関東大震災朝鮮人・中国人虐殺百年

林 伯耀

関東大震災朝鮮人・中国人虐殺百年犠牲者追悼大会実行委員会(準備会)事務局

 

 来年、2023年9月は、多くの朝鮮人・中国人が虐殺されて百年になる。日本社会総体がこの歴史に誠実に向き合い、犠牲者の尊厳の回復につとめねばならない。

 

何が行われたのか
 虐殺は官憲主導でおこなわれ、民衆がそれに積極的に呼応した。早くも地震の起きた9月1日午後には「朝鮮人が放火をした」、「朝鮮人が暴動を起こす」等の流言飛語を警察官が触れ回ったという記録が多く残されている。9月2日、「戒厳令」が布告され、軍隊が出動した。午後には治安当局中枢部の内務省警保局が「朝鮮人が暴動を起こした」と認定して、その情報をすぐに近県の行政・警察に伝えるとともに全国に流す措置をとった。翌3日朝8時15分、「東京付近の震災を利用し、朝鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行せんとし、現に東京市内に於いて爆弾を所持し、石油を注ぎて放火する者あり、…鮮人の行動に対して厳密なる取り締まりを加えられたし」との電文が内務省警保局長名で船橋海軍送信所から各地方長官宛に送られている。かくして、各地に在郷軍人会らを中心に自警団が組織され、その数は関東地方だけでも3000余あったという。軍隊、警察、及び自警団を中心とする民衆によって多くの朝鮮人、中国人が虐殺された。また日本の社会主義者や労働運動の活動家や、朝鮮人、中国人と間違われた一部日本人民衆も虐殺された。
 虐殺された朝鮮人の数は当時の上海の大韓民国臨時政府の12月5日付けの機関紙「独立新聞」に発表された調査報告書によれば6000人以上である。調査したのは、留学生を中心とする在日朝鮮人で、「在日本関東地方罹災朝鮮同胞慰問班」として調査したものである。中国政府は調査団を派遣し、加害者の処罰、被害者への賠償、中国人の身の安全を要求した。虐殺された中国人については、当時の中華民国駐日公使館による中華民国僑民被害調査表及び日本に調査団として派遣された王正廷等の被害調査表及び上海の温州同郷会等の調査表によれば、受傷者を含めてその被害者総数はおよそ800名に達する。明らかに日本国内で起きた他民族大量虐殺事件(ジェノサイド)である。
 官憲主導で行われた朝鮮人・中国人大量虐殺事件は、政府の隠蔽工作と責任回避に終始した。軍警による虐殺の責任は問わず、一部自警団員のみへの問題にならない数の立件と形式的裁判によって事件の真相はうやむやにされた。帝国議会での問題提起はあったが、政府は「目下調査中」と言って逃げ切った、今日に至るも誠意ある説明はない。
 戒厳令で戦時体制に入った軍隊や警察、更に国家主義と排外主義の虜となった民衆にとっては、当時の日本の植民地政策と侵略に反抗した朝鮮人、中国人は、敵であり殲滅の対象とされた。1919年の朝鮮独立万歳運動、中国の五四運動等は、日本社会に朝鮮人、中国人に対する恐怖心と憎悪を掻き立てた。中国人労働者については震災前からの日本政府による中国人労働者に対する労働禁止、強制送還等の中国人排斥政策が、仕事を奪われたという日本人労働者の敵愾心を煽り、虐殺の御旗となった。現江東区の大島町で起きた大島町中国人集団虐殺事件は、生活と労働の権利を守る中国人労働者に対する人夫頭、警察、在郷軍人、日本人労働者による計画的な報復であった。当時の中国政府は多くの中国人労働者や留学生の虐殺の事実を知って日本政府に対して強く抗議し、①加害者の処罰と公表、②被害者への賠償、③在日中国人の安全の保証を求めた。更に臨時国務総理まで務めたことのある王正廷を団長にして調査団を日本に派遣した。しかし、日本政府は徹底して隠蔽工作に終始した。震災一年前に中国人の生活と労働の権利を擁護するために組織された僑日共済会の責任者、王希天は、大島町での中国人労働者の被害調査と救援にあたっていたが、9月12日軍により「反日の頭目」として密殺された。日本政府は中国政府の抗議に対して「行方不明」と言って嘘を通した。中国政府の度重なる抗議に、翌年5月、清浦奎吾内閣は持ち回り閣議で中国人被害者への慰謝料として20万円の支払いを決定したが、実行されていない。
 戦後、在日朝鮮人を中心に、この虐殺事件が何度も提起され、その真相究明、責任の所在が問われたが、日本社会がそれと正面から向き合うことはなかった。

 

責任を不問にした延長線上にあるもの
 虐殺事件の責任が不問にされてきたことは、あたかもそれが社会によって肯定され、当時の政府の行為が正当化されてきたかのような印象を与える。事実、このような状況が、日本政府と、今日までの日本社会の底辺深くに他民族排斥:他民族蔑視の根を広げてきた大きな原因の一つと言えるだろう。それはまた、今日、各地で日常化して、ますます攻撃的になっているヘイトスピーチやヘイトクライムに繋がってきたと考えられる。かつての植民地や中国、アジアで多くの女性を性奴隷として連行し傷つけたことについて、日本政府は誠実に対応することはない。中国や朝鮮半島から強制連行されて来た人々の尊厳を回復する要求も拒絶し続けている。朝鮮学校授業料無償化除外問題は日本政府の偏見と差別的言い分が司法によって肯定され、在日の若者たちの心を傷つけている。入管収容所は、今や日本政府から「不法」滞在と判断された行き場のない人たちの刑務所にさま変わりしている。多くの外国人が、人間を人間として扱わない入管当局の非人道的な処置で命を落としている。2020年1月4日、川崎市ふれあい館に「在日韓国人をこの世から抹殺しよう、生き残りがいたら残酷に殺しに行こう」との年賀はがきが届いた。2021年7月から8月にかけて、韓国民団・愛知、名古屋韓国学校、京都府ウトロのコリアン集住地区の民家など在日コリアンに関係する施設・住居などへの連続放火事件が発生している。他民族への差別的動機に基づく犯罪・ヘイトクライムが後を絶たない。一世紀前に大量の朝鮮人・中国人の迫害虐殺を主導した官憲とそれに呼応した民衆の他民族排外・蔑視の思想は今日更に根を深くして生き続けている。

 

悲劇の再演を許さない
 二十一世紀は過去の帝国主義、植民地主義の負の遺産を清算する時代に入ったと言われる。2001年に南アフリカで開催されたダーバン会議(「人種主義、人種差別、外国人排斥および関連のある不寛容に反対する世界会議」)では、「植民地時代の奴隷制は人道に対する罪であった」と認定され、「奴隷制、大西洋越え奴隷取引、アパルトヘイト、ジェノサイド等の悲劇の犠牲者への謝罪と尊厳の回復、及び補償の道義的義務が認められた」。国連加盟国である日本も道義的義務がある。
 日本国内で一世紀前に起きた他民族大量虐殺事件ジェノサイドもまた人類史の一つの教訓としてその真相が明らかにされ、世界史の中に正しく位置づけられねばならない。その罪過は、国際人道法、国際人権規範に従って清算されるべきであろう。
 百年は一つの歴史の区切りである。官憲の主導下に、軍隊、警察、民衆によって敢行された他民族大量虐殺事件ジェノサイドと、今こそ日本社会総体が歴史の事実に誠実に向き合い、犠牲者の尊厳の回復に努めねばならない。真の共生社会の実現のためにも、その作業は容易ではないが、どれだけ時間がかかろうとも続けられねばならない。
 さあ、百年前に、あの恐怖の排外主義の嵐の中で、急に襲ってきた竹槍で、鉄棒で、鳶口で、銃剣で虐殺されていった全ての犠牲者の魂の前に、我々は深く静かにこうべをたれよう!彼らを襲った恐怖。彼らが受けた苦痛と無念、彼らの行き場のない怒り、彼らの絶望的な悲しみとふるえた鼓動を我々のものにしよう!
 そして誓うのだ。二度とこのような悲劇の再演を許さないと!