2023.08.26

『歴史を引き受ける若者たち』——IMADR通信215号特集「関東大震災と朝鮮人・中国人虐殺〜100年を経て」より

大震災の混乱のなか、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などの流言が飛びかい、数千人に及ぶ朝鮮人、中国人、そう「見なされた」被差別部落民を含む日本人が関東一円で殺された。日本はこの歴史に向き会ってきたのか?世代を越えて伝えてきたのか?否である。今も地震の後に同類のフェイクニュースが流されている。ヘイトスピーチがヘイトクライムへと形を変えている。100年を機に今考える。

歴史を引き受ける若者たち

ほうせんか100周年追悼式実行委員会「百年」メンバーへのインタビュー

東京都墨田区八広、荒川にかかる木根川橋近く。堤防の上からは下町の街並みを見渡すことができる。手前に視線を落とすと民家に囲まれるようにして、追悼碑がひっそりと、そして凛々しくたたずんでいる。100年前、その近くにかけられていた旧四ツ木橋のたもとで、多くの朝鮮人が日本人の手によって虐殺された。
「関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会」は1982年に発足され、証言の聞き取りや記録集の編纂、追悼式の実施に取り組んできた。2009年、荒川河川敷沿いの私有地に「関東大震災時 韓国・朝鮮人殉難者追悼之碑」を建立。2010年、追悼碑の維持・管理を担う「一般社団法人ほうせんか」が設立された。2015年には追悼碑の隣の家屋を「ほうせんかの家」という形で、資料館として、そして現地にフィールドワークなどで訪れる人びとが交流できるよう整備した。
関東大震災時の朝鮮人虐殺(ジェノサイド)から100年を迎える今年も、荒川河川敷での追悼式が予定されている。
その「節目」の追悼式の運営を担うのは、「ほうせんかの家」に集い、ゆるやかにつながった20代〜40代の「若者」たちだ。100年前のジェノサイドにどのように向き合っているのか、そして「次の100年」に向けてどのような思いを抱えているのか、ほうせんか100周年追悼式実行委員会「百年(ペンニョン)」のメンバーである鄭優希(チョン ウヒ)さん、遠藤純一郎さん、池允学(チ ユンハ)さんにお話を伺った。

———「百年」の活動はどのようにして始まったのでしょうか?

———鄭
私は、大学の卒論や修論のテーマとして「ほうせんか」にまつわることを扱っていたので、以前から6年間ほど「ほうせんかの家」に通っていました。それで、ある日、「ほうせんか」の理事である愼民子(シン ミンジャ)さんと雑談をしていたら「100年目の追悼式は若い人たちがやった方がいいと思うの」と言われたんです。民子さんが私のほかにも「ほうせんかの家」に来ていた若い人に声をかけていて、2021年の12月に私たち3人と民子さんとで「100年目の追悼式はどうしようか?」という話をしました。そこから活動が始まりました。
私は個人的に、友人や知り合いを誘って朝鮮人虐殺の証言に基づいてフィールドワークをやっていましたが、そこに参加してくれた人も誘って、そのまま「百年」の活動に巻き込みました。

———「ほうせんかの家」という空間があったことが大きかったのですね?

———鄭
そうですね、大きいと思います。「ほうせんかの家」があるからこそ、各々が自分のタイミングで足をはこぶ。わざわざそこに行くということは、何かしら関心がある、学びたいということでもあります。だからそこで突然の誘いがあっても、自然な流れで「一緒にやろうよ」ということになるのかなと思います。

———いまは追悼式の準備に注力されていると思いますが、上映会やフィールドワークなども開催されています。5月には早稲田奉仕園で呉充功(オ チュンゴン)監督の『隠された爪跡』と飯山由貴さんの『In-Mates』の同時上映会。6月には小さな追悼碑を各々が作って証言現場をまわるというワークショップ兼フィールドワークがありました。そういった企画の意図や反響についてお聞きしたいです。

———鄭
追悼式だけではなく、事前のイベントを企画したいという話は以前からしていました。「もっと知ってもらいたいよね」という思いからです。上映会の方は申し込みが殺到して、締め切りの2週間前に定員に達してしまいました。
参加してくれた方の年代も幅広かったですね。若い世代でも、この問題を知った人が「これから学んでいかなきゃ」って思っているんだな、ということを実感しました。
ワークショップに関しては、フィールドワークと追悼碑を作る、ということを合体させたのには理由があります。
フィールドワークって、参加者は説明を聞くだけで受け身になりがちだなと思ったんです。それはそれ自体で意味があると思うけど、参加者も能動的になれるようにしたいなと思っていました。
参加者にとっては急に粘土を渡されて「追悼碑を作ってみて」というのはハードルが高かったかもしれませんが、思いを形に落とし込むことで、例えば写真を撮ってSNSにあげることもできます。自分が作ったものと一緒に発信できることによって、虐殺というトピックでも話しやすくなるかもしれないな、と後になって考えました。

———100年前のジェノサイドと向き合うこともそうですが、「ほうせんか」の活動は歴史の長いものですよね。そういう活動に新たに関わっていくことは、ある意味ハードルが高いというか、気後れしてしまうところもあるのかなと思います。

———鄭
たぶん、そういう難しさ、引き継ぐとか、100年前のことをどうやって自分ごととして捉えるかという難しさはメンバーそれぞれが感じていることだと思います。「ほうせんか」には40年にわたって活動されてきた方々がいます。皆さんがどのような思いで携わってきたかということをちゃんと聞いておきたかったので、お話を聞く機会もつくりました。ほかにも、別の地域で起きた虐殺についての勉強会や、日本の植民地支配に関する本をあつかう読書会もやりました。

———遠藤
私は、最初は本当に何も知らなかったんです。もちろん「何があったか」ということは知っているけど、その詳細は知らなかった。例えば「戒厳令」という言葉を見てもピンとこない感じでした。
だけど、最初から「若い人にやってもらいたい」というほうせんかの理事たちの思いがあったからなのか、とても関わりやすかったんです。知識や、何かを求められて緊張するような場面はあまり記憶にありません。長年取り組んできた方々に「とりあえずやってみなよ」「みんな初めはこうなんだから」というベースがあるんだと思います。のびのびやっていますよ。

———皆さんが「追悼」ということに向き合っている中、いまの日本では虐殺の歴史が隠されてしまっています。そのこと自体、またそれをヨーロッパなどの状況と比較した時にどんなことを感じていますか?

———遠藤
うまく隠されてしまっていることの「ヤバさ」をちゃんと共有したいなと思っています。学校で教えてもらえないとか、教科書にも全然載っていないとか、「私たち本当に何も知らなかったよね、ヤバいよね」というところから共有していくしかないのかなって。
私自身は元々、性教育のことについて勉強していたのですが、このことに関してもバッシングがあります。同じとは言いませんが、共通するところもあります。教えたい人がいる、本来教わるべきことなのにそれが潰されてしまう。そういう流れがいまのスタンダードを作ってしまっていることに怒りを覚えています。

———鄭
私も、隠して何とかなってしまっている、という「ヤバさ」は本当に感じています。虐殺が起こった当時から、警察や政府は隠蔽しようとしました。いまでも、国会での質問に対する政府側の回答は「記録はない」の一辺倒。証言などの記録はあるし、政府が嘘をついているということが明白なのに、「記録はない」と言い続けて、問いかけに応答しなければ隠し通せてしまう。そういう現状があります。本当に腹立たしいです。

———遠藤
比べられないですよね、ドイツの話とかと。違いが大きすぎて。
そういう意味で言えば、いまの東京に「ほうせんかの家」がある、ということはとても重要なんだろうなと思います。

———鄭
私はもちろん、虐殺のことは幼い頃から聞いていました。被害者が6000人以上いたということも知っていた。それでも、実際に証言を読んだり当時の状況を学ぶまでは、その重大さをどう捉えたらいいのかわかっていませんでした。ある意味、植民地出身者として、そういう目に遭ってしまうことって当たり前なのかもしれないというか、疑問に思っていなかった部分があったんです。でも、ここ数年自分でいろいろ勉強したり、ほうせんかの活動に関わる中で、実感としてその重大さを捉えられるようになってきました。
私もドイツやポーランドを訪れたことがあるんですが、街中にモニュメントがあったりする。「ホロコースト」という言葉を知らない人は向こうにはいないのではないかと思います。でも、朝鮮人虐殺のことは、そもそも「知らない人」がいる。そういう状況で、デマが飛び交ってしまうと憎悪が助長されるんじゃないかと心配です。

———ちょうど言及がありましたが、差別が蔓延している現在の日本社会をどのように見ていますか?また、そういった状況下で「百年」の活動の意義をどのように考えているでしょうか?

———鄭
差別が拡がっている、ということは以前より実感しています。国会や地方議会で、SNSで流れているようなデマがまことしやかに語られることもあります。公的な場で、そういうことが行われるところまで来てしまったんだと感じています。「自分は差別しないよ」と思っている人は多いと思うけど、現状はそれだけでは、自分一人が差別をしないということだけでは、不十分になってきていると思います。
入管法改悪や、LGBT理解増進法の議論でも差別が蔓延しているなと感じました。ヘイトクライムも目立っています。ヘイトクライムはヘイトスピーチから始まるし、そういう流れが加速するのは本当に怖いです。
だからこそ、この「百年」の活動を通して追悼すること、それと同時に語り継いでいくことが必要なのかなと思っています。すでに証言者がいない時代なので、虐殺を知らない世代の私たちは、学ぶというところからしか始められません。一緒に学んでいきたいなと思っています。

———遠藤
私自身は、以前と比べて悪化した、みたいなことを敏感に感じられていない部分があると思っています。もちろん、危機感がないわけではありませんが。
「百年」で活動をしていてすごく希望に感じるのは、このことだけを専門にずっとやってきた人だけの集まりではない、というところです。私みたいに全然知らなかったけど、知りたいと思った人が入ってきて一緒に活動できる、そういうことがすごく大事だなと思います。
ヘイトスピーチをするような人とつながることはとても難しい。でも、問題をあまり知らない、という人の中には、どんなことが起きているか知ったら「自分にも共通する問題だ」と捉える人もいます。そういう人たちといかにつながっていけるか。「百年」の活動をしている中で、より仲間を増やせる可能性があるなと感じます。

———池
「百年」のメンバーではない若い人たちともつながりたいと考えています。ジェンダー、フェミニズム、入管法のことで活動している人たち、在日朝鮮人のグループ。党派や組織を問わずにつながっていくことが重要だと思っています。来年以降も活動していかないと、100年を迎える意味がありません。

インタビューを終えて〜次の100年へ

「百年」のメンバーは追悼式に向け、ワークショップを企画する班、証言朗読の準備をする班、資料などを整理するアーカイブ班などに別れて準備を進めてきた。現在は追悼式当日に向けた準備が佳境に入っている。また、追悼式後にも、勉強会や読書会などのイベントを開催するつもりだという。

若者を中心に15人ほどがゆるやかにつながり、歴史と活動を継承しようと試行錯誤する姿は、残念ながらいまの日本社会にありふれているものではない。だが、「100年を迎える意味」はさまざまな人の手によって、改めて掘り起こされてもいる。

100年前のジェノサイドに真摯に向き合えばこそ、マイノリティを交差的・複合的に周縁化する現在の流れに抗うことができる。「百年(ペンニョン)」の活動に関わる人たちが生み出している波紋は、次の真っ当な「100年」につながっていくだろう。

追悼式は、9月2日(土)、京成押上線八広駅近くの荒川河川敷で行われる。
14時受付開始、14時半開始。

ほうせんか100周年追悼式実行委員会「百年(ペンニョン)」

報告:福井周

同特集の二つの記事もあわせてご覧ください

『私たちは何をなすべきか』——IMADR通信215号特集「関東大震災と朝鮮人・中国人虐殺〜100年を経て」より
『75年の記憶——ロマと非ロマの若者 忘却に抗う』——IMADR通信215号特集「関東大震災と朝鮮人・中国人虐殺〜100年を経て」より

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