現代の部落差別を支える「制度」とは何か

川﨑 那恵*
大学職員・部落エッセイスト

私が部落問題について考え始めてはやくも20年経ちました。先ほど報告のあったアメリカの黒人社会やインドのダリット・コミュニティとは異なり、部落コミュニティがコロナパンデミックでどのような影響を受けているのかは正直なところ分かりません。しかし、「分からない」ということがまさに日本社会における部落問題の見えなさを示していると思います。部落出身者がどこにいるのかも分からないまま、実際にはいろいろなところで部落差別が生じていたり、ネット上ではさまざまに部落に対する誹謗中傷や差別扇動が行われていたりします。私自身も大学に入学するまで自分のルーツについて、部落について、親から話を聞くことはありませんでした。自分の家がそうかも知れないとひそかに疑問を抱きながら大きくなりました。そうした私の疑問に答えてくれたのが大学での教育でした。大学で自分を知り、社会の問題を知り、学んでいくことができました。そこで学ぶということは非常に重要であると感じ、自分にとっての天職だと考え、大学の事務職員になりました。大学では、学生たちにしっかりそのことを見つめ、未来を切り開いていってほしいという思いで働いています。

見えない部落をなぜ差別
今の日本では、私のように被差別部落から出て暮らしている人がたくさんいます。部落出身者は日本の人口の約1%いて、全国には約6千地区の部落があるといわれているので、多くの人は出会っているはず。しかし、なぜか、「部落出身者に出会ったことがない」という人が多いです。最近の関西地区の大学生に対する調査で、9割ほどの回答者が「自分には部落出身者の友人はいない」と答えたそうです。そういうなかでコロナパンデミックが起き、たとえば日本では5万人以上の非正規雇用者を中心に解雇が続いていると伝えられています。では、その5万人の内訳はどうなのか?誰が解雇されたのか?部落出身者はどのくらいそこに含まれているのか、5万人の人びとはどのようにパンデミックの影響をうけて仕事を失ったのか?そのような実態はまったくオープンにはされていないし、どのように影響を及ぼしているのかも見えてきません。また、科学的・医学的知見に基づいてコロナと向きあう、コロナに感染した患者さんのケアがなされるべきと思いますが、日本ではそうならずに、患者、感染者本人が悪いというような誹謗中傷があちこちで起こりました。そうした形でのコロナ感染者に対する差別について、メディア報道や事実を見聞きするにつけ、日本社会について「やっぱりこういう社会なのだ」「これでは部落差別はなくならないな」など感じることが多々ありました。

ネットと差別
このような社会の中で今一番私が心配するのはインターネット上の差別です。たとえば今、私もインターネットを通じてこのセミナーに参加していますが、数年前ならもっと気軽に自分の顔と名前を出して話していました、いえ、むしろ積極的にやらせてくださいと言っていました。しかし、この10年ほどの間、ネット上の差別はとても陰湿になってきており、いつか個人を狙った差別が自分にも降りかかるかも知れないという不安を感じています。
インターネット上で誹謗中傷が氾濫している一方、リアルの生活では「部落差別って何?」「部落出身者と出会ったことがない」「差別する人なんて変わった人でしょ?」「私には関係のないこと」と言う。そればかりか、このように部落問題について語ることそのものが部落差別意識を固定化し広めていくから、語ることを止めろというような圧力も感じます。現に私の親が部落差別から遠ざけて私を育てようとしたのも、そういったこととは関係なく生きてほしいということだったと思います。ただ、学んでいけば部落の歴史や差別のもとに置かれてきた人びとの声は確実に記録され、文献として残されます。そして、研究者や部落解放運動に関わってきた方々から多くを教わり、今の私があると考えています。

根強い忌避意識
京都市が2018年に行った人権に関する市民意識調査の結果が現在、市のホームページに出ています。これは3000名の市民を対象に、1000名ほどの回答があったアンケート結果です。そのなかで、結婚相手を考える際に気になることとして「同和地区出身者かどうか」を挙げる人が2~3割いました。これは世代に関係なく、30歳代から80歳以上まで、どの年齢グループにもほぼ4人に1人が気になると答えています。10歳から20歳代でも6人に1人いました。家を買う時に近くに同和地区があることを気にする人は4人に1人いて、「知人が同和地区出身と分かれば、その人との付き合いを避けるのは問題である」と答えた人は6割前後でした。つまり、4割は、知人が同和地区出身と分かれば付き合いを避けるのは問題でない、付き合わないのは当然だと考える、そういう結果が出ています。もちろんこれは1000名という一部の人たちの回答であり、社会全体をみた場合、どのような属性の人たちが部落に対して忌避意識や差別意識を持っているのかは分かりません。その見えないところで就職や結婚の際に、ひそかに身元調査が行われ、部落出身であることがわかると、不採用となったり、親や親類縁者から結婚を反対されたりすることが起きています。2012年には本籍地や現住所が部落地区であるかどうかを知るために、戸籍謄本や住民票など約4万件の個人情報が売買されていた事件が明らかになりました。

差別の根源を見据える
なぜこういう差別が残っているのかを考えたときに、日本の近代の歴史150年の中で、明治時代に作られた家制度に行きつきます。戦後には解体されたはずの家制度が今も根強く残っていて、そのことが部落差別に深くかかわっていると思います。家制度は男性を中心とした家父長制でもあります。たとえば、個人同士の合意に基づき結婚ができる時代であるにもかかわらず、結婚式会場には「□□家と○○家のご婚礼」と家同士の結婚であるように書かれています。選択的夫婦別姓制度もなかなか実現せず、夫の姓を名乗るケースが全体の9割を占めています。子どもは結婚したカップルのもとに生まれてくるという考えが根強くあり、非婚、たとえばシングルで子どもを生むというようなことは全体のわずか2%に留まっています。ここに見えてくるのは、個人の意思よりも「家」を重視すること、そして「家」が変なふうに見られないよう「家」の構成メンバーである個人を抑圧する、たとえば結婚に反対するなどです。
部落問題は日本の国家がそれをどう解決するかという問題であったと同時に、部落解放運動は同じ日本人になるための解放運動であったのではないかと最近考えます。たとえば結婚差別を語る時、結婚した後の結婚生活は女性にとって幸せだったのか、そこで家庭内暴力は起きていなかったのかなど、解放運動はそういうところにきちんと目を向けてきたのだろうかと思います。そのため、家意識や家父長制を強固に内包した日本という国のあり方そのものを問う視点をこれからの解放運動はきちんと持ち、多様な人たちの声を聞き連帯していくということが重要になるのではと考えています。
文責:IMADR事務局

*川﨑那恵(かわさき・ともえ)
京都在住。両親が大阪市内の被差別部落に生まれ育ち、自身も幼少期に3年ほど父の故郷に暮らす。大阪市立大学に入学した2001年、部落問題を学び始めた。卒業後も大学職員としての勤務と子育ての傍ら、自身の体験談や意見について執筆活動を行なってきた。ウェブサイトでの情報発信を経て、現在は、多様なマイノリティとの交流、差別や人権に関する学習会・研究会への参加など、積極的に取り組んでいる。