日本におけるコロナ禍と外国人の貧困

稲葉 奈々子
IMADR理事・移住者と連帯する全国ネットワーク運営委員

2020年3月末、新型コロナ感染防止対策で経済活動が停滞し、リーマンショックを超える数の人びとが生活困窮に陥ることが予測された。「反貧困ネットワーク」のメンバーは、「新型コロナ災害緊急アクション」の立ち上げを、生活困窮者支援に取り組む複数の団体に持ちかけた。
反貧困ネットワークは2007年に創設され、2008年末のリーマンショックのときには、日比谷公園の「年越し派遣村」の運営に中心的に携わった。今回も、国がやらないなら市民がやる、とアクションを立ち上げたのは不思議なことではない。反貧困ネットワークは、その設立経緯から、野宿者や派遣労働者、フリーター、シングルマザー、移住労働者など、不景気の時に最初に影響を被る人たちを支援する団体や個人が活動していた。移住連貧困対策プロジェクトチーム(以下貧困PT)も、このときから活動を開始している。
本稿は、「新型コロナ災害緊急アクション」の「緊急ささえあい基金」の支援を受けた外国人の状況に基づいた記述である。

公的支援につなげられない外国人
「緊急ささえあい基金」に移住連貧困PTも参加し、生活に困窮する移住者に1人2万円の支援をはじめたのは、5月1日のことだった。以来、2021年5月31日までに「ささえあい基金」は、外国人からの申請を1337件受け、約4100万円を支援した。支援のために支出した総額の約7割を外国人が占めている。
うち、在留資格がない人(そのほとんどが仮放免者)が438件、在留許可が3ヶ月以下の短期滞在など公的支援が利用できない在留資格70件、中・長期の在留資格を持ち公的支援が利用できる人が677件であった。
もともと地域社会で十数年にわたって生活してきた仮放免者も、新型コロナウイルス対策で収容を解かれた仮放免者のいずれも生活に困窮していた。イラン人やナイジェリア人のなかには1990年代の「外国人労働者出稼ぎブーム」のときに来日し、在留資格がないまま滞在が30年に及ぶ人たちがいた。新型コロナ対策で仕事がなくなり無給なのに、寮費だけを徴収され続けて困窮するベトナム人技能実習生もいる。飲食業に従事するフィリピン人女性や、東海地方で派遣で働くラテンアメリカ出身者も、仕事がなくなり困窮していた。
移住労働者は、日本のなかでもっとも不安定な雇用形態で働き、何かあれば一番先に解雇される立場にある。基金からの支援を受けた人の多くが外国人だったという事実は、外国人支援に携わる者にとっては予想の範囲内であった。しかし、おもに日本人の生活困窮者支援の現場で活動してきた「緊急アクション」の複数のメンバーにとっては、想像を超える事態だったという。「食べるものがない」、「ガスや電気代を払えない」、「家賃が払えない」など窮状を訴える外国人たちの申請書を目の当たりにして、こんなに大変な状況になっているとは知らなかった、と驚きを隠さなかった。特に仮放免者の場合、地域社会で30年にもわたって生活してきた人たちでも、どんな公的支援も受けることもできず、就労も禁止されていると知り、唖然としていた。

外国人はなぜ困窮したのか
新型コロナウイルス感染拡大で外国人はなぜ困窮したのだろうか。最後の砦である生活保護ですら、権利として保障されておらず、行政措置による準用しか認められていない。それも、「活動に制限がなく働ける在留資格を有する人のみ」が対象である。つまり、定住や永住、日本人や永住者の配偶者等の「身分に基づく在留資格」を持つ外国人しか対象にならない。
それでは定住や永住の在留資格を持つ外国人は、新型コロナウイルス感染拡大にともなう収入減で生活保護を申請したのだろうか。厚労省が「生活保護は国民の権利です。(中略)ためらわずにご相談ください」と呼びかけても、福祉の現場では相変わらず「水際対策」が行われている。まして権利ではなく準用の対象である外国人への対応については推して知るべし、である。しかし、実際のところ、水際対策以前に、みずから申請をためらう外国人も多い。なぜならば、定住者の場合、在留資格を更新されない恐怖ゆえにためらうからだ。外国人が生活保護を受給することに、ペナルティが課されているといってよい。
実際には、生活保護を受給したら在留資格が更新されないとはどこにも書かれていない。しかし、永住の在留資格を得るためには「公共の負担となっていないこと」が条件とされている。つまり、外国人が社会保障を利用することは、永住になってすら権利とはみなされていない。そもそも外国人は、「労働力」としてしか想定されておらず、妊娠や病気、不景気による失業などで就労できなくなったときの「生活者」としての存在は認められていない。新型コロナウイルス感染拡大で、仕事を失った外国人に対するセーフティネットが不在であるがゆえに、ホームレスになった人たちもいる。
外国人の場合は、第二のセーフティネットたる生活者自立支援制度や求職者支援制度は、国籍や在留資格の要件がないため利用可能である。しかし現実には日本語の読み書きができないと利用できない。ラテンアメリカ出身の日系人は1990年代に来日して以来、ずっと派遣で工場のラインで働いてきたため、滞在が20~30年近くになっても日本語でコミュニケーションができない人が多い。そのため、職業訓練により、条件のよい仕事に転職できる制度から事実上排除されているがために、より条件の悪い仕事への下方移動が起きている。
日系人のなかには、派遣の工場労働を切られ、日雇いの建設労働を求めて各地を転々とせざるをえない人が現れている。ここで思い出さなければならないのは、バブル経済崩壊後にホームレスになった日本人男性の多くは、前職が日雇いの建設労働だった事実である。安定した職に就くことができなければ、派遣の工場労働から日雇いの建設労働に移行した日系ラテンアメリカ出身者も住居を失ってホームレスになる恐れがあるし、一部では、それがすでに現実のものとなっている。

在留資格がない外国人
なかでも深刻なのは、在留資格がない外国人である。コロナ禍以前は、在留資格がある家族や親戚、あるいは日本人家族によって支えられていた。アフリカ出身者のなかには、日本に来て1~2年しか経っていない難民申請中の仮放免者も多いが、地域社会で30年以上にわたって非正規滞在のまま生活している仮放免者も少なくない。日本での生活が長い仮放免者のなかには、もともと日本人の配偶者等の「身分に基づく在留資格」を持っていた人も多い。定住や永住に在留資格を変更する前に離婚し、在留資格を喪失した結果、仮放免になってしまうのだ。日本での生活が10年以上に及び、子どもが日本生まれの場合、もはや生活の基盤は日本にしかない。コロナ禍で生活困窮が深刻化し、さまざまな公的支援が創設されたが、在留資格がない家族はあらゆる公的なサービスから排除されてしまう。
2021年2月から、反貧困ネットワークは10室のシェルター「ささえあいハウス」を開設した。国籍を問わず入居できるが、5人は在留資格のない外国人である。そのうち3人は路上生活を送っていた。在留資格がない外国人の場合、生活保護を受けてアパート生活に移行する道は閉ざされている。つまり一度シェルターに入ったら、出られる見通しはなく、もはや「緊急一時避難」とはいえない。いっぽうで、住居を喪失し、シェルター入居待ちの外国人のリストは長くなるばかりである。民間による支援たる「共助」はすでに限界に達している。
政府は、在留資格がない仮放免の外国人に就労を禁止するのならば、生存を保障するために公的支援を提供すべきである。つまり、「公助」から排除するのなら、せめて「自助」の道を開くべきである。