インド 水と衛生の権利 ─誰一人取り残さないために

小森 恵
反差別国際運動事務局長代行

持続可能な開発目標のゴール6は「安全な水とトイレを世界中の人に」である。国際NGOのウォーターエイドによれば、世界では10人に1人が安全な水を、4人に1人が適切なトイレを使うことができない。インドでは人口の半分近くにあたる6億人が水を得るために日々ストレスを感じており、たとえ汚れた水であっても使わざるをえない状況にある。農村では1時間に5歳以下の子ども13人が下痢で死亡し、WHOは衛生的なトイレがあればこの数字を減らすことができると考えている。気候変動による干ばつと洪水の繰り返しは、安全な水の利用をますます難しくしている。インド社会の最底辺に置かれているダリットの水とトイレに関する状況について、インドのNCDHRとNACDOR*のレポートをもとに報告する。

水は生命
水は生命と同義であり、人が生きていくうえで欠くべからずなものである。それゆえカースト差別に起因する水に関する人権侵害は深刻な社会問題である。農村のダリット世帯が貴重な資源である水を手にして人間らしい生活ができるかどうかは、貧困、集落の立地条件、地域住民の浄・不浄の観念、役所の福祉サービス、公共の水源へのアクセスにおける妨害の有無などにかかっている。
インドのダリット人口の約20%は安全な飲み水を利用できない。大多数のダリットは、公共の井戸から水を汲むとき上位カーストの善意に頼っている。ダリット女性は他カーストが水を汲み終わるまで、他カーストとは別の列を作って待たなくてはならない。ダリットは自分たちの居住区外にある蛇口や井戸を使うことを許されていない。ダリットが不可触制の行為や差別に異を唱えた場合、仕置きとして数日間水の利用が停止される。
水への闘いは力関係の闘いでもある。貴重な水の分配は、階級、カースト、ジェンダーの3のカテゴリーと密接な関係がある。伝統的なヒンドゥー教のもとでは、ダリットは支配カーストのために奴隷として働くのが当然とされてきた。インド憲法第14条は、カースト、信条、ジェンダー、社会的地位、宗教にかかわらず、すべての人の平等な権利を保障している。しかし、ダリットはいまも不可触制や差別を内在した権力に基づく階層的な社会構造に直面している。

水をめぐる実情
次の数字は、飲料水に関するダリット世帯と他カースト世帯の違いを示している。居住区内に水源があるダリット世帯は27%であるのに対し、他カースト世帯は45.2%である。家から離れた場所に水源がある世帯はダリットで19.5%、他カーストでは14.45%である。
衛生設備については、トイレを使える世帯はダリットが23.7%で、他カーストは42.3%である。排水口へのつながりは、他カースト世帯で50.6%、ダリット世帯で42.9%がもっている。水道設備においてダリットが排除されていることを示す調査がさまざまある。アクション・エイドが11州で実施した調査によると、ダリット全村のうち、48.4%の村で水道設備の提供が拒否されていることが分かった。

事例:コディクラム村には年中おいしい水がでる公共の井戸があり、遠くから容器をもって汲みにくる人もいる。しかし、村のはずれに住むダリットたちは、その井戸に近づくことすらできない。井戸の近くには4つのヒンドゥー寺院があり、人びとの宗教的な感情がダリットを遠ざけさせてきた。
「ダリットに容赦はしない。井戸に近づこうものなら、ミツバチに刺されてしまう」と、年老いた村の女性は言う。若い男性も同じように言う、「村の若者たちは、24時間寺院を見張っている。神聖な場所を汚す者が来ないよう寝ずの番をしている。何千匹ものミツバチが巣をつくっている木が近くにあり、知らない人は刺されるかもしれない。みんなダリットを井戸から遠ざけるために巣をそのままにしている」と、ある青年は言う。マドラス高等裁判所で弁護士をしている男性は、彼の町の人たちもわざわざこの井戸に水を汲みにくると言う。二輪車に乗って、マドライとチェンナイを結ぶ4車線道路を走ってくる。「以前、村に水汲みに行ったとき、子どもたちが寄ってきて『水を飲ませて』と言いました。なぜ自分で飲まないのと聞いたら、『あそこに行ってはいけない』と言われたと。私はその意味が分かり、子どもたちが可哀そうでした。理不尽なことが続けられているのに、支配カーストの怒りを恐れて、誰も声をあげることができないのです」と、彼は語った。(Hindu紙より)

最悪で非人道的な不可触制の慣行はほとんどが水にまつわるものである。公共の井戸を利用しようとしたことでダリットが暴力の被害をうける事件が多発している。生命にかかわる水の権利の剥奪はカースト制度が被支配カーストに与える屈辱を常に思い起こさせる。

女性の窮状
水とトイレへのアクセスの欠如はダリット女性たちを直撃する。家事は女性たちの仕事とされ、水を汲みにいくのもその一つだ。そのため、水汲み場で差別にあうのは女性たちである。家に若い娘がいれば、その子にも水汲みが任され、同じような目にあう。遠くまで歩いて水を汲みに行くため、学校を休みがちになり、いつの間にか退学していることもある。公共の井戸であるにもかかわらず、そこでは支配カーストからの乱暴な言葉や嫌がらせを受ける。時には、ダリット女性が水源に触れないよう、支配カーストがその日の気分に任せてポットに水を注ぐこともある。女性たちは注がれた分量を黙ってもって帰る。浄と不浄の観念は不可触制が法律で禁止された後も人びとの思考を支配している。水の入手と分配も社会構造と強い関係がある。
水へのアクセスは、ダリット女性や子どもの健康に直接影響を及ぼす。女性と少女は摂取したカロリーの半分を水汲みに費やす。質の悪い水と衛生設備は伝染病などの原因となるが、ダリットは医療へのアクセスにおいても差別や排除を受ける。

衛生への権利
ダリットの衛生への権利はトイレだけにとどまらない。ダリットは何千年もの間、インド社会の「廃棄物吸収者」として扱われ、よその家を掃除したり、よその家のごみを自分の家に捨てられたり、さらには、ひどく汚染された地域に住むことを余儀なくされてきた。ダリットは、他カーストとは異なり、衛生設備がそこにあっても利用を許されない。これに加え、他人への衛生サービスの提供というカーストによる職業を担わされ、職業ゆえに「汚い」というスティグマを負わされる。差別の強制は宗教と経済を組み合わせて行われる。ヒンドゥー教義によるカースト制度のもと生業の選択肢が狭められ、強制された職業から脱け出すことができない。
不浄の忌避は分離を促し、手作業による糞尿処理を「精神的な体験」として美化し、実態を覆い隠してきた。アンベドカルはこれを「防疫線による領域的隔離」と呼んだ。隔離は2つの結果をもたらすが、どちらも同時に発生し、互いに影響しあう。隔離のため、ダリットの居住区には衛生設備やその他のインフラが整備されていない。そして、衛生状態が悪いために、「あそこはとにかく汚い」として、他からの廃棄物が捨てられる。ダリットは毎朝ゲットーから出て、誰とも接触することなく裕福な地域を掃除し、仕事が終わると速やかに引き上げていく。
これらより、ダリットの衛生への権利には、(a)水へのアクセスを含む衛生的な環境(b)衛生設備のインフラとサービスへの差別のないアクセス(c)労働衛生管理、社会復帰そしてスティグマ払拭を伴う手作業による糞尿処理と職業の世襲制の根絶、そして(d)他人に自分たちの居住環境を汚させない、これらの権利が含まれる。その中心となるのは、不可触制、スティグマ、カーストに基づく差別の根絶であり、それがない限りインドで衛生への権利を実現することはできない。

*NCDHR 全国ダリット人権キャンペーン/NACDOR ダリット組織全国連合