IMADR通信219号 2024/8/8発行
親川 裕子
非常勤講師・IMADR特別研究員
2024年のジェンダーギャップ指数で日本は118位だった。「女性」とひとくくりにされだが、そこには違いや多様性があり、様々な側面を持っている。真のジェンダー平等は「すべての女性」にとって平等になった時にのみ達成されるのではないか。
IMADRフェローでもある、沖縄県中南部に位置する宜野湾市で生まれ育った親川裕子さんにオンラインで話を伺った。
─ 学生時代で鮮明に覚えていることは?
私は普天間基地の近くで育ったので、大きな騒音には慣れていました。米軍のヘリコプターの音によって授業が中断されることは日常茶飯事でした。大学進学で沖縄北部の名護市に引っ越し、軍用ヘリがない場所の静かさに驚きました。また、今まで通っていた学校の設備(クーラー、二重ガラスなど)が基地周辺整備の予算から捻出されていたことに気づきました。さらに沖縄島南部の人たちは、軍の音がどれほど大きいか知らないため、私のような体験をしていないことにも驚きました。大きな音などが日常生活の中にあったため、それがおかしい、差別だ、と気づくのには時間がかかりました。
─ 社会運動に関わり始めたきっかけは?
1995年に3人の米軍兵士による少女レイプ事件が起きました。その翌月の県民大会に約8万5千人が集まったというニュースを読んで、参加すればよかったと後悔しました。それまでは、米軍基地があるから被害があるのは仕方ないと思っていました。しかしこのニュースを見て、怒ってもいいのだと気づきました。同時に、無意識のうちに諦めていたことも痛感しました。
─ 特に印象に残っている活動は?
2009年の女性差別撤廃委員会(CEDAW)による日本政府報告書審査です。中でも、アフガニスタンの Zohra Rasekh 委員にロビーイングしたことは忘れられません。沖縄県での低出生体重児の割合が全国平均の2倍であるということや、爆音が妊娠中の人びとに及ぼす影響について話し、因果関係の政府調査の必要性を伝えました。すると会期中に、同委員が日本政府に対し質問してくれました。そこで条約審査の面白さ、国際社会で発言することの大切さを実感しました。
─ 活動を始めた時と現在での変化は?
沖縄県内でも国際人権の枠組みが注目されていると感じます。沖縄県知事が人権理事会(HRC)の場で声明を読み上げました※1。また、女性のエンパワーメントを感じます。私が社会運動を始めた頃、ジェンダー問題に取り組む人は「意識高い系」と思われていましたが、近年は変化を感じます。特に沖縄において、今まで継続的に活動してきた女性たちの力強さを痛感します。様々な女性たちの活動の延長線上に刑法改正や新法律施行があったことを踏まえると、声をあげることの重要性を痛感しています。
※1 2015年に翁長知事、2023年に玉城知事が沖縄の「自決権」に関してHRCで声明を読んだ。
IMADR事務局