アフガニスタン、RAWAの闘いと共に

桐生 佳子
RAWAと連帯する会 事務局長

8月15日、あまりにも早いガニ政権の崩壊とタリバンによる首都カブール制圧に驚いた。もう少し時間がかかり、その間に何とか包括的な政府が作られるのではとのんきに考えていた私はうかつだった。この間のアフガン情勢についてはテレビや新聞等でずいぶん報じられたので割愛する。
アフガニスタン女性革命協会(RAWA)はいったいどうなるのか?これまでもアンダーグラウンドでの活動を余儀なくされてきた彼女たち。生命の安全は?今後の活動は?と心配であった。早速送られてきたメールでは「大丈夫よ、みんな隠れてる。この前のタリバンの時代も闘ってきたのだし、今回も闘う!」というものだった。その後各地で起こった女性たちの集会やデモでは、タリバンの暴力的な妨害にもかかわらず、RAWAも含め多くの女性たちが立ち上がっている。これまでのメッセージを見ると、今回の政変を適切に分析し、今後の闘いの決意が述べられている。「ほんまに強いなあ」と、やわな私は圧倒されている。これまでの闘いの中で培われてきた力だと思う。
資金難と食糧難で一般の国民は苦しい生活をしている。知り合いの中には食事の回数を減らしているという人もいる。RAWAメンバーに大丈夫か尋ねると、きっと困っているはずなのに「ありがとう、大丈夫」と泣き言は言わない。言ったところでどうにもならないからだと思うが。
RAWAは10月7日に声明を発表した。長文なのでごく一部を紹介させていただきたい。

「(表題)自由と民主主義のためのアフガニスタンの女性の闘いは決して失敗しない・・・タリバンは権力を得たとはいえ、人びとの心の中には存在せず、銃とファシズムに頼る以外に統治することはできないだろう。知識を得ることのメリットを実感し、メディアやソーシャルメディアを通じて世界中の進歩を知るようになった国民は、いつまでも無知と中世の法律の鎖にとらわれているわけにはいきません。・・・・我が国を絶望の波が襲い、特に若者や知識人が逃げ出そうとしている今、アフガニスタン女性革命協会(RAWA)は、すべての民族主義者、自由を求める者、革命家の個人や勢力に対し、大衆を動員するために誠実に闘うことを呼びかけます。いかなる口実であれ、この重要な目的を回避する者は、歴史に恥じることになるだろう。」
(全文はRAWAのHP参照)

「この20年、アフガニスタンの女性たちの人権はタリバン時代よりも良くなっていた」というような報道がある。しかし現実はほとんど変わっていないと言わざるを得ない。もちろん都市部では女性が大学まで進み、仕事に就く人たちもいたが、圧倒的大部分を占める農村部では就学も就労も困難であった。アメリカ軍や政府軍による攻撃とタリバンや武装勢力の攻撃の両方にさらされていたのである。アメリカなどの欧米各国は「アフガン女性の人権を!」と言いながら片方では空爆をし、人びとを死傷させてきたのである。爆弾は女性や弱者を避けて落ちるのだろうか?また、女性の人権活動家やジャーナリスト、法律家など多くの人びとが襲撃され命を奪われるということが2021年までも続いてきた。

RAWAと連帯する会について
RAWAとは、1977年にカブールでミーナーという若い女性が、自由・独立・社会正義・女性の権利を獲得するために立ち上げた政治団体である。ミーナーはその10年後、パキスタンで暗殺された。しかしRAWAはその後も民主主義・人権・平和を求め闘い続けている。
私たちRAWAと連帯する会は、「アフガン民衆法廷」終了後、2004年にRAWAと連帯するために作られた団体である。主には日本にアフガニスタンの状況を知らせること、RAWAの活動を支えるための活動をしている。現地訪問・報告会・講演会・アフガンに関するイベントなどの開催、出版、機関誌の発行などである。これまでの主な支援活動として、RAWAが経営するヘワドハイスクール(パキスタンにいるアフガン難民の子どもたちの12年制の学校)の資金援助や孤児院の支援をしてきた。その後アフガニスタンの某所に小学校を建設し、運営資金を支援している。

アフガニスタンで出会った人びと
RAWAと連帯する会としてアフガニスタンに入ったのは4回だけである。パキスタンではヘワドハイスクール、RAWAが運営に関わっていた難民キャンプ(男子校・女子校・寄宿舎・クリニックなどを運営)、二つの孤児院、識字教室などを訪問した。学校では危険を承知でRAWAということを明らかにして男女平等の教育をしている先生方に出会った。
カブールの孤児院で出会ったのは懐かしい顔。実はパキスタンの孤児院にいた子どもが今はここのスタッフとして働いていた。自分たちが育った孤児院の次の担い手になっているのである。しかも事務局長などの職は孤児院全員の投票で決めているという。なるほど心優しく気配りができ判断力も備え、決して派手ではないが人望がある人であった。女子の中にはRAWAのメンバーになる子もいて、男子にはRAWAのサポーターになっている子もいた。これからのアフガニスタンを考え民主的な社会を自分たちの手で作っていくということだろう。

困難に立ち向かう多くの組織
Humanitarian Assistance for the Women and Children of Afghanistan(HAWCA アフガニスタンの女性と子どものための人道支援)という女性支援の団体がある。
1999年1月にアフガニスタンの若い女性と男性のグループにより設立され、アフガニスタンの戦争と不正義の犠牲者のために、タリバン支配の時代から今日まで、困難な状況下でアフガニスタンの人びとの生活を改善することに努力してきた。主要メンバーはボランティアである。この活動の一つとして、シェルターの運営をしている。私も訪問したことがあるが、問題を抱えた女性たちが住み、弁護士たちが法律の力で彼女たちを救済するために奮闘していた。名誉殺人などの因習も残るアフガニスタンで、命を狙われながらの活動であった。タリバン復活後の今も活動を継続し、首都カブールに逃げてきた新たな難民の支援に奔走している。
Organization of Promoting Afghan Women’s Capabilities(OPAWC アフガン女性能力促進機構)の人たち。この団体は、2003年から女性の能力開発のため、識字教室、賃金を得るための能力開発、健康のための保健所建設等、アフガニスタンの様ざまな地域で活動をしている。この事務所に行くと出迎えてくれるスタッフとは顔なじみで、言葉は通じないが抱き合って再会を喜ぶ。スタッフはいつも前向きに今女性たちに必要なものは何か、一人一人の生活や要望を聞き取り、活動の場を設けている。近年は英語コースやパソコンコースも作っていた。ヘルスセンターでは独自の救急車も必要ということで、海外支援団体にカンパを募り新しい救急車を購入した。また、地方で電気が通らないところに電気を供給するプロジェクトも作り、住民の生活向上に力を尽くしている。
忘れてはならないのが、2007年創設のSocial Association of Afghan Justice Seekers (SAAJS アフガン正義追求者の社会連合)である。私たちが訪問すると、戦争犯罪犠牲者を呼んでくれている。彼らはいつ、だれが、どこで聞いているか、見ているかわからないので証言するには勇気を伴うという。近所の誰が武装勢力やタリバンにつながっているかわからないからである。この40年、アフガニスタンでは戦乱が絶えず、多くの人々が犠牲になってきた。「この戦争犯罪をあきらめるのではなく、証拠を積み上げて法廷で裁いていきたい」と語る。

このような人びとの勇気とたゆまない努力こそがこれからのアフガニスタンを作っていくと考える。それを支えるために私たちは世界からの声を大きくし、必要な支援を続けていきたいと思う。