ワークショップにおけるジム・フィッツジェラルドさんの報告を要約する。
ERT(Equal Rights Trust)事務局長のジム・フィッツジェラルドです。私たちERTは平等法の開発、採択、実施や活用を支援するために活動している独立した国際的な非政府組織です。特に包括的反差別法の必要性や、その内容について重点を置いています。生活のあらゆる分野において、あらゆる事由による、あらゆる形態の差別を禁止し、国家がすべての人の参加の平等を促進する法的枠組みを提供する法律、それが包括的反差別法です。これが私たちの専門分野であり、活動の中心であるため、この実践ガイドを作成することになりました。
このガイドの作成には3年ほどかかりましたが、実は過去15年間にわたる私たちの集大成とも言えるかもしれません。そして今後、5年、10年さらにその先のロードマップにもなるものではないかと考えています。
私からは、なぜ、どのようにして、そして誰のために実践ガイドを作成したのかをお話しします。またこの包括的反差別法の制定が、差別撤廃と参加の平等を促進し、誰一人取り残さないという努力のために必要不可欠であると考える理由について述べたいと思います。
法律だけでは不平等を完全になくすことはできません。そのことは十分に認識しています。ただ、こうした法律は絶対に必要な前提条件だと考えています。平等な世界をつくるための完璧な土台、基盤だからです。
実践ガイド作成の経緯
では、まずなぜこの実践ガイドに着手したのか。2020年の初頭、新型コロナウイルスのパンデミックの前に話を戻したいと思います。私はここにいるOHCHR(国連人権高等弁務官事務所)のクロード・カーンとともに、キルギス共和国の首都ビスケクにいました。私たちはこの地域を担当する国連のカントリーチームとキルギス共和国政府に招聘されたのです。というのも、キルギス共和国政府は最近、UPR(普遍的定期的レビュー)を通じて世界各国から、包括的反差別法を策定し制定すべきだという多くの勧告を受けていました。キルギス共和国政府はこの勧告にどのように対応すべきか理解をしたいため、専門家である私たちを招き、会議を開きました。会議では、これまでもクロードと私が各国の政府から受けてきた質問と同様の質問が出ました。
その質問は大まかに3つに分けられます。
第一になぜ「包括的」と冠される反差別法が必要なのか。国によっては、憲法ですでにさまざまな理由による差別を禁止する規定があったり、女性の平等参画や障害者の権利を規定する具体的な法律が制定されているところもある。また、雇用分野における差別を禁止すると規定しているところもある。では、なぜ総合的で包括的と言われる反差別法を追加で制定する必要があるのか。
第二に、どのような国際法や条約に基づいて包括的反差別法を制定する義務があると主張しているのか。多くの国家は、包括的反差別法は人種差別撤廃あるいは女性差別撤廃委員会などから制定するよう勧告を受けたことはない。条約でも求められていないのに、なぜそのような義務があると考えるのかと疑問を抱きます。
そして第三に、包括的反差別法とは、実際にはどのようなものか。基本的な特徴や構成要素は何か。
以上のような質問を受けました。クロードと私はこれらの質問にできる限り答えるよう努めました。そして会議の後、私たちはこれまで同様の質問をどれほど受けてきたきただろうと、同じように考えていることを確認しました。私たちはお互いにこの話をするなかで、OHCHRとERTがそれぞれ、包括的反差別法を制定する法的要件やその他の要素についてガイダンスを作成することを計画していると知りました。そこで、私たちは実践ガイドのプロジェクトを共同で進めようという結論に至ったのです。
2020年の初めに共同で実施することを合意し、このガイドの作成を決めました。当時このプロジェクトには1年ほどかかるだろう、おそらく50~100ページ程度のものになるだろうと想定していましたが、最終的には3年近くを要し、できあがったガイドは250ページ以上、脚註は1000以上にもなりました。プロジェクトは膨大な規模と範囲に拡大しましたが、それらすべてがよい効果をもたらしたと思っています。
ガイド作成のプロセスにこれほど時間がかかったのも、できあがったガイドがこれほど大きくて分厚く詳細になったのも、この運動の目的と、私たちがこうしようと決めたプロセスに適っています。
実践ガイド作成の目的
この実践ガイドを作成するにあたり、私たちは大まかに3つの目的を持ちました。これは、先ほどの3つの質問にも連動していると思います。
まず、この分野における国際法の遵守には、専用の、そして包括的な反差別法の制定が必要であることを明確にし、そしてそれを強調すること。このことを明確、明白、そして決定的に権威のあるものとしたかったのです。
そして、国連のシステムの中の1つに組み込みたいと考えました。また、これらの法律が、国際法を遵守し包括的かつ効果的であるために必要な内容について、詳細かつ具体的なガイダンスを提供することを目的としました。利用者にとって非常に明確で、市民社会にも、政策立案者にとってもわかりやすいものであること。同時に、既存の国際法や基準・原則に明確に立脚しているものを提供したいと考えました。
3つ目に、この分野における国際的な基準を統合し、体系化することです。これら諸権利に関する国際的・地域的、制度内および制度間における用語や慣行、解釈の多様性を認め、そして異なるアプローチを調和させる必要がありました。世界で初めてとなる世界人権宣言が採択されて70年以上過ぎても、ときには、解釈に不一致や矛盾があったりする。こうしたことに包括的に対応できるようなガイドを作りたいと考えました。これによって非常にパワフルなプロセスが誕生しました。
私たちはガイドが次のような役割を果たすことを期待しています。 1つは法改正に向けた具体的な行動のきっかけとなることです。つまり、政府内で何かしらのきっかけになってほしいと考えています。
また、法整備に関わる多くの人のロードマップになることを望みました。非常にシンプルで誰でもわかるような文言にし、どの地域でも、どの国でも使えるようなものにしたいと考えました。
同時に百科事典のようなものにもしたいと考えました。国連や地域のシステムの枠組みから、全ての基準や解釈事例、分析を集めています。
もっとも完全で包括的なプロセス
実践ガイドの作成にこれほど時間がかかり、その結果これほど詳細な文書ができあがったもう一つの理由は、私たちが踏んだプロセスにもあります。当初から、このプロセスを包括的かつ協力的なものとし、国連にとどまらず、市民社会、学術界、法曹界、政府、そして世界のあらゆる地域から最上となる知見や、専門知識を結集したいと望んでいました。そこで、広範囲で徹底的な調査をおこなうかたわら、徹底的な協議を重ねました。ERTのリサーチ責任者であるサム・バーンズは、国連人権諸条約だけでなく、条約に関するすべての解釈文書を詳細に調査しました。また、学術界や市民社会の分析も調査し、世界のさまざまな地域や国からもたらされたすぐれた実践を調べました。また調査と並行して、広範な協議にも取り組みました。元国連特別報告者、著名な学識経験者、司法関係者や弁護士、独立した国内人権機関の代表者など、様々な地域から集まったメンバーで構成された諮問委員会を設置し、研究の構想から最終化のレビューに至るまで助言と水先案内の役を担ってもらいました。
そしてこの分野における多くの複雑な課題を検討するために、世界的な協議会を開催しました。3~4回にわたって実施し、そのたびごとに進化させながら50人以上の異なる専門家と協議を重ねました。その中には国際人権NGO、国際的なトランスジェンダー組織、また障害者組織や、さまざまな地域の方たちがいました。
私たちがこのようなプロセスを踏んだのは、もっとも完全で包括的な方法を取りたかったからです。結果、このガイドは一方では国際的・地域的な法的基準の百科事典に近いものとなりつつ、同時に国家が法整備を行う際の実践的なツールキットになりました。そして、この包括的反差別法を国内で整備する際に、皆さんにとってひとつの手引になることも願っています。
すべての人間が自由であり平等である
クロードにバトンを渡す前に、なぜこの法律が不可欠なものなのかということに話を戻します。
1つは、今年でちょうど75周年となりますが、すべての人間が自由で平等であるという世界人権宣言があり、そこにすべてがあるからです。私たちは、すべての人間が自由であり平等であるということにコミットしています。しかし今日、世界の60%以上の国家が包括的かつ効果的な反差別法を有していないと推定されています。このような法律がなければ、国家は差別を禁止し撤廃する義務を果たすことが出来ません。そして、誰一人取り残さないという、私たちの大望を達成することもできません。
包括的な反差別法がなければ、あらゆる事由による、あらゆる形の差別に対処できません。
世界人権宣言75周年を契機として、日本のような国家が包括的反差別法を策定し、制定することが必要とされています。