狭山事件と立ちはだかる法の壁

片岡 明幸
部落解放同盟狭山闘争本部長

狭山事件の現状

狭山事件は今年、事件発生から61年目を迎えた。部落解放同盟は一昨年(2022年)に創立100年を迎えたが、1世紀にわたる運動の過半の歳月を、狭山裁判闘争に掛けてきたのだ。その狭山裁判は、いま大きな山場を迎えた。2010年に長い間の念願であった証拠開示が実現し、これまで隠されてきていた証拠191点が開示された。弁護団は、それらの開示証拠をもとに次々と新証拠及び鑑定書を作成し、2022年8月29日、満を持して11人の証人(鑑定人)尋問を裁判所に請求した。このうち石川有罪の決め手とされてきた万年筆インクの鑑定は、事件を根底からひっくり返す強力な武器である。石川さんの自宅から発見された万年筆は、被害者のものではないことが白日の下に晒さらされたのだ。弁護団は、万年筆インクについては、裁判官の職権による鑑定実験を要請した。狭山事件は文字通り正念場を迎えている。

ところで狭山事件は、2度にわたって再審請求が棄却され、いまは3度目の請求中である。この第3次再審は2006年に請求してからすでに18年がたっている。長いながい再審裁判が続いている。なぜこのような長い裁判になるのか。そこには再審にからむ大きな法の壁が立ちはだかっている。

そもそも再審とは、冤えん罪から無実の人を救済するための最後の手段として、確定した裁判をもう一度やり直す裁判制度である。しかし、裁判のやり方を定めた法律(刑事訴訟法)には、この大事な再審についてわずか19カ条しか書かれておらず、どのような場合に、どのような手続を経て再審が行われるのかというルールはまことに不明確である。そのため、審理の進め方は、担当した裁判官の「さじ加減」次第というのが実態だ。足利事件、布川事件、袴田事件などの冤罪再審事件がマスコミに取り上げられるたびに再審法が問題になったが、本格的な改正議論は起こらなかった。しかし、昨年日本弁護士連合会(日弁連)が再審法改正案を公表して国会での審議を求め、それにこたえる形で今年3月に超党派の「えん罪被害者のための再審法改正を早期に実現する議員連盟」が結成され、ようやく動きがみられるようになった。そこで再審法改正をめぐる主な争点を、狭山事件との関連で取り上げたい。

 

証拠開示のルールを

再審裁判の問題の一つは、証拠開示のルールがないことだ。

狭山事件においても、検察官は、弁護団が求める証拠開示について、「開示の必要がない」「求める証拠があるかないかも明らかにする必要がない」など、不誠実な対応に終始してきた。いまも重要なスコップやタオルの証拠開示を拒んでいる。

そもそも裁判は証拠にもとづいて事実の認定を行うと定められている(刑事訴訟法317条)。その証拠の大部分は、警察と検察が強制的な捜査権と税金を使って集めたものだが、警察・検察はそれを独占して私物化している。いっぽう、私人である被告人や弁護人は、それらの証拠を対等に見ること、利用することができない。最初から裁判は不公平である。検察官は有罪を立証するための証拠だけを提出すればよいと考え、被告人に有利な証拠は見せようとしない。また、裁判所も、検察に証拠を強制的に提出させる法的根拠はないとしてきた。2005年の改正刑事訴訟法施行で導入された「公判前整理手続」によって、不十分ながら弁護側が証拠の開示を求める法的な根拠が示され、また、検察官の手元にある証拠の一覧表を請求することまでは認められるようになった。しかし、依然として検察官は不都合な証拠を隠し、見せようとしない。それが冤罪を生む大きな原因になっている。じっさい、袴田事件の「5点の衣類」に代表されるように、これまで無罪となった冤罪事件のほとんどすべてにおいて、検察や警察が無罪の証拠を公判に提出せず、隠しつづけていたことが暴かれている。

冤罪をなくすためには、証拠をすべて開示させる制度が欠かせないことは明らかだ。とくに再審請求では、証拠開示は重要な意味をもつ。というのは再審を開始する必要があると裁判所に認めさせるためには、確定審までに提出されなかった新しい証拠によって無罪を立証しなければならない規定があるからだ(刑事訴訟法435条6号)。

 

検察官の不服申立ての禁止

2点目は、再審開始決定に対する検察官の不服申立ての問題である。現在の再審法では、苦労の末、ようやく再審開始が認められても、検察官が不服を申し立てたために再審開始決定がひっくり返ることがよくある。じっさい袴田事件、大崎事件などでは、検察官が抗告(不服申立て)を行ったために開始決定が取り消されたというひどい事態が起きている。考えてみてほしい。そもそも冤罪を晴らすための再審開始を獲得するためには、再審請求人は通常裁判で無罪判決を得るよりもはるかに多大な労力と長い年月をかけなければならない。この苦労を無視して、検察官の不服申立てを認めることは、実際上、再審による救済を有名無実化するに等しい。

袴田事件の袴田巌さんは、2014年に静岡地裁で再審開始決定が出て47年ぶりに釈放された。釈放のテレビを見て、無罪になってよかったと思った国民も多かった。ところが、実際に再審裁判が始まったのは、昨年になってからだ。検察官が不服申立てを行ったためにいったん決まった再審開始決定がひっくり返されたのである。鹿児島・大崎事件では3度も再審開始決定が出たのに、そのたびに検察が不服申立てを行い、再審が実現しないまま数十年も経過している。再審開始決定に対して、検察が上訴して取消しを申し立てることができるいまの再審制度は、いたずらに裁判を長引かせ、無実の人を苦しめるだけだ。狭山事件でもこうした事態にならないとは誰も言えない。仮に再審が決定されても検察官が不服申立てを行えば、再審開始は反故になってしまうのだ。

 

再審手続の整備

3点目は、事実調べなど再審の手続を整備し、ルー
ルをつくることである。すでに述べたように、再審にはきちんとしたルールがない。実際、再審を請求しても、何年も放ったらかしにされているケースも珍しくない。このため再審の申立てがあったら、裁判所は何か月以内に進行協議を開くというルールが必要だ。また、再審の要件とされる新証拠が発見された場合、最低限申立て理由(新証拠)について説明する機会を与えるというルールが必要だ。狭山事件では、証拠開示によって191点の証拠が出てきた。弁護団はそれをもとに新証拠261点を提出してきたが、裁判所はいまだに事実調べを行おうとしない。冤罪をくつがえす新証拠が真摯に取調べられず、再審請求が棄却されては、冤罪被害者はたまらない。

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再審法は矛盾だらけである。昨年、日弁連が再審法改正案を公表し、超党派の「えん罪被害者のための再審法改正を早期に実現する議員連盟」がやっと結成され、ようやくこの不備を法改正すべきだという動きが出てきた。冒頭、狭山事件もいよいよ大詰めを迎えたと説明したが、石川一雄さんは今年85歳になる。最近、めっきり体力が衰えた。もう残された時間はあまりない。石川さんの再審無罪を一日でも早く実現するためにも、再審法改正は緊急の課題である。狭山事件では、一刻も早く鑑定人尋問と証拠開示を実現して、再審の扉をこじ開けたい。そのためにも再審法の改正が急がれる。