朴金優綺さん
女性差別撤廃委員会の日本審査があった10月。日本における交差性・複合差別の実態は明らかになっておらず、政策や法的枠組みも不足している。自身が在日朝鮮人3世で、在日本朝鮮人人権協会で活動する朴金優綺(박김우기)(キム・パク・ウギ)さんにお話を伺った。
─学生時代で記憶に残っている経験は?
初級部1年生の頃から朝鮮学校に通ったことは良い経験でした。入学式の時は初めて朝鮮の名前で呼ばれたりして驚きましたが、朝鮮人というアイデンティティを自分の中で違和感なく育めました。逆に朝鮮学校に通っていたからこそ感じた疎外感もありました。例えば中学2、3年生の時にチマチョゴリ(民族服)の制服を着て通学していたのですが、通学途中にすごく強い視線を横から感じて、パっと見たら、(当時の記憶では)50代~ 60代くらいの日本人女性に見える人が私のことを睨んでいました。すごく怖くて。あれほどの憎しみを込めたまなざしを人から受けたことはありません。
─そのあとは?
少年の主張コンクールへの応募を先生に提案され、書きました。何も悪いことをしていないのに、なぜ怖いまなざしを向けられたのだろう? チマチョゴリを着ていたから? 私が朝鮮人だから? という風に考えました。その時初めて、自分とは何者か、どういう風に見られているのかについて考えました。
─「在日朝鮮人」といわれることに違和感を感じたことはありますか?
違和感というか、何度か 「在日朝鮮人」の意味について考えました。自分のアイデンティティはすんなり受け入れることができましたが、もう少し広く、在日朝鮮人や日本人といった、民族に基づくカテゴリーやアイデンティティについて考えたのは次の段階です。
─マイノリティ女性といわれることは?
在日朝鮮人コミュニティも一枚岩ではありません。在日朝鮮人女性の経験について、同じ「朝鮮人」や同じ「女性」という枠組みだけでは語れない、生きづらさや生きがいがあるのだと、インターセクショナリティという概念に出会ったとき、改めて確認しました。他のマイノリティ女性たちと共有できることあるいは異なることもたくさんあります。しかし元をたどっていくと、アイヌや沖縄、在日朝鮮人の女性は、日本の帝国主義・植民地主義の暴力の中で、民族 的な側面においてもジェンダー的な側面においても被害を受けてきたという共通性があると思います。そうした中で、(他のマイノリティ女性に)会うとすごくうれしいし、一緒に頑張ろうという風に思います。男性中心主義に基づく秩序が未だに色濃く残っている現代において在日朝鮮人女性たちのさまざまな経験を知らせていくことは、コミュニティの発展に必ず貢献すると信じており、そのために尽力していきたいです。
─マジョリティがマイノリティとともに活動するためには?
日本に関しては、加害の歴史について学び、認識していくことだと思います。多少の解釈のずれはあるにせよ、歴史から学ぶ姿勢を大事にしていない人と一緒に活動することは難しいと感じます。逆に、日本の加害の歴史や自らの特権性に真摯に向き合っている人とは、立場は違っても一緒に同じ課題に取り組むことができると思います。日本の学校教育では近現代の日本の加害の歴史がほとんど教えられず、そのような歴史を否定する言論もまん延している中で、正しい歴史認識を持つことはやはり喫緊の課題ではないでしょうか。