本の紹介:命を落とした七つの羽根 ─カナダ先住民とレイシズム、死、そして「真実」

ケイン 樹里安
昭和女子大学 特命講師

人種差別主義は奪う、ありえたはずの選択肢を。敬意を払うべき過去、現在の生活と未来の可能性を文化的ジェノサイドと性的虐待、そして秘匿される「真実」から人びとを遠のかせながら、奪おうとする。

本書『命を落とした七つの羽根─カナダ先住民とレイシズム、死、そして「真実」』は7人の象徴的な若者たちの死を中心に、カナダ先住民を取り巻く圧倒的な不平等・不公平、まさしく不正義と呼ぶべき状況を丹念に描く。そして、本書の主題を知ったときに、「知らなかった」と思わず言ってしまった私のような読者たちに問いかける。あなたのまわりに「知らなかった」ことにされている困難があるのではないか、と。
居場所を奪われた若者とかつての若者たちの名を幾度も呼び、カナダ先住民たちがいかにして彼らを探すべく真摯に行動したのかを、なぜこれほどまでに丁寧に描くのか。奪われるからだ。行方知れずとなった若者の捜索を呼びかけるポスターが、商業施設の警備員の手で破り捨てられるように、先住民の困難や状況がマジョリティによっていともたやすく否認され、抑圧的な状況を耐え忍ぶことが強いられるからだ。大切な子どもや行方知れずの若者を探すという営みにおいてすら警察や司法までもが人びとを抑圧する状況を克明に描かなければ、否認によってやがて忘却されてしまう。本書の読みやすくも丹念な記述は、忘却と矮小化、そして抑圧の継続に抗うべく生み出されたものだ。
政治家たちの失言と失政にうなだれる日本語圏のSNSで、移民へのあたたかな目線を思わせながら演説する様子が字幕付き動画で肯定的に拡散されてきたカナダの首相。彼ですら本質的に向き合ってこなかったと指摘される問題こそ、本書が取り上げる否認と抑圧だ。
否認と抑圧は日常の細部におよぶ。タニヤ・タラガが取り上げる場面の数々に、序盤から非常にハッとさせられる。先住民保健センターと自治組織の事務所へと向かう商業施設の古びたエレベーターに「もし故障したら」ではなく「故障したら、ここにお電話を」と書かれたポスターが当たり前のように貼られている。まるで故障することが前提ではないか。煮沸の勧告が数十年も続く飲料水ばかりが提供され、予防可能な病気で子どもたちが亡くなり、栄養不足や糖尿病の問題が世代をまたがって持続していること。「そうではなかったはず」の過去・現在・未来が植民地の過程を経て現在に至るまで、その可能性を奪われているのだ。
「7つの羽根」がたどった軌跡は、植民地化の過程で引き起こされた圧倒的な不平等・不公正・不正義を背景に、親と子を引き離す教育体制が「合理的」かつ差別的なものとして構築されてきたカナダ社会の抑圧の歴史を明るみに出している。
人びとの振る舞いと生活の基盤にかかわる制度やインフラに差別が織り込まれ、それが続けられてきたこと。組織的に、制度的に、歴史的に構築され、差別を維持再生産し、告発を否認するレイシズムが交差的な抑圧として作動するさまを本書は描く。同時に、社会問題をあくまでも「マイノリティの問題」とみなし、特権的なポジションに身を置く「マジョリティの問題」として受け止めないことにこそ、現代社会の歪みの発端があることを本書は示唆する。だから、私たちは何度でも本書を読むべきなのだ。本書で描かれる否認と抑圧と、植民地帝国の過去をもつ社会で生活する私たちは決して無縁ではない。
インタビュー中に対話が成り立たず、苛立ちを感じる著者。だが、苛立ちをもたらしたものこそ社会の抑圧だと気づき、耳を傾けることをやめず、真摯に対峙し続けるなかで本書を世に放った著者の姿勢に見習うべきものがある。

『命を落とした七つの羽根 ─カナダ先住民とレイシズム、死、そして「真実」』
タニヤ・タラガ著/村上佳代訳
青土社 2700円+税
2021年5月