選択的夫婦別姓を求めて30年 ─立法、行政、司法の不作為を問う

坂本 洋子
NPO法人mネット・民法情報ネットワーク理事長

はじめに

2024年4月1日、女性だけにあった再婚禁止期間
を廃止する改正民法が施行された。
もともと、女性の再婚禁止期間は6か月であったが、2015年に最高裁が100日を超える期間を違憲と判断し、政府は、2016年の民法改正により規定を100日に短縮した。さらに、2022年の改正で廃止し、今年4月1日に施行した。
1996年の法制審議会答申の柱であった婚姻最低年齢、再婚禁止期間、婚外子相続分規定が改正された一方で、選択的夫婦別姓導入だけが、答申から28年経過しても法改正されていない。

 

戦後すぐに始まった見直しの議論

夫婦同姓の見直し論議は、戦後の憲法制定による民法の大幅改正時にすでに行われていた。法改正には至らなかったが、その後も、法制審議会では夫婦別姓を認めるかどうかの議論は行われてきた。
国連が1975年を国際女性年とし、翌年からの10年を国連女性の10年と定めたことは、国内での選択的夫婦別姓運動を後押しした。選択的夫婦別姓を求める国会請願は1975年に初めて提出され、以降、半世紀にわたって提出されている。請願権は、憲法16条のもと基本的人権の一つとして定められている。国会がきちんと議論を行わず、半世紀も採択しないのは、国会が基本的人権を軽視しているということである。
民法改正運動は1970年代に始まり、1980年代に全国に運動団体が結成された。90年代に入ると運動がネットワーク化され、1996年の法制審答申の前後には、民法改正を期待して運動が最も活発化した。
政府は、1985年に女性差別撤廃条約を批准し、男女平等施策を推進するための国内行動計画を策定。1991年の新国内行動計画には「男女平等の見地から夫婦の氏や待婚期間の在り方を含めた婚姻及び離婚に関する法制の見直しを行う」と明記した。これと軌を一にして法制審議会が議論を開始し、5年歳
月をかけて答申に至った。

 

政権交代でも実現しなかった民法改正

法制審答申が立法化されなかったことから、民法改正運動は次第に下火になっていった。期待が高まったのは、選択的夫婦別姓に慎重な自民党から、賛成の民主党へと政権が交代した2009年の解散総選挙だ。政権交代で法務大臣となったのは野党時代に選択的夫婦別姓の議員立法案を筆頭で提出してきた弁護士の千葉景子氏。男女共同参画担当大臣となったのは、民法改正運動をリードしてきた弁護士の福島みずほ氏で、所管の2大臣は就任早々の会見で翌年の通常国会での民法改正に意欲を示した。
民主党は2010年1月、通常国会で民法改正案提出の方針を決定した。ところが、連立を組む国民新党の亀井静香金融担当大臣が衆議院予算委員会で反対だと答弁し、民主党内にも慎重な意見が相次いだことから、2010年3月、当時の鳩山内閣は民法改正案の閣議決定を見送った。

 

夫婦同姓強制規定の違憲性を問う国賠訴訟へ

政権交代するまで議員立法案を出し続け、民法改正を公約に掲げた民主党が政権をとった初めての通常国会で、内閣提出法案はもちろん、議員立法案すら提出されない皮肉な結果となった。
政権交代に大きな期待を寄せていた当事者やNGOは、民主党政権に失望するだけでなく、立法府に対する不信を一層深めていった。衆・参両院で、選択的夫婦別姓に賛成が反対を上回ったのは2010年の通常国会までであったため、立法での解決は難しく、司法への訴えの検討を始めた。
2011年2月14日、夫婦同姓規定が、個人の尊厳や両性の平等を定めた憲法や女性差別撤廃条約に違反するとして、富山、東京、京都に住む男女5人が東京地裁に、初めての国家賠償請求訴訟を提起した。

 

政権交代でロビー活動は裁判支援へ

2010年の参議院選挙で「夫婦別姓」に反対の公約を掲げたのは自民党、与党の国民新党、たちあがれ日本の3党だった。選挙で自民党が躍進すると、参議院では反対勢力が多数を占め、衆議院と参議院とで、いわゆるねじれ状態となった。
2012年の解散総選挙では、たちあがれ日本が、夫婦別姓に賛成の橋下徹氏率いる大阪維新の会と合併して日本維新の会となり、亀井氏が離党した国民新党とともに、反対を公約には掲げなかった。しかし、唯一反対を掲げた自民党が圧勝し、政権を奪還した。自民党総裁の安倍晋三氏が総理に就任すると、立法解決はほぼ絶望的となった。
民法改正運動を行ってきた弁護士やNGOが中心となり、夫婦別姓訴訟の代理人や別姓訴訟を支える会として支援を行った。保守政権で、国会ロビーは減少し、裁判支援が中心となっていった。

 

期待を裏切り続ける司法

改姓に苦しむ当事者たちが声を上げたこと、報道各社の世論調査で選択的夫婦別姓に賛成が反対を大きく上回ったこと、立法での解決が望めないことから、司法判断に期待が高まった。しかし、最高裁大法廷は2015年12月16日、規定を合憲と判断し、請求を棄却した。最高裁は「この種の制度の在り方は、国会で論ぜられ、判断されるべき事柄である」とし、夫婦別姓反対の安倍政権下の国会に議論を委ねた。しかし、国会は動かず、2018年3月に第2次訴訟が提起された。最高裁大法廷は2021年6月23日、夫婦同姓規定を合憲と判断し、議論を再び国会に委ねてしまった。

 

法改正を後押しする動き

選択的夫婦別姓を求める声はますます大きくなり、選択的夫婦別姓導入の民法改正や議論を促す地方議会の決議もかつてないほど行われ、政府や国会に意見書が送付されている。
今年に入ると、経済界からも民法改正を求める声が大きくなった。経団連の十倉雅和会長が1月17日、加藤鮎子女性活躍担当大臣との懇談会で、結婚後に夫婦が同じ姓を名乗ることを義務づける日本の制度が企業活動を阻害しているとして、選択的夫婦別姓制度の導入を求めた。国際女性デーの3月8日には、企業経営者らによる有志の会が、経団連など5団体とともに、選択的夫婦別姓の早期導入を求めて、法人役員ら千人超の署名を添えた要望書を政府に提出した。

 

国連女性差別撤廃委員会からの勧告

今年10月、国連女性差別撤廃委員会による第9回政府報告審査が行われる。同委員会は2003年以降、2009年、2016年の審査でも民法改正を行うよう厳しく勧告した。特に2009年には、民法改正をフォローアップの対象とした。フォローアップ制度は、一括勧告とは別に、実現可能な1ないし2項目をピンポイントで勧告するものだ。
外務省は、国連女性差別撤廃委員会が日本政府に送った公式文書を、2年以上も非公表にしていた。問題の文書はCEDAWが2018年12月17日付で日本政府に送ったフォローアップ審査の評価文書で、選択的夫婦別姓導入などの民法改正や、アイヌ、部落、在日コリアンなどのマイノリティ女性に対する差別禁止法制定を勧告したものだ。
国会でそのことを問われた茂木敏充外務大臣は謝罪し、再発防止を約束したが、前代未聞の不祥事であった。

 

選択的夫婦別姓実現に向けて

今年3月8日、第3次となる夫婦別姓訴訟が提起
された。
今年は、衆議院総選挙が確実に行われる見込みだ。自民党政権を倒して民法改正を行うのか、最高裁が動かない国会に痺れを切らせて違憲判断するのか、選挙、裁判、国連審査を注視したい。
第3次訴訟では必ず違憲判断がなされると確信している。婚外子相続分差別規定では、1995年に最高裁大法廷が合憲と判断したが、大法廷は2013年に、ようやく違憲判断した。しかし、違憲の時期は2001年まで遡った。合憲判断からわずか6年で違憲と判断したことになる。夫婦別姓訴訟では、2015年の合憲判決からすでに9年が過ぎている。もはや、立法解決を期待して、合憲判断することなど許されないし、あり得ない。
選択的夫婦別姓の実現は、「男女平等や少数者の人権が尊重されるかどうかの試金石」と訴えてきたが、同時に、「憲法から具体的権利を引き出す司法となるかの試金石」とも考える。
来年の通常国会で民法改正が行われるよう全力で闘いたい。