武者小路先生の遺志を受け継ぎ、 反差別国際運動の発展を!!

【武者小路公秀さん プロフィール】  IMADR事務局長(1990年より)。IMADR 日本委員会理事長(1997年より)などを歴任。  国際政治学者。学習院、上智、ノースウェスタン、明治学院、フェリス女学院、中部大学で教鞭をとる。1976年から89年まで国連大学副学長。専攻は国際政治学。ヒューライツ大阪会長、ピース大阪会長、ACFOD(アジア開発文化フォーラム)理事などを務める。 著書に『転換期の国際政治』(岩波書店、1996年)『人の世の冷たさ、そして熱と光』(解放出版、2003年)他多数。

 

長年にわたって反差別国際運動(IMADR)の発展に尽力された武者小路公秀先生が、去る5月23日、92歳でお亡くなりになったとの訃報に接し、まさしく「巨星墜つ」の思いです。

反差別国際運動の関係者の中で、最も長い期間、様々な面で先生と活動を共にしてきた一人として、追悼の言葉をささげたいと思います。

先生の反差別国際運動への参加は、1990年3月、タイのバンコックで開催された第2回総会以降で、お亡くなりになるまで事務局長、副理事長、共同代表理事、名誉理事長を歴任されました。

およそ30年に及ぶ、先生の反差別国際運動での活動に対して、2002年には松本治一郎賞が授与されていますが、とりわけ以下の功績をあげることができると思います。

〇全国部落解放運動連合会などの執拗な反対活動のために、2度にわたって継続審議となっていた反差別国際運動の国連NGO協議資格取得が、1993年7月に先生を先頭にした関係方面への働きかけによって実現したこと。

〇1995年11月、アメリカ・ニュージャージー州で第4回総会が開催され、第3代目の理事長としてニマルカ・フェルナンドさん(スリランカ)が選出されましたが、ニマルカさんを反差別国際運動に招き入れたのは先生の働きかけがあったこと。

〇反差別国際運動は、1995年9月、北京で開催された第4回世界女性会議に参加、99年6月には、スイス・ジュネーブで「人身売買問題に関するNGOと国連・政府間組織との対話会議」などを開催し、女性差別、複合差別(交差差別)、人身問題に積極的に取り組みましたが、先生はその中心的な推進者として活動されたこと。

〇2001年9月、南アフリカのダーバンで、国連人種主義・差別撤廃世界会議が開催されましたが、先生は反差別国際運動の代表・日本政府代表団顧問として大きな役割を果たされたこと。

先生は、2021年1月に病気で入院される直前まで反差別国際運動の更なる発展を願っておられましたが、追悼文の最後に、今日でも有効な反差別国際運動25周年記念冊子(2013年6月)のあいさつ文で述べられている「今後への期待」を紹介しておきます。

21世紀の新しい人権の闘いに、非西欧の知恵をもとにして参加している反差別国際運動は、西欧近代啓蒙主義に依拠する他の人権NGOとは違った方向から、現代の新自由主義に依拠するグローバル覇権主義に挑戦しようとしています。反差別国際運動が指向している人権伸長の路線には、特に今日の日本社会の中でこれを否定・圧殺しようとする反動勢力が世論を支配しています。その挑戦に対して闘うことこそ、25周年を迎えた反差別国際運動の使命でしょう。

●友永 健三(反差別国際運動・顧問)