IMADR通信
NEWS LETTER
人種差別撤廃と日本の課題 ヘイトスピーチのいま
原田學植(趙學植)
弁護士
2018年2月23日、最悪なヘイトクライム、朝鮮総連中央本部ビルへの銃によるテロリズムが発生したことは皆さまご承知のとおりですが、実行犯がヘイトスピーチデモに何度も参加してヘイトスピーチを社会に撒き散らし続けていた、保守界隈での指導的人物であり、ヘイトデモ中にカウンター抗議者らへの暴行事件を起こしているような人物であるということも、皆さまご承知の通りと思います。
思えば、この国でヘイトスピーチという話題が社会でかろうじて問題視されるようになったのも、2009年12月に発生した京都朝鮮学校襲撃事件というヘイトクライムに端を発するところがあります。京都朝鮮学校襲撃事件は、ヘイトスピーチが現行刑事法上の犯罪行為そのものを構成し、ヘイトクライムという評価もされている事案であります。
ヘイトスピーチとヘイトクライムとが相乗的に発生するものであることが示され続けている以上、法をもってこれを規制することがますます重要になってきていると思いますし、ヘイトスピーチ/ヘイトクライムの根源となる「差別」について、法あるいは各地の条例で抑止するべきであると思われます。
ヘイトスピーチ解消法が2016年5月に成立したとき、私たちはその空虚さ(本文において「適法居住要件を充たす本邦外出身者」のみを対象としていること等)に呆れながら、「解消法はゴールではなくスタートに過ぎない」「半歩といえども前進であり、ないよりはマシである」等々といういかにも空虚な理屈でもって、忸怩たる思いでこれに賛成しました。
法が成立されてから2年近く経ったいま、結局やっぱりヘイトスピーチ解消法ではその実効性は限定される、新たな法整備が必要である、ということが明らかになってきています。ヘイトスピーチ解消法の定義では、問題を十分に汲み尽くし得ない。ストロングデモクラシーの力で法に魂を込めるというにも、皆が十分頑張って活用してきていることは承知のうえで、しかし、どうしても限界がある。だからこそ、よりよい法整備のために改めて今、「ヘイトスピーチとは何ぞや」「差別とは何ぞや」という定義についての議論を深めること、現実の事象に応じた問題解決のための議論を続けること、そして、法制実現のためにデモクラシーを駆動させ続けることが、重要であると考えています。
IMADR通信194号 2018/5/30発行