外国人HIV陽性者の経験が明らかにした医療アクセスの課題

青木 理恵子

特定非営利活動法人CHARM

 

薬がない!

2020年春頃から「薬がない!助けて!!」という相談が外国人HIV陽性者から入るようになった。私が所属するNPO法人CHARMは、HIV陽性者を対象に10言語による情報提供、医療へのアクセスに必要な手続きの支援等、外国人HIV陽性者の健康や生活の課題を支える継続的支援活動を行っている。

 

連絡を受け次第に見えてきたことは、母国から空輸してもらっていた抗HIV薬が手元に届いていないことであった。国際空輸便は長い間再開されず、2020年2月から2021年2月までの間に21名の人が同じような内容の相談をしてきた。国籍は、アジア、アフリカ、ヨーロッパなど15カ国と多様であった。21名のうち旅行者は3名のみで、18名が中長期在留者という日本に生活基盤を置きながら暮らしている人であった。相談してきた21名のうち16名は診療につながったが、5名は医療を受けることができなかった。

 

HIV感染症と治療

1980年代に日本で最初の症例が確認されたHIV感染症は、薬が開発される以前はHIV=死と思われていたが、1995年に抗HIV療法*1 が開発され、ウイルスの増殖を効果的に抑えることができるようになり、死ぬ病気ではなくなった。

 

その一方で世界では治療をめぐる南北格差も出現し、薬にアクセスすることができない人たちが多数生まれた。影響を受けた南の国のHIV陽性者自身や支援団体が公平な薬の分配を訴えて声を上げ、インドや南アフリカ共和国などでジェネリックの薬品を製造することができる権利を勝ち取った。また国連UNAIDSとGlobal Fundが共同でHIV、結核とマラリアを解消するキャンペーンを開始し、発展途上国でHIVを診療し、薬を処方できるシステムを構築した。2022年現在では世界の大半の国でHIV治療に用いられる抗HIV薬は無料である。世界各国から日本に移住するHIV陽性者は、先進国日本では当然、HIV療法をスムーズに継続できるだろうと予想して来日する。しかし来日してみると現実は違うということに多くのHIV陽性者は戸惑っている。

 

医療を受ける資格のある人が医療につながらない

日本の医療福祉制度は、すべての人を対象としている*2。しかし、実際は、外国籍の人たちが医療を適切に受けるためには様ざまな壁が存在する。
①言葉の壁
近年医療に関する資料は、各自治体や厚生労働省などで翻訳が進んでいる。しかし、これらの情報は限られた地域で利用されているため、来日したばかりの人やインターネットを利用しない人には情報がどこにあるのか、相談はどこでできるのかがわからない。周りに相談できる人や機関がある場合はラッキーだが、それがない場合は制度を利用できる立場にありながらも、誰もその存在を教えてくれることがなく孤立しているという状況が今でも生じている。
移住した社会の情報が理解できない場合は、それまでの自国の経験から理解している情報に頼らざるを得ない。治療が必要な人は不安の中で孤立し、ギリギリまで医療につながれないことが少なくない。コロナ禍で空輸してもらっていた薬が無くなってから相談してきた人たちは入国時に日本での治療に関する正確な情報を提供されておらず、そのまま祖国から薬の提供を継続していたのである。
②社会保障の申請条件
HIVの福祉制度利用に際しての必要条件は日本で感染が判明したことを前提としている。制度を作った時点では、海外で抗HIV治療を受けてきた外国人が日本で治療を継続するとは想定していなかったであろう。実施する検査の種類、検査データの保管方法、治療開始時期などが各国で異なるため、申請条件を日本の常識で決めることで、その条件を満たさないケースが生じている。今回医療にはつながったものの福祉制度を利用できなかった6名の存在がそれを表している。制度利用の条件も国際移動の時代に相応しい基準に更新していく必要がある。

 

医療を受ける資格のある人と無い人の線引き

相談者の中には在留資格のない人も2名含まれていた。人はどのように在留資格がなくなるのかというと、期限までに必要書類を提出することができなければ簡単になくなってしまう。学費が払えず退学した留学生、仕事を解雇された労働者、夫からのDVにより友人宅に避難した女性と子どもも、期限までに入管に出頭しなければ在留資格がなくなる。また、自国では生命が脅かされる危険があり日本に来て難民申請手続きをした人は、仮放免の状態で審査中の期間を過ごすが、健康保険に加入することが許されていないため医療を受けることはできない。

 

日本の医療保険に加入できない外国籍の男性は、国籍を理由として、受診するのであれば200-300%の医療費がかかると言われ受診できなかった*3。外国人医療を医療機関の収入源と位置付けるのは医療の精神に反しないのだろうか。この現象は現在公的病院、市民病院を含む多くの総合病院で行われている。在留資格の種類に関わらず同じ人間であり命の重さは同じである。

 

ウクライナからの避難民の受け入れ体制はあるのか?

日本政府は、今回ウクライナから避難してきた人の受け入れを表明した。各自治体もまた受け入れを表明し、協力する市民団体を募集して、国民全体で受け入れましょう!というような雰囲気を作り上げている。しかし、政府がまずすべきことは、迫害から避難してくる人たちが健康が守られ、持病がある人はすぐに医療を受けることができる体制を確立することではないだろうか。国際基準に合った難民認定の実施、申請中の人への公平で包括的な生活支援や、それらの人びとを強制的に帰国させない保障など一連のことが保障されない限り、受け入れ体制があるとは言えない。空き家の公的住宅と地域のボランティアの力だけでは、避難してきた人が安心して暮らすことができる環境は作れない。

 

●あおき りえこ

 

1 Antiretroviral Therapy (ARV)、多剤併用療法

2 1981年に日本が難民条約に加入したことに伴う国内法の改正により、それまで存在した国籍条項が撤廃された。生活保護だけは外国籍の人に対して準用とされ続け申請結果に対する異議申し立ての権利がない。

3 2016年頃政府は、「医療」を経済成長戦略と位置づけ、来日する訪日外国人を受け入れる医療機関が損をしないよう健全な経営を保障することを優先課題とした考え方の中で、日本の保険制度に加入していない訪日外国人の診療価格を計算した。厚生労働省は、「訪日外国人の診療価格算定マニュアル」をホームページで公開している。このマニュアルは、日本で先端医療を受けることを目的とした医療ツーリズムで来日する訪日外国人を対象としている。日本に生活拠点を持たない外国人を診療する際にかかるコストを診療、通訳、コーディネート、事務、研修などの項目で算出し、日本人患者に比べて多くかかる人数や手間そしてリスクを合計すると日本人患者の2.29倍から4.8倍余分にかかるという結論を示している。 この情報は、医療機関や関連する協会を対象とした研修などを通して全国に発信され、それに基づいて各医療機関は、総合病院では1点=20円という方針を決めている病院が多く大学病院では1点=30円という方針の医療機関もある。保険に加入していない外国人の扱いについては各医療機関が独自に方針を決めているが、外国人を一律に対象としており医療目的で来日する外国人ではない人たちが医療アクセスから排除されている。

 

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