上東 麻子
毎日新聞記者
ビジネスと技術で加速化する「優生社会」
近年、「優生思想」がクローズアップされる事態が相次ぐ。社会を震撼させた2016年の相模原殺傷事件は、障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者ら45人を殺傷した男の「障害者は不幸を作ることしかできない」といった言動が注目を集めた。2018年には旧優生保護法下の強制不妊手術の被害者が国家賠償を求めて提訴した。
同じ時期、長らく「命の選別」と問題視されてきた出生前診断や着床前診断の大幅拡大が打ち出された。LGBTと呼ばれる性的少数者たちを「生産性がない」と公然と差別する政治家も現れた。匿名のネット空間では、相模原殺傷事件をおこした男の言葉に共感を寄せる書き込みがあふれている。
国家が推進した強制不妊は姿を消した。しかし、教訓は生かされているだろうか?むしろ日本は、形を変えて「優生社会」化しているのではないか。本書はそんな問題意識から、現在の「命の選別」の現場を取材したものだ。毎日新聞の連載「優生社会を問う」を元に書き下ろした。著者である私たち2記者は、新聞協会賞を受賞したキャンペーン報道「旧優生保護法を問う」の取材班にいた。過去の歴史を紐解きながら、感じてきたのは「優生思想」に基づく差別は過去の話ではないということだ。障害や難病への偏見や差別は今も残り、さらに科学技術の進化で個人の遺伝子が読み解かれ、ゲノム編集による遺伝子改変も可能になっている。治療への応用に期待が高まる半面、遺伝情報による差別が待ち受けている。
取材で明らかになったのは、そうした技術とビジネス化で「優生社会化」が加速している実態だ。
本書は8章構成でさまざまな現場を扱う。1章は、新型出生前診断ビジネスの話だ。出生前診断の本はたくさんあるが、ビジネスの実態に迫っているのが特徴だ。闇に包まれていた認定外の施設の9割が産婦人科以外であり、美容外科・美容皮膚科が多くを占めることを調査で明らかにし、クリニックやその背後にある企業の実態に踏み込んで報告している。
2章は障害者施設への反対運動。これも全国調査を行い、現場の生々しいルポとともに、グループホームビジネスが影を落としている現状を明らかにしている。3章は、病院が現場だ。生まれた子どもに障害がある時、親が引き取らないケースや、標準治療を望まないケースといった重い現実を取材している。病院の取材は、プライバシーの壁が高いが「悲惨な小児医療の実態を知ってほしい」と特別に医療関係者が取材に応じてくれた。
4章はゲノム編集の遺伝子改変が、どこまで進むのか。この技術が過去の旧優生保護法の問題と同じ構図であることが見えてくる。5章は出生前診断と同様に拡大の方向にある着床前診断を取り上げている。
6章は相模原殺傷事件。この部分は連載「やまゆり園事件は終わったか」として紙面とウェブで本書より先に掲載し、貧困ジャーナリズム賞を受賞した。7章はコロナ禍であぶり出された問題、そして「優生社会化」の先に何が起きるのか。8章はなぜ優生社会化が進むのかについて考察している。
「優生思想」の正体とは何だろうか?そんな問いを胸に、私たちは取材を続けてきた。だが、答えは単純ではない。どの当事者も切実な想いを抱え、いくつもの矛盾した現実が重なり合う。そして善悪が明瞭でない場面にも遭遇するからだ。だからこそ、私たちは「論」でなく「ファクト」を地道に積み上げることにこだわった。「優生社会」はだれも幸せにすることはない。その社会を問い直し、悩みながら解決の道筋を読者とともに探りたい。
『ルポ「命の選別」誰が弱者を切り捨てるのか?』
毎日新聞記者 上東麻子/千葉紀和著
文藝春秋 1870円(税込)
2020年11月