レバノンの移住家事労働者

小松 泰介
IMADR事務局次長 ジュネーブ事務所

2021年8月、新型コロナウイルス感染拡大により、前年から延期となっていた国連人種差別撤廃委員会(CERD)によるレバノン審査が行われた。この審査に向け、IMADRは移住家事労働者の人権問題に取り組むレバノンのNGO「反人種主義ムーブメント(ARM)」にトレーニングを提供すると共に報告書の作成をサポートした。
レバノンには25万人以上の移住家事労働者がおり、そのほとんどはエチオピアやフィリピン、スリランカやガーナといったアフリカやアジアの国々から働きに来た女性たちである。他の中東諸国と同様にレバノンでは「カファラ」と呼ばれる制度がある。これは雇用主が移住労働者の保証人となることで滞在許可証が発行されるというものである。この制度は雇用主に被雇用者に対する絶大な権力を与えるものであり、ただでさえ外部から閉ざされた家事労働という職場を、人権侵害の温床になるのを助長する。ARMの報告によると、雇用主による給料の不払い、パスポートの没収、性暴力を含む身体的・精神的な暴力が横行し、少なくとも毎週2人の家事労働者が死亡している。また、2020年の経済危機によって家事労働者を雇い続けられなくなった雇用主数百人が彼女たちを一方的に家から追い出し、国に帰る航空券を買うことのできない人びとが自国の大使館や領事館の前で野宿を強いられるという事態に発展した。被害者の多くはエチオピア出身だった。
しかし、これらの問題に対する当局の対応は不十分なままである。ARMの報告によれば、被害者が身を守るために職場(住み込み先)から逃亡すると、雇用主の多くは彼女たちが盗みをはたらいて逃げたという虚偽の通報を行い、反対に被害者が強制送還されたり、未払い賃金をほぼ回収できなかったりと、司法や関連機関による救済が満足に機能せず、雇用主による搾取や虐待が続いている。移住家事労働者は労働法が適用されないため、2009年に労働時間や休息などの労働条件や雇用関係について規定する「標準統一契約」が導入され、さらに2020年には最低賃金や退職および移動の自由といった新たな規定が盛り込まれた。これらは市民社会からも一定の前進として受け止められた。しかし、この改正に対する人材派遣会社の業界団体による申し立てを裁判所が認めて以降、当局による改善の取り組みは停止している。また、国際労働機関(ILO)の支援も受けた移住家事労働者の労働組合の登録を当局は認めなかった上に、2015年と2016年には精力的に労働運動をしていた移住女性たちを狙い撃ちにするように強制送還したとARMは報告している。これにより、移住家事労働者の女性たちが自分たちの権利を主張することはより難しくなっている。

審査当日、委員会はレバノン政府代表団との対話の中で移住家事労働者をめぐるこれら一連の問題を取り上げ、彼女たちがベイルート港爆発事故とパンデミックによってさらに過酷な状況に置かれていることに深刻な懸念を表明した。その後委員会はレバノンへの総括所見を採択し、カファラの廃止、移住家事労働者の労働法への適用、家事労働者に関するILO第189号条約の批准といった前回の勧告を繰り返した。また、人材派遣会社による搾取を根絶し、労働者の権利が適切に保護される標準統一契約の採択も勧告した。さらに、移住労働者の司法へのアクセスにおける障害を取り除き、関連法の改善と労働監督官の権限の強化に加え、独立した苦情申し立て機関の設置、十分な調査と加害者の処罰および被害者の救済、そして次回報告書にそのような通報の件数と取られた対応についての情報を含めることを勧告した。今のレバノンの経済状況からすると自力でこれらの勧告すべてをすぐに実施することは難しいかもしれないが、そのような時こそ国内の市民社会や国際社会と協力することが期待されている。