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「戦略的訴訟と日本での可能性」ー IMADR学習会 レポート
IMADRは、尾家康介さん(弁護士、IMADR特別研究員)を講師に迎え、マイノリティの権利保障という観点から、戦略的訴訟とは何か、そして日本においてどのような可能性があるのかについて学ぶワークショップを開きました。その内容について、次の7つの側面より報告します。

私は弁護士の業務において、日本における移民・難民・移住労働者の権利について関わってきました。特に国連や国際NGOの中では、戦略的訴訟をやろう、活かそうという動きが最近活発になっている印象です。

では、戦略的訴訟とはなんでしょうか?
きちんとした定義はどこにもありません。「戦略的訴訟」というのも訳語であり、移民の文脈でよく言われているのは strategic litigation という言葉です。私が考えた説明ですけれども、「訴訟は権利救済を狙うものではあるけれども、訴訟自体を通じて政策とか法制度などに影響を及ぼし、そもそもの権利侵害が起きた原因の構造的な変化を追求する、変化を起こそうとする」。そういったものが今日言われている戦略的訴訟ではないかと考えています。
戦略的訴訟の歴史は結構長いです。有名な例はACLU(アメリカ自由人権協会)やNAACP(全米黒人地位向上協会)による公民権や人種差別に関する訴訟活動が20世紀の初めから行われていたということです。

移民・難民の文脈では、NGOが弁護士を通して訴訟をしたり、公益訴訟専門の弁護士(世界的に存在している)、あるいは、財団などの支援を得た個人が、戦略的訴訟を行なっています。私は、OHCHRアジア太平洋地域事務所が毎年独自にやっている strategic litigation ワークショップに参加しました。2023年には同事務所が日本で日弁連と一緒にワークショップを開催しました。
もう一つ私が参加しているのが、Global Strategic Litigation Council for Refugee Rights という戦略的訴訟をする人を支援する団体です。アミカス・キュリエといって、裁判所に対して当事者ではない人が意見を出すという制度が一部の国にあります。これは日本にはない制度ですが、この団体はそれを使って、難民の権利に関するインパクトのある裁判において意見を出す支援や個別事件の支援、ワークショップやセミナーを開いたりしています。この団体もいろいろな財団から支援を受けて活動しているようです。

では、これまでどのような事例があったのでしょうか?
<アメリカ>
ACLUやNAACPによるものでは、有名なブラウンvs教育委員会事件という黒人のセグリゲーション(人種隔離)に対して訴訟を起こした事件があります。また、人工妊娠、中絶の権利に対する事件もありました。
<韓国>
2018ー19年、韓国の仁川空港で難民申請をしようとした家族が申請の受理を拒否されて280日余り空港で生活をしたというケースがありました。それを弁護士や支援団体、メディアなどが支援したことで、韓国の領土に入ることができ、さらにそこから在留資格まで得たというケースです。
また、韓国では、在留資格がない子どもの教育を受ける権利や強制送還されない権利のための闘いがあり、そこに国内人権機関が関与して、この権利の確立に結びついたと聞いています。日本ではご存知の通り弁護士やNGOが支援してきましたが、一部のケースで法務大臣が在留資格を認めて一定の救済が図られたということが最近ありました。
<イギリス>
アムネスティがマス・サーベイランス(大量監視)は人権侵害にあたるとして訴訟を起こし、欧州人権裁判所が人権侵害だという判決を出した事件が最近ありました。
<日本>
入管の収容が国際人権法違反ではないか、代用監獄や人質司法は国際人権法違反ではないかなどの訴訟が起きていますが、これは戦略的訴訟に近いのではないかと個人的に見ています。

良い面ばかりではなく、批判もあります。そもそも訴訟することを目的にして起こしているようなケースもあるので、法的な根拠が必ずしも強くないのではと言われたり、アメリカの文脈では、裁判所に政策判断をさせるのはおかしいというようなことが言われたりしています。また、依頼者が本当にやってほしいことと戦略的訴訟の目的がずれ、依頼者が願っていないことを重視して進めてしまう場合があるかもしれません。さらに、裁判に負けたら逆効果ではないかという批判もあります。負けた方向で政策が固まってしまうと、裁判を覆すのは難しいためです。

日本の文脈では、「戦略的訴訟」という言葉は比較的新しい概念かもしれません。しかし、当事者が多数いる事件にどう対応するかに関しては、日本でも長い歴史があります。アメリカ等には「クラスアクション」と呼ばれる訴訟類型があり、裁判に参加しない人でも裁判の効果が及びます。しかし、日本でクラスアクションはできません。あくまで裁判を起こした人にしか判決の効果は及ばないとなっているからです。
そのため、通常、原告(被害者)が大勢いる場合は、全員が裁判に参加しなくてはなりません。例えば、公害や消費者事件では、一つの事件に原告が何百人、何千人といる場合があります。裁判の結果による効果は原告にしか及びません。しかし、訴訟によって法制度の変革につながれば、原告でない人にも効果が及びます。

最近、日本版クラスアクションと言われることもある「消費者団体訴訟制度」ができました。しかし、アメリカなどのクラスアクションとは少し異なり、この制度の利用が認められている消費者団体のみが、被害者に代わって次の2種類の裁判を起こすことができます。1つ目は、「それを今すぐやめてください」という差止訴訟請求。2つ目は、被害の回復を求める裁判です。裁判に勝ち、そこに「自分も被害者です」と参加すれば(理論的には裁判がまだ続いている状態)その効果が及ぶというものです。
使い勝手が良くないという声もありますが、使われています。使い勝手が良くない理由の一つとして、消費者事件に限るということと、被害の回復といっても慰謝料などは請求できず、実損害に限られるため、自分で裁判を起こしたほうがいいと感じる場合もあることが挙げられます。
では、これまでどのような大規模訴訟が行われてきたのでしょうか?

例えば、国政選挙での「1票の格差」裁判があります。これは国政選挙の度にほぼ毎回提訴されています。変革につながった場合もそうでない場合もありますが、常に選挙の1票がどういう価値を持つかという点に関して、国会議員に対するモニターになっていると思います。
また、在外投票ができるかできないか、いつできるか、最高裁判事の国民審査に参加できるかなどが裁判で争われ、実際に改善されているところがあります。
さらに、薬害、ハンセン病、優生保護法、アスベストに関しては、訴訟の結果、「こういう方は給付金/補償金が出ます」とする法律が作られて、一定の方に対しては請求をすればお金が支払われる、被害が回復されるようになったりしています。
それから、基地の騒音や福島原発事故の避難。法制度自体が変わったとは言い切れませんが、訴訟によって救済の枠組みがつくられました。基地の訴訟は長い歴史があり、被害が毎日発生し続けているので、何度も裁判が起こされ、そのたびに差止(もう飛行機を飛ばさないでくださいという請求)と、騒音による被害の回復をしてほしいという請求がされています。差止ではなかなか勝てないものの、騒音については、一定以上の騒音が発生している場合に補償されるといった裁判例が積み重ねられています。

原発も同様です。どういう方が避難の損害を請求できるか、色んな訴訟が起こされ、ある一定の場合には被害が補償されるというケースが出てきています。
こうした例は被害者の方の「被害を回復したい」「もう起こらないようにしてほしい」といった願いを、裁判を通じて追求し、救済を求める裁判です。原告が多いことでインパクトが大きく、戦略的に何かを変えるというより、被害の回復を求めることから始まっていると思います。


メディアや世論を巻き込むことも含めて、問題提起・問題提示をしている活動を紹介します。例えば、同性婚訴訟です。キャンペーンを積極的に行っている団体がいくつかあります。支援をうけて訴訟をし、訴訟のたびに報告や街頭活動、ロビーイングをしています。今続いている、そして成果を上げている訴訟の一つです。
また、技能実習生・入管問題。私自身も関わったことがありますが、これもメディアが問題点を取り上げないと、なかなか注目されない、むしろ排除されがちな問題です。そのため、うまく問題点を取り上げてもらい、きちんと伝わるようにメディアにあらかじめ説明をしたり、記者会見を開いたりしています。2021年の入管法改正の問題があった時も、いろんな方の協力を得ながらキャンペーンをして、結果的に入管法の改定が見送られました。
それから、夫婦別姓の問題も世論喚起を積極的にされています。
そして、死刑問題。つい先日、死刑執行の直前まで本人に伝えないのは違法ではないかという点を問題にした裁判があり、大阪地裁が門前払いをしていたのに対して、大阪高裁が差し戻しを命じました。この裁判も死刑問題に関するNGOが支援をして始まったそうです。
さらに、原告を人でなくウサギにしたという有名な裁判です。環境が破壊された時にそこに誰も住んでなかったらどのように裁判をするのか。住んでいるのは野生動物で、その動物が絶滅する危険があるといった時に、ウサギを原告にして、そのウサギが絶滅しないようにするという目的もありつつ、起こされた裁判です。
◉ ビジネスと人権の考え方
戦略的訴訟とはずれますが、ビジネスと人権の考え方には新しい点があります。例えば、労働者の間に人権侵害が発生しており、その労働者を雇っている企業のサプライチェーンの下流に有名ブランドがあるとしましょう。労働者を直接雇っている会社は下請け企業です。しかし、その下請け企業が作った商品を納めている会社があり、さらにそれを加工した商品を納めている会社が有名なブランドなどといった場合、その有名ブランドも責任を持つというのがビジネスと人権の一つの考え方です。そのため、そのブランドを訴えます。下流の方もモニタリングすることを狙いにしています。

日本の場合、ビジネスと人権が法的な責任と言えるかはあまりはっきりとしていませんが、ブランドを訴える裁判は世界的に行われています。それによって、「ブランドに責任がある」という判決が出ることがあります。もしそうした判決がでなくても、問題があるということを世に問うことができます。一般的にネーム・アンド・シェイム(name and shame)と言われます。
成功例もたくさんありますが、いいことばかりではありません。当該問題に反対している人たちからのバッシングや誹謗中傷があります。日本の場合、名誉毀損の問題がとても厄介で、本当のことを言ったとしても社会的評価を下げることにつながれば、名誉毀損になりうります。そのため、「裁判を起こしました」という記者会見をした時に、それを報道していいかどうかをジャーナリストが躊躇したり、記者会見する側もどこまで言っていいかというのは、複雑な問題だと思います。


一方、弁護士の間では「プロボノ」をやる人がいます。一部の国には弁護士が義務として行うプロボノがあり、完全に無料で事件に対応します。日本でも、外資系の法律事務所がプロボノとして無料で難民事件を支援したり、外資系ではない日本の大規模な法律事務所が無料で対応したりします。また、弁護士会の活動としてのプロボノもあります。日本の弁護士は、法律扶助制度を使いながら人権侵害に対する救済活動をよくやっていますが、国際的にはプロボノに当てはまらないようです。
逆に、過去の例では、薬害、C型肝炎の裁判は、まず「この人たちが肝炎になったのは血液製剤のせいだ」ということを証明し、そしてそれが一定の時期にたくさん起こっており、その時の血液製剤の管理を国が認可したのが悪いということを証明して裁判に勝ち、法律が変わりました。被害者の弁護団が頑張りました。その結果できた給付金や補償金制度について、その請求を代理する弁護士がいて、それはビジネスにもなりうります。別にそれが悪いわけではないですが、そういうことが実際に起きています。
◉ クラウドファンディング
最近、訴訟や弁護団活動の資金を、クラウドファンディングを通じて集めるという手法もよく使われています。例えば、医学部入試における女性差別対策弁護団は、クラウドファンディングを通じて資金を得て、裁判を遂行しました。
ただ、クラウドファンディングも一筋縄ではいきません。先述した名誉毀損の問題に加え、弁護士法では弁護士が弁護士でない人と報酬を分けてはいけないという規制があります。プラットフォームが儲けてしまうと、弁護士と報酬を分けたことになり、規則上許されません。クラウドファンディングはその規則に抵触しないように設計されているようですが、そうした問題がありえます。さらに、これは一種の広告になるため、弁護士会の決まりに従わないといけません。

◉ 「公共訴訟」
今、「公共訴訟」が注目され、日本でも海外のように公益活動に専念する弁護士や法律事務所ができないか模索されています。
そんな中、弁護士が公共的な課題を行うところに特化したクラウドファンディングサイトが登場しました。それが「CALL4(コールフォー)」です。CALL4の関連団体が、公益活動を専門に行う「LEDGE(レッジ)」という弁護士事務所を設立しました。レイシャル・プロファイリングや選挙年齢の引き下げに関する公共訴訟が現在進行中です。
特にクラウドファンディングや公共訴訟は、基本的に相手が国で、国家賠償訴訟や法律の違憲性(憲法に反してるのではないか)を問うものばかりです。一方、「この人が悪い人です」という訴訟を大々的にやると、バッシングが起こり、名誉毀損に問われる可能性もあります。そもそも、広く知られたいわけではないが、とにかく権利を救済してほしいという人が多くいます。そういう訴訟だと、広くお金を募るやり方は難しいかもしれません。

マイノリティの場合、戦略的訴訟の良いところは、正面から政策決定に影響を及ぼすことが難しい場合でも、裁判を起こすことは誰でもでき、訴訟に勝てば政策に影響を及ぼせるところです。たとえ原告が一人であっても、結果によって多くの人が影響を受けるケースは過去にもたくさんありました。マイノリティが直面するどのような課題が戦略的訴訟という手法に合うのでしょうか。戦略的訴訟は一定のインパクトを与えることを考えてやらないと意味がありません。メディアや世論を巻き込む形で行い、資金を募ったり、政策につながるようにすることで、問題を広く知らせることになります。ただ、適するケースを選ぶのは、悩ましいです。そして、裁判に勝たなくてはならない、あるいは、勝たなくともそれが問題であると広く受けとめられなくてはならない。そうした法的議論が成り立つようなケースでないといけません。

マイノリティの文脈で、実際に戦略的訴訟を実践している人たちもいます。キャンペーンとして取り上げたり、一つのケースに支援をしたりして、その結果を使うといったやり方もあります。必ずしも大々的にやらないと戦略的訴訟にならないというわけではありません。それでも、結果を政策につなげていくには、表に出すという要素がどうしても必要になってきます。どういう風に工夫すればいいのか、今悩んでいるところです。
最後に、国賠訴訟で裁判所が「国の行動は違法じゃない」と言うと、公務員の行動規範に使われ、後の訴訟でも繰り返されることになります。裁判はキャンペーンと違い責任が生じるため、ケースの選択や勝算をどこまで考えるか非常に難しいです。






