ロマ民族の起源実証とその否定論

金子 マーティン
反差別国際運動事務局次長

「罪もない難民」
15世紀初頭あたりから、「色黒の異邦人」が東方からやってきたと記した記録が中央ヨーロッパ諸国の「年代記」や「編年史」に載った。もっとも、それらの人びとの出身地は謎に包まれていた。そこで幾多の「識者」がさまざまな物語を考え出し、エジプトが祖国なので放浪外国人は「エジプト人」などと唱えた。それが訛ってそれらの人びとは「ジプシー」や「ジタン」などと呼ばれるようになった。
そう呼ばれた人びとの民族語を数名の研究者が18世紀後半になって調べた結果、インドが故郷であることが判明した。比較言語学者のヨーハン・リュディガーはそれまで発表されたさまざまな「ジプシー」についての誤謬を批判しつつ、「ジプシーの言語とそのインド起源について」と題する48ページの論文を1782年に発表、はじめてインド起源を学問的に実証した。その9年後、リュディガーはドイツ東部ハレ大学の教授に招聘されたが、彼の学術的業績のみが評価されるべきでなく、その驚異的な人権意識こそが注目に値する。各国政府が遂行した当時の「ジプシー差別政策」をリュディガーは痛烈に批判した。そのリュディガー論文からいくらか抜粋しよう。

「ジプシー政策が転倒した結末になった原因は、彼らの生き方と雲泥の差があるわれわれの世界観を強要したところにある。われわれの恣意的な制度をすべての人間が共有しているわけでもないのに。またそれに絶対的な有効性があるわけでもないのに、それが省みられることはなかった。(…)発端からの対処法の誤りによって、あらゆる国家が恐ろしい犯罪行為に手を染め、恐ろしい内容の通達が連発され、罪もない難民だったジプシーは徹底的な迫害を被った。(…)それが妥当であるはずなのに、ジプシーに完全な市民権を与えた国家はいまだ存在せず、他民族と同等の平等権を付与した国もない。ジプシーは一貫して最下層の身分を構成させられ、惨めな生活という運命を背負わされている。いまだに残るそのような現状は現世とつじつまが合わず、啓蒙時代を生きるわれわれは、そのような現状を恥じねばならない。なぜならば、昔から根づいた民衆の憎悪以外、ジプシーに対するあらゆる侮辱はまったく根拠を欠くからである。(…)ジプシー研究において、たがいに矛盾し合う雑多な意見が主張されたのは不思議でもない。もっとも、そのなかで信頼に値するような意見は皆無であり、混迷はますます深まるばかりだった。より解けなくなる結び目を開こうと努力する者はおらず、何人かはますます意固地になった。そして、ジプシーが独自の民族を形成することさえ完全に否定され、四方八方から寄り集まった盗人などの、ならず者集団がその起源であるとまで主張されるようになった。」

現在、そのような論を流布させようとするのが、ロマ民族の自称も、その民族性(エスニスィティー)も反差別の抵抗権すらも否定するインド起源否定論者である。

インド起源否定論者に猛省を促す
「四方八方から寄り集まったならず者集団」論に対し、「いまだ試論の域を出ない」(水谷驍『ジプシー』、平凡社、2006年、84~85ページ)ともともと冷静な判断をくだした論者も、フランスの「ジプシー研究者」ニコル・マルティネス著『ジプシー(Les Tsiganes)』を読み、認識を180度転回させた。
「ジプシー」のインド起源説は「もはや時代遅れ」とその論者は出版社に吹き込み、編集部が「新版」発行の提案を「快諾」して、水谷驍と佐地亮子の共訳でマルティネス著の日本語訳、『ジプシー[新版]』(白水社、2007年、167ページ)が発行された。
もっとも「時代遅れ」なのは「ジプシーのインド起源説」ではなく、1986年刊のマルティネス著、および21年後に発行されたその日本語訳書である。
1980年代末期から90年代末期、東ヨーロッパ諸国やソ連の「社会主義体制」が崩壊、ユーゴスラヴィアは内戦で解体、EU加盟国も欧州統合で抜本的な構造改革に投げ込まれた。新体制移行後も生活改善が望めなかった東ヨーロッパ諸国の民衆はその怒りを社会的弱者に向け、殺傷事件も含むロマに対する暴力と迫害が再発、東ヨーロッパ諸国のロマによる西ヨーロッパ諸国やアメリカ大陸を目指しての大量移住が1990年以降からはじまった。だが、それ以前の発行であるマルティネス著にその言及はもちろんなく、「時代遅れ」の謗りを免れない。

マルティネス著の日本語訳者2人を紹介しよう。「ジプシーの問題に目が向いたのは、(…)1996年秋のこと」と記憶する1942年生まれの水谷驍は、「日本語で読めるジプシー関連の本を手当たりしだいに読んでみた」結果、「日本におけるジプシー研究―研究といえるかどうか―の現状もまだじつにお寒いかぎり」と感じ、自ら「ジプシー史研究」に乗り出した(水谷、前掲著、248ページ)。国内の先行研究者、新居格、木内信敬、相沢好則や小川悟の各氏に対してこのような思いあがった評価をくだす水谷だが、欧米の研究者が書いたことであれば検証もないまま機械的に日本語訳にする。「『インド起源』にたいする拘泥を捨てなければならない」(220ページ)という主張が主題の『ジプシー史再考』(柘植書房新社、2018年)が水谷の最新著である。
もう一人の訳者、1980年生まれの左地亮子は大学院生としてフランスに留学したころから「ジプシー」に関心を抱くようになり、IMADRロマプロジェクトチームのメンバーとして冊子『「ロマ」を知っていますか』(解放出版社、2003年)の編集作業に協力した。ちなみに「ジプシー⁄ロマ懇談会」主宰の水谷もIMADRロマプロジェクトチームのメンバーだった。『現代フランスを生きるジプシー』(世界思想社、2017年)が社会人類学者左地の主著で、現在は東洋大学社会学部准教授、専攻分野は「ジプシー/ロマ研究」と勤務校のホームページが紹介する。

マルティネが49歳当時の1979年に提出した博士論文に基づく単行本『ジプシー』を筆者が批判する根拠はどこにあるのだろうか。238年もまえに『ジプシー』を著したハインリッヒ・グレルマンは、「今日まで影響をおよぼしつづける人種差別主義的反ジプシー論の最初のイデオローグ」や「自らの研究対象を実見する必要性すら感じなかったため、ロマ民族の実生活でなく、ジプシーに対するさまざまなステレオタイプをわかりやすく、はっきりとしたかたちで描写することに専念した」と酷評される。そのグレルマンと同様の「ジプシー観」をマルティネスも唱えている。「近親相姦」「早婚」「売春」「中毒症」「知的障害」「精神的退行性」「非衛生」「高犯罪率」「無気力」などの否定的側面ばかりをマルティネスは「ジプシー社会」の特徴として列挙し、あげくのはてに「ジプシーに対する拒絶の態度の本質的な理由は、彼らの社会的行動と外見に由来する。つまり、彼らは盗む、遊動する、肌が黒い」(152ページ)という結論に結びつける。このような民族差別的憎悪に満ちた「ジプシー」についての見解を、「学者」による客観的判断と捉えることができるだろうか。
日本人読者の「ジプシー」に対する差別感を煽り、増幅させかねないと危惧せざるを得ない内容の「時代遅れ」で「反ジプシー主義」的な本を、日本の代表的「ジプシー研究者」二人がなぜわざわざ日本語訳にしたのか、首を傾げるしかない。

ほとんど全世界に離散するロマ民族は、どこであろうといつであろうと、中世から現在まで一貫して生存権を脅かされている。日本で不在のそのロマ民族の理解と連帯に寄与すればと願いつつ、小著『ロマ民族の起源と言語―インド起源否定論批判』*上梓した。1,760円と安価なのでお読みいただき、被差別民族ロマのことに関心をもっていただければ幸いである。

*『ロマ民族の起源と言語―インド起源否定論批判』金子マーティン著、解放出版社 2021年3月刊 ISBN978-4-7592-6343-5