世界はなぜイスラエルによる ジェノサイドを止めることができずにいるのか?

役重 善洋
同志社大学人文科学研究所嘱託研究員

 

昨年10月7日のハマース等ガザの諸抵抗組織による大規模越境攻撃を契機として始まったイスラエル軍によるガザ攻撃はすでに100日以上継続しており、1月20日現在、3万人以上の住民が命を奪われている。加えて、保健・医療機関や上下水道等のインフラが破壊され、負傷者を含めた避難者がガザ地区南部の避難所に密集する状況の中、感染症の蔓延による犠牲者の増大が危惧されている。今世紀において最も深刻だと言われる人道危機状況を私たちは目撃している。

連日、現地からは、絶望的な状況の中で何とか生き延びようとする人々の必死の訴えや、殺されてしまった人々の無残な姿、その傍らで泣き崩れる人々の痛々しい映像がSNSやメディア報道を通じて拡散されている。その理不尽さに突き動かされ、世界各地で、この日本の地を含め、かつてない規模の抗議行動が組織されている。

 

なぜ虐殺を止められないのか?

そうした中、多くの人々が、なぜいまだに停戦が実現せず、この状況を止めることができないのかという問題に改めて向き合わざるを得なくなっている。この問いに対する答は、実は単純である。パレスチナ問題は欧米植民地主義が引き起こした問題であるにもかかわらず、その展開において欧米キリスト教世界における歴史的な反ユダヤ主義とイスラーム嫌悪が深く連関しているがゆえに、現在においても問題の認識が著しく歪んでいるということが、その答である。

ヨーロッパ・キリスト教世界において、ユダヤ人はパレスチナに「帰還」すべきだという聖書解釈が生まれたのは宗教改革期のイングランドである。当時イベリア半島から追放されたユダヤ難民の大半はオスマン帝国が受け入れたが、「宗教戦争」に明け暮れていた欧州諸国の中でもオランダやイングランドなどプロテスタント国も、ハプスブルク帝国への対抗戦略上、ユダヤ人の居住を一定程度許容した。しかし、それは少なくともイングランドにおいてはユダヤ人の平等を認めるということを意味せず、最終的に彼らはパレスチナに「帰還」してプロテスタントに改宗し、英国とともにオスマン帝国を崩壊に導くという、十字軍的な終末プログラムの一部として受け入れられたのであった。

その後、より具体的にユダヤ人のパレスチナへの「帰還」を提唱したのは、オスマン帝国に対する帝国主義的進出を推し進めようとしたヨーロッパ・キリスト教世界の政治家たち─フランスのナポレオンやイギリスのパーマストン卿など─であった。しかし、ラビ・ユダヤ教の伝統は、ユダヤ人のパレスチナへの集団的「帰還」を厳しく禁じており、ユダヤ人自身によるシオニズム運動が現れるのはユダヤ人の世俗化および人種主義的反ユダヤ主義が急速に広がる19世紀後半を待つ必要があった。

つまり、シオニズムの起源は、ヨーロッパにおける国民国家形成の過程における不安定要因として政治問題化されることになったユダヤ人を自国の帝国主義政策のために利用しようとしたジェンタイル(非ユダヤ人)・シオニズムにある。ヨーロッパのユダヤ人は、ジェンタイル・シオニズムの考えをおよそ3世紀にわたり拒否し続け、自分たちが暮らしている土地における自由と安全を確保しようとしてきた。この姿勢が掘り崩されることになる最大要因は、ナチスによるユダヤ人迫害であった。

ジェンタイル・シオニズムは、国民国家システムと整合的な政教分離原則を打ち立てたヨーロッパ・キリスト教世界が、自らの領域的アイデンティティのあり様をユダヤ人に投影し、押し付けようとしたことから生じた。すなわち、「国をもたない民」を「国をもつ民」へと「正常化」させることが唯一のユダヤ人問題の解決法だと観念されてきたのである。そして、その「ユダヤ人国家」を、オスマン帝国内のパレスチナに設定することは、十字軍意識を根底に置きつつ、多民族・多宗教が共存するオスマン帝国を分断し、国民国家化しようとする戦略に接続された。近代ヨーロッパにおいてユダヤ人は非領域的アイデンティティの希少な担い手であり、それがゆえに厳しいレイシズムの標的とされてきたが、他方、そのようなアイデンティティのあり方は、イスラーム世界に暮らす様々な宗派コミュニティにとってごく標準的なものであった。しかしその状況は、国民国家体制を基準とするヨーロッパ中心主義的視点から見ると、専制的なイスラームによる少数宗派に対する圧政とみなされ、各宗派的コミュニティはそれぞれの「歴史的領域」において主権を認められるべきで、そのためには軍事的介入も正当化されるという考えにつなげられた。イスラーム世界に対するヨーロッパの侵略・植民地支配は、このような観念の下で展開され、パレスチナ問題を生み出したのである。

 

「川から海まで」というスローガンがなぜ問題となるのか?

ガザ抵抗勢力の越境攻撃から2日後の10月9日、仏・独・伊・英・米の5か国による声明が出され、イスラエルに対する「堅固な支持」とハマースに対する「断固たる非難」が表明された。翌日、バイデン大統領は、ハマースの攻撃を「純粋な悪が解き放たれた」と表現し、反ユダヤ主義と結びつける演説を行った。その後、ガザの犠牲者が増えるにつれ、西側諸国のこうした論調は抑制されつつあるものの、基本的な論理構成に変化はない。

そこに共通していることは、10月7日以前から続くイスラエルのパレスチナに対する占領・アパルトヘイト等の抑圧政策についての言及が一切ないことである。したがって軍事占領下の人民が抵抗権を有するという基本的な認識も完全に欠落している。

他方、世界各地で沸き起こっているパレスチナ連帯デモでは、「川から海までパレスチナは解放される」というスローガンがこれまでになく強調されている。「川から海まで」というのは、ヨルダン川から地中海までということで、イスラエルを含めた歴史的パレスチナ全体を解放しようという意味である。これに対し、シオニスト諸組織は、イスラエルの破壊、すなわちユダヤ人の虐殺を煽動する反ユダヤ主義的スローガンだと非難してきた。実際、英国では、このスローガンを口にしたアンディ・マクドナルド議員が労働党から除名処分を受け(10月30日)、米国では、このスローガンが含まれるパレスチナ連帯を訴える映像をSNSに投稿したラシーダ・トライブ下院議員が問責決議を受ける(11月7日)など、この間のイスラエル・ロビーによる活動の焦点となっている。

「川から海まで」があたかもパレスチナ連帯の共通スローガンになっている状況は、イスラエル・ロビーによる理不尽な攻撃がこのスローガンの政治的重要性を人々に感得させているという理由だけによるものではない。第二次インティファーダ以降、パレスチナ解放運動において「二国家解決」への期待が、とりわけ若い世代においては、ほぼ完全に消滅し、南アフリカ式の脱植民地化を目指す動きが広がっているということが重要である。イスラエル側においても、やはり「二国家解決」への期待は霧散し、すでに現実となっているイスラエルによる全パレスチナ支配という既成事実を変えようとする世論はほとんどなくなってしまっている。

こうした状況と呼応し合うかたちで、2021年から22年にかけて、ヒューマンライツウォッチやアムネスティ・インターナショナルなどの国際人権NGOがイスラエルの対パレスチナ政策を、アパルトヘイト禁止条約の定める人種隔離政策に該当しているとする報告書を相次いで発表した。これらの報告書は、被占領地のパレスチナ人だけでなく、イスラエルの市民権をもつパレスチナ人や離散パレスチナ難民に対するイスラエルの政策が総体としてアパルトヘイト体制を構築していると指摘する。すでに専門家・研究者の間においても大きな認識変化が起きつつあるのである。

10・7以降の情勢変化は、ますますこの状況を加速しつつあるように思われる。ガザにおけるジェノサイドを国際社会が止めることができていない状況は、国民国家体制そのものに対し決定的な不信を人々に与えている。外国人・女性・性的少数者等々、現行体制において差別・排除されてきた人々が、国境を越えたパレスチナ連帯に様々なかたちで関わり、インターセクショナルなネットワークを広げつつあることは、まさに非領域的アイデンティティの復権を思わせる状況といえる。それは、現行の国民国家体制が保障できていない国際法や人権理念を実効力あるものとするための新たな世界秩序形成に向けた重要な第一歩ということができよう。