共謀罪は何をもたらすか――市民社会を萎縮させないために

共謀罪は何をもたらすか――市民社会を萎縮させないために

旗手 明(はたて あきら)

公益社団法人 自由人権協会理事

 

1.はじめに

いわゆる共謀罪法案(組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律等の一部を改正する法律案)は、さる6月15日、委員会採決を行わないまま参議院本会議で採決するという異例の手続き(国会法第56条の3)で可決し、早くも7月11日に施行された。3月21日に国会提出されてから3カ月足らず、衆議院法務委員会で議論が始まってから2カ月足らずで共謀罪が成立してしまったことに怒りを覚えている方も数多いと思われる。

この法案に対しては、刑事法学者をはじめ多くの法律家から批判がなされ、市民も連日のように国会周辺や全国各地で廃案を訴えてきた。筆者も、他のNGOと共同して、日比谷野音での集会や議員会館での院内集会に取り組んだ。

 

2. テロ対策ってホント?

安倍首相は、この法律を「テロ等準備罪」と称し、テロ対策に必要不可欠だと強調した。

しかし、この法律には、「テロリズム集団その他の組織的犯罪集団」という表現こそあるものの、テロリズム集団の定義はなく、テロを対象とする条文も含まれていない。また、欧米のテロは一人で実行するものが増えているが、単独犯は対象とされていない。

次に、この法律は、国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約(2000年国連総会採択。以下、パレルモ条約という)を締結するために不可欠だと政府は主張した。しかし、この条約はマフィア対策を目的としたもので、「組織的な犯罪集団」とは「金銭的利益その他の物質的利益」を得ることを目的とする集団をさしており、政治的な目的を主とする「テロリズム集団」はその対象ではない。他方、テロ対策に関わる13の主要条約について日本はすでに国内法を整備し締結済みである。

このように共謀罪はテロ対策のためという政府の説明は、無理がある。「テロ対策」というマジックワードには、大いに気をつけなければならない。

 

3. パレルモ条約の締結に共謀罪は必要か?

安倍首相は、共謀罪法案を成立させ「国際組織犯罪防止条約を締結できなければ、東京五輪・パラリンピックを開けないと言っても過言ではない」と主張した。確かにパレルモ条約は、世界の187の国・地域が締結しており、G7で締結していないのは日本だけである。

しかし、同条約第34条には、「この条約に定める義務の履行を確保するため、自国の国内法の基本原則に従って、必要な措置をとる」とされている。また、条約の「立法ガイド」では、「選択肢は、関連する法概念をもたない諸国において、コンスピラシー(犯罪の共謀)または犯罪結社のいずれの概念の導入を要求することなく、組織犯罪集団に対する効果的な行動をとることを許容するものである」ともしている。

共謀罪という概念は英米法の伝統の中で使われてきたもので、大陸法の伝統に属し「関連する法概念をもたない」日本のような国では、「組織犯罪集団に対する効果的な行動をとる」ことが実現されれば、共謀罪の導入がなくても締結できると考えられるのである。

パレルモ条約締結の条件については、さまざまな条文解釈の余地があり、各締結国の状況も多様であるため、「テロ等準備罪が成立しないと条約を締結できない」と断言する根拠は薄弱である。

 

4. ケナタッチ書簡の意義

法案が衆議院を通過する直前の5月18日、国連プライバシー権に関する特別報告者であるジョセフ・ケナタッチ氏が、プライバシー権と表現の自由を制約するおそれがあるとして、深刻な懸念を表明する書簡を安倍首相宛てに送付し、国連のウェブページで公表した。

書簡では、法案の「計画」や「準備行為」の文言が抽象的であり恣意的な適用のおそれがあること、対象となる犯罪が幅広くテロリズムや組織犯罪と無関係のものを含んでいることを指摘し、いかなる行為が処罰の対象となるかが不明確であり、刑罰法規の明確性の原則に照らして問題があるとしている。

さらに、プライバシーを守るための仕組みが欠けているとして、次の5つの懸念事項を挙げている。

(1)創設される共謀罪を立証するためには監視を強めることが必要となるが、プライバシーを守るための適切な仕組みを設けることは想定されていない。

(2)監視活動に対する令状主義の強化も予定されていないようである。

(3)ナショナル・セキュリティのために行われる監視活動を事前に許可するための独立した機関を設置することが想定されていない。

(4)法執行機関や諜報機関の活動がプライバシーを不当に制約しないことの監督について懸念がある。例えば、警察がGPS捜査や電子機器の使用のモニタリングをするために裁判所の許可を求める際の司法の監督の質について懸念がある。

(5)特に日本では、裁判所が令状発付請求を認める件数が圧倒的に多いとのことであり、新しい法案が、警察が情報収集のために令状を得る機会を広げることにより、プライバシーに与える影響を懸念する。

ここに指摘されていることは、国会で議論された「一般人も対象とされるのではないか」「準備行為とそうでない行為とをどう区別するのか」などと重なるとともに、あまり国会では議論されなかった「独立した機関の設置」「プライバシーを守るための適切な仕組み」「令状主義の強化」「司法の監督の質」などに触れており、今後の共謀罪の運用に対しても重要な論点を提示していると言える。

 

5. 私たちはいま、どのような社会にいるのか?

共謀罪の成立が私たちの社会に何をもたらすのかを占う意味でも、共謀罪以前の社会がどのようなものであるのか、再確認しておきたい。

(1)大垣警察市民監視事件

2014年7月、岐阜県大垣市での風力発電施設の建設に対する市民運動を警察が捜査対象とし、その情報を事業者に伝えていたことが発覚した。その内容は、思想傾向や活動歴、市民間のつながり、学歴、年齢、果ては病歴にまで及んでいた。

これは、施設の建設が自然破壊や健康に影響するのではないか、と心配した住民の勉強会が始まったことを問題視した警察が、捜査したものである。2015年6月の国会での質問に対して、警察庁警備局長は「通常行っている警察業務の一環である」と答弁した。

何ら犯罪に結びつかない市民活動について、本来収集すべきでない機微にわたる個人情報を調べ事業者に伝えていたという、とんでもない捜査を、「通常の業務」と言って謝罪すらしないのが、現在の警察の実態である。

(2)大分警察隠しカメラ事件

昨年6月、参議院議員選挙の時に、大分県別府市にある連合大分の支部事務所を監視するため、その敷地内に隠しカメラが設置されていることが発覚し、同年8月には関係する警察官4人が建造物侵入容疑で書類送検された。

しかし、同月26日の警察庁通達では、「捜査用カメラによる被疑者の撮影・録画は、その捜査目的を達成するため、必要な範囲において、かつ、相当な方法によって行われる場合に限り任意捜査として許される」としており、隠しカメラによる捜査自体は否定していない。

(3)GPS捜査最高裁大法廷判決

今年3月15日、最高裁大法廷は「GPS捜査は、・・・個人の行動を継続的、網羅的に把握することを必然的に伴うから、個人のプライバシーを侵害し得るもの」として、「刑訴法上、特別の根拠規定がなければ許容されない強制の処分に当たる」と判決した。

この判決が出るまでGPS捜査を任意捜査としていた警察庁は、2006年6月に都道府県警宛てに出したマニュアルで「保秘の徹底」を指示し、「捜査書類には、移動追跡装置の存在を推知させるような記載はしない」などとしていた。

これは、警察庁自らが、GPS捜査が強制捜査であり、根拠法なしでは違法であると認識していたからではないか。この違法捜査は、実に10年以上にわたって密かに実施されていたのである。

(4)新たなスノーデン文書の公表

今年4月24日及び27日のNHK「クローズアップ現代プラス」では、日本に関する13の未公開ファイルについて放映した。これは、スノーデン氏がネットメディア「インターセプト」を介して公開したものだ。

世界の電話や通信のほとんどは海底の光ファイバーケーブルを通りアメリカを経由しているが、アメリカのNSA(国家安全保障局)は、こうしたデータを根こそぎ収集している。

今回公開されたファイルには、こうした膨大な情報から個人名やキーワードで検索するとメールや電話、ネットの閲覧履歴など全てを見ることができる「XKEYSCORE」というプログラムが、日本に提供されたという報告書も含まれている。パソコンやスマホにアクセスし、遠隔操作でカメラを起動し、盗撮や盗聴をすることも可能だという。

日本政府は、「コメントは控える」(菅官房長官)としているが、手書きのサインもある報告書が示されており、信頼性の高い情報と思われる。

(5)日本の警察は、世界でも類を見ないほど秘密主義的であると言われているが、そうした中、新たな捜査技術が法規制も不十分なまま活発に利用されている。

例えば、公道における通過情報を収集しているNシステムであるが、その収集した情報をデータベース化すれば、事後的に移動履歴がたどれることになり、GPS捜査と同様の問題が生ずる可能性がある。しかし、その運用状況は明らかにされていない。

次に、DNA型データベースは、DNA型記録取扱規則に基づき2005年9月1日から運用されている。しかし、この規則は、法律に基づくものではなく、あくまで行政ベースの規定に過ぎない。また、DNAの提供は、強制捜査だけでなく任意捜査による場合もある。そして、任意捜査の場合、必ずしも捜査の必要性との関連が重視されていないのが実態である。「究極のプライバシー」とも言われるDNAについては、国家による無限定な収集・利用の危険から個人の尊厳を守るためにも、民主的コントロールが不可欠だ。少なくとも、採取・保管・利用・抹消、監督・救済機関等について立法化すべきである。

さらに、最近は監視カメラの精度の向上により、顔認証技術の活用も進んでいる。2014年度からは、全国5都県警察(東京、茨城、群馬、岐阜及び福岡)において、顔認証装置が実験的に導入されている。仕様書によれば、「選択した地点の全ての顔検知画像と登録顔画像の照合が可能であること」とされている。ある地点におけるすべての人の顔画像が撮られ、事後的には移動履歴もたどれるため、GPS捜査と同様の問題が生ずる可能性がある。しかし、その運用実態は明らかでない。

 

6. まとめに代えて

以上見てきたように、すでに私たちの社会は、国家が市民を強力に監視できる状況になっている。その上に共謀罪が認められ、警察のフリーハンドが拡大することに不安を覚えるのは、筆者一人ではないであろう。

近年、特定秘密保護法や安保法制(戦争法制)により、市民の知る権利が狭められつつある。それは、民主主義の前提となる政府の政策に関する判断材料が欠落することを意味する。さらに共謀罪が加われば、犯罪が具体的な危険性を持たなくても、犯罪の実行行為がなされるよりはるか以前の段階で有罪とされるのである。その立証のために警察は、市民の内心に立ち入ることを躊躇しなくなるであろう。そして、通信の秘密が侵される心配から、市民は、言うべきことも言わない方がよいと萎縮し、言論・表現の自由も失われ、ひいては個人の尊厳まで失う恐れがある。

もしそうなれば、民主主義のプロセス自体が破壊されてしまい、回復困難となってしまう。今こそ、国家による監視に対していかに民主的なコントロールを実現するか、真剣に考え行動に移すべき時代に来ているのではないか。

最後に、改めて憲法第12条を引用して、この論稿を閉じたいと思う。

「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。」