副題[アウシュヴィッツ国立博物館常設展示カタログ(日本語版)]
第2次世界大戦下のナチス・ドイツによる「ホロコースト」では、ユダヤ人だけではなく、スィンティやロマと呼ばれている人びと(日本では「ジプシー」と紹介されていますが、この呼称には差別的な意味合いが含まれます)もアウシュヴィッツをはじめとした強制収容所で虐殺されました。その数は50万人以上です。
日本ではスィンティやロマ虐殺の事実がほとんど知られておらず、また、現在ヨーロッパ各地でスィンティやロマが被っている差別の実態についても無関心な状況にあります。
本書は、このような歴史と現状に鑑み、ポーランドのアウシュヴィッツ国立博物館で常設展示されている「ナチス体制下におけるスィンティとロマの大量虐殺」の展示物の日本語版カタログとして刊行しました。
目次:
- 序文
- はじめに
- 「スィンティとロマ」という呼称について
第1部ドイツ帝国におけるスィンティとロマの迫害:排除、権利剥奪、追放
第2部 ナチス占領下ヨーロッパでのスィンティとロマの大量虐殺
- チェコスロヴァキア
- ポーランド
- フランスとベルギー
- オランダ
- イタリア
- ユーゴスラヴィア
- ソ連
- ルーマニア
- ハンガリー
- 地図にみるスィンティとロマの大量虐殺
第3部 絶滅収容所アウシュヴィッツ・ビルケナウ内収容所区域BⅡe区域:「ジプシー収容所」
- アウシュヴィッツのスィンティとロマ「ジプシー収容所」設立以前
- 1942年12月26日のヒムラーによる追放令
- 養護施設から追放されたスィンティとロマの子どもたち
- アウシュヴィッツ・ビルケナウ絶滅収容所BⅡe区域へのスィンティとロマの到着
- 「ジプシー収容所」の被拘禁者「帳簿」
- 「ジプシー収容所」の位置と構造
- 生き永らえるための日々の闘い
- 大量殺戮の犠牲者たち
- 強制労働
- ナチス親衛隊によるテロ
- メンゲレの人体実験
- 自己防衛と抵抗
- 1944年8月2日から3日にかけての「ジプシー収容所」の「粛清」
- アウシュヴィッツで選別され、ほかの収容所へ転送されたスィンティとロマのその後の運命
付録
- バルトシュフスキ教授による挨拶
- 特別展示会開会式の写真
- 特別展示会の図面
- 特別展示会風景
- 写真・史料の出展一覧
- 翻訳者の言葉