小川 たまか
ライター
女性は感情的で説明が下手で、男性は冷静で論理的。2020年の現在も、科学的根拠なんて何もないのに、いまだにこんな通説が信じられている。
「痴漢は冤罪が多い」とか「痴漢冤罪が増えている」という統計データは存在しないのに、ウェブ記事やツイッターで「最近は痴漢冤罪が増えているようですが」と書いたところで、誰からもツッコミを受けない。逆に、「女性の多くが痴漢被害に遭ったことがある」と書けばたちまち根拠を求められる。もちろん、少なくない数の女性が痴漢を含む性暴力に遭っているという調査結果は存在する。
ようやく性暴力被害者のための支援機関の必要性について国の中枢が理解し始めたと思ったら、与党の会議で女性議員が「女性はいくらでも嘘をつく」などと言ったらしい。まるで、渋しぶやってやるんだと思っている男性議員の代弁をしてあげるかのように。圧倒的に男の多い議会の中で重用される女性議員は、男性の肩を持つガス抜き要員。
このような状況が理不尽であり、最初から不利な状態でゲームが始まっていることに、私はこの本を読むまではっきりとは気付いていなかったかもしれない。
『私たちにはことばが必要だ フェミニストは黙らない』を読むことは、ただの読書というよりソフトウェアのインストールに近い。感銘を受けるとか知識を得るというような体験ではなくて、価値観がアップデートされる。
タイトルからして、フェミニズムを勉強し始めたばかりの(主に)女性に向けて、理論武装の方法を説く本だと思うかもしれない。確かにそのような部分もあるけれど、それ以上の文量と熱量を持って説かれるのは、私たちには説明してあげる必要はないということである。
「この惑星には性平等を成し遂げた社会がどこにもないのに、どうして『この社会には差別がない』なんてことが言えるのでしょうか。こうやって差別をなかったことにしようとすることばがこれほど強い力を持つこと自体、この社会がどれほど差別に無知なのか平等な社会になるにはどれほど遠いかを実感させます。(略)差別がある、ということにまず合意が取れなかったら、議論をつづけることは不可能です」(本書P51)
根拠のない偏見を持っている人から「説明して、俺を説得してみせてよ」と言われることがいかに多いか。そしてたとえ一人を説得しても、あとからあとからセクシストは出てくるのである。真面目に対峙しようとするフェミニストから疲弊していってしまう。
韓国でも日本でも、どこの国のセクシストでも同じことを言うだろう。「君たちフェミニストは社会を変えたいんでしょう?だったら俺たちにわかってもらえるように説明しないといけないんじゃないの?」と。まるで、靴を舐めろとでも言うように。女性は優しく丁寧に、しなやかな感性で対応しなければいけないと教えられてきた国の女性たちは、こんな風に言われたら「私が悪かった」と思うだろう。でもそんな風に思う必要はもうない。
「最初から同じサイドに立つ気もないのに、言い方が乱暴だの、根拠に乏しいから同意しかねるだの言うのは卑怯というものです。こういう人たちは、なにを正しいと思うかという自分のスタンスを決めることさえ、他人のせいにしているわけですから。(略)いやがる人をむりやり仲間に引き入れようと頑張らなくても、みずから選んだ人たちだけで、世界はちょっとずつ変えていけるはずなのです」(P147)
「痴漢冤罪が多い」はすんなり受け入れられ、「痴漢被害が多い」は執拗に攻撃される国で、言葉で「彼ら」を説得できると思いますか?
私たちに必要なのは説得のための理論武装ではなく、新しい価値観のための新しいことばでありスタンスだ。性差別に反対する人びとが自分を恥じることなくここにいるために、私たちにはことばが必要だ。
『私たちにはことばが必要だ フェミニストは黙らない』
イ・ミンギョン著 すんみ/小山内園子訳
タバブックス 本体1700円+税
2018年12月