奴隷制度を巡る議論の再燃と対立の再来

ラマ・ラングドロル*
アフリカ系アメリカ人仏教僧侶

仏教との出会い
まずはアフリカ系アメリカ人としての私の歴史をお話ししたいと思います。私はアフリカ系アメリカ人で、ジム・クロウ法の時代にニューヨークでクリスチャンとして生まれました。それにもかかわらずなぜ仏教徒になったのか、という質問をとても頻繁に聞かれます。ですので、その点についてお話しします。私はまだ16歳だった1970年に日本を訪れる機会に恵まれました。大阪、京都、東京の寺院を訪れ、富士山麓でのキャンプにも参加しましたが、それはいわば「キリスト教社会から初めて出た経験」で、それまでに感じたことのない心の平和を感じることができました。特に、台風から逃れて富士山のふもとの寺院で過ごした時にその平安を感じました。それ以来、自分が感じた心の平安について、そして自分の家族だけでなくすべてのアフリカ系アメリカ人が影響を受けた奴隷制度というものをある意味正当化してきたキリスト教というものについて、考えるようになりました。当時私はキリスト教徒でしたが、何か変化を起こさないといけない、そして自分にも何か変化を起こせるはずだと考えるようになり、世界中の宗教について学ぶことにしました。最終的にたどり着いたのが平和・平安の宗教である仏教でした。仏教は心の中の平安を説きます、そしてそれはアフリカ人を奴隷にしたことのない宗教でした。これが、仏教こそ私の求める宗教だと確信したきっかけです。

盗まれた人びと
現在のアメリカにおけるBLM運動を考える際、忘れてならないことがあります。それは、アフリカ系アメリカ人はもともと住んでいた土地から奪われ、盗まれてきた人びとであり、数百年間にわたってありとあらゆる犯罪の犠牲になってきた、ということです。アフリカ系アメリカ人が抱える困難について、マーチン・ルーサー・キング牧師は「アメリカは自らが作った文書に誠実でなくてはならない」と表現しました。文書とはアメリカの建国の文書である独立宣言や合衆国憲法です。例えばアフリカ系アメリカ人はこれらの文書に記されている権利を、数百年間にわたって認められてきませんでした。今日私が説明する現在のアフリカ系アメリカ人の困難の背景には、このような歴史があります。

根の深い制度的差別
私はシアトルに住んでいますが、ここはコロナの感染爆発がアメリカで最初に発生した街であり、市民の不安が極端に扇動されている街でもあります。この街でコロナの感染が発生した時、まずパニックが起きました。というのはこのコロナについてほとんど情報がなく、どう対処すればいいのか誰も分かっていなかったからです。そして基本的なニーズである住宅、食べ物、安全をめぐるたたかいが始まりました。さらに国全体がシャットダウンされたことで、人びとは自宅で過ごす時間が増え、数世紀に渡る差別の問題に直面することになりました。
アフリカ系アメリカ人に対する差別には三つの種類があると私は考えています。一つ目は個人と個人の間で起こる差別です。例えば職場や店先など、日常的な生活の中で起きている個人による個人に対する差別です。二つ目は組織化された差別です。たとえば警察組織や金融機関、住宅業界の仕組みが様ざまな差別の温床になっています。そして三つ目が最も重要で、現在多くの人によって認識されるようになってきている制度的差別です。ここでいう制度的差別というのはアメリカ建国の文書、たとえば独立宣言やアメリカ合衆国憲法において、アフリカ系アメリカ人は奴隷のままに留め置かれ、人として含まれなかったということ、そしてこれらが警察制度を含め、いまだにこの国におけるあらゆる仕組みに影響を与えているということです。こういった問題を背景にして、抗議活動が、アフリカ系アメリカ人のコミュニティにおいては非常に深いレベルで行われるようになっているのです。
たとえば私の住むシアトルでは、市議会がアメリカ政府や連邦議会に対して批判をしています。警察署は少なくとも50%予算を削減すべきだという主張が交わされ、市の対応が人種主義や差別に十分ではないということから、市長に辞任を求める声も上がっています。コロナが発生し、アフリカ系アメリカ人のジョージ・フロイドさんが警察によって殺害されて以来、毎日抗議活動が続いています。実は私が住んでいるビルもデモ隊によって24時間体制で囲まれています。もともとこのビルに住んでいたアフリカ系アメリカ人の学生が追い出されそうになっていることを受けて、ビルの所有を求めて運動を起こしているのです。このように、皆さんが目にする一般的なニュースだけではなく、もっと地域のレベルの、自分と近いレベルにおいて様ざまな対立が、長期間にわたる差別の問題をめぐって、人種主義をめぐって、そして絶望をめぐって起こっているのです。

南北戦争以来の社会不安
新しい動きも出てきています。それは銃の所持に対する関心の高まりです。アフリカ系アメリカ人の間でも顕著です。アメリカにおいては銃の所持が合法な州と違法な州がありますが、銃の購入が以前に比べて52%も増加したと報じられています。この背景には、現在の社会不安がもはやコントロールできない状況になるのではないかという恐れがあり、アフリカ系アメリカ人の間でも自衛の手段を講じなければならないという意識が高まっていることがあります。警察の予算が減る中で、自分たちを守らないといけないという危機意識があるのです。その危機意識を背景に、今ブラック・ミリシアという組織が生まれ、自分たちを守ろうとしています。とはいえ、ブラック・ミリシアは内戦を起こそうとしているわけではありません。あくまでも自らを護る力をつけることが目的です。基本的には非暴力で、法を遵守して活動しています。

変容する運動
60年代、70年代の公民権運動を私はこの目で見てきました。さまざまな運動が起きては去りを繰り返してきました。かつて、アフリカ系アメリカ人たちは不満の表現として暴動を起こし、自らのコミュニティ、つまり商店などを燃やしたりしました。しかし自分たちのコミュニティを破壊して何になるのだ?という疑問が共有され、その矛先はコミュニティの外に向けられるようになりました。一方で、BLMなどの運動は、黒人の運動から白人も主体となる運動に変化してきました。黒人差別の問題について、黒人が語るのではなく、白人が白人に対して声を上げるべきだ、という流れが生まれてきました。そういう意味で混乱、暴力の危険が高まっているともいえますが、今後この運動がどのように進展していくのか、私も注意深く見続けていきたいと思っています。
文責:IMADR事務局

*ラマ・ラングドロル(Lama Rangdrol)
アメリカ18世紀の奴隷農場の子孫であり、ジム・クロウ法の時代にニューヨークでクリスチャンとして生まれた。1970年、日本へのユースツアーに参加。大阪、京都、東京の寺院を訪れ、富士山麓で数週間キャンプをした。1994年に仏教に改宗、北カリフォルニアでチベット仏教について学んだのち、仏教とアフリカ系アメリカ人との関連について6冊の書物を出版している。