。しかし、日米両政府は、沖縄における枯葉剤の存在を認めたことはなく、政府による調査も行われていない。
*中部訓練場
中部訓練場は、1950年代後半に名護にキャンプ・シュワブができた時に米海兵隊が使い始めた。1958年には名護に辺野古弾薬庫、1962年に金武にキャンプ・ハンセンができた。6,900ヘクタールを占めるこれら軍施設は、金武、宜野座、恩納、名護にまたがっている。実弾射撃訓練、ヘリコプターやオスプレイの訓練、弾薬処理などの軍事演習が行われている。実弾射撃が原因の山火事でこれまで約3,796ヘクタールが焼失した。実弾演習が中止されて30年経つ今も、着弾地点であった山々の植生は回復していないことが目視で分かり、多数の不発弾や土地・水質汚染の存在を示唆している。
返還跡地/世界遺産登録地
2016年12月に北部訓練場の過半が返還され、現在、その一部は世界自然遺産に登録されている。その過程で、跡地に有害な「米軍廃棄物」の残留が疑われ、実態を明らかにする動きが生まれた。一方、廃棄物を発見し、軍事活動に抗議した市民が裁判に訴えられる事態が起きている。
沖縄は米軍の活動由来の有害物質に間違いなくさらされている。しかし、情報へのアクセスが限られているため、県民のほとんどは被曝の性質や程度を知らない。米国の情報公開法や日本の情報開示制度を使う人もいるが、それには長い時間がかかる。さらに、米国の公文書はすべて英語である。健康で安全で持続可能な環境に対する権利が保障されるために、沖縄県民はこれら情報を日本語で、妨害なくアクセスできることを必要としている。
*これはOkinawa Environmental Justice Projectと沖縄国際人権法研究会が軍事活動と有害物質に関する国連特別報告者に提出した報告書をIMADRが訳したものです。
IMADR通信222号 2025/5/27発行