映画の紹介 :『プリズン・サークル』に思うこと

松波 めぐみ
大阪市立大学ほか非常勤講師

人は、囲いの中に入れられて自由を制限されると、自動的に内省的になるのだろうか?
─ふと、そんなことを考えた。この文章を書いている2020年4月下旬現在、新型コロナウィルスに関わる緊急事態宣言が出され、外出自粛が求められ、私が非常勤講師をしている大学はすべて、「オンライン授業」の方針を決めた。家からあまり出られず、人に会えない。経済的不安もあって息苦しい。感染拡大防止のためやむを得ないと思いつつ、苛立ちが募る。
冒頭の問いだが、むろんそんなことはない。この機会に読書しよう、これまでの生活を振り返ろうなどと思える人がいるとしたら、それは安定した人間関係や生活基盤があってのことだ。現実には、恵まれていると思える知人を羨んだり、感染防止の上で「望ましくない」行動をとっている人を攻撃したりしてしまう。感染者に対して「自己責任」と責め、その家族も含めて忌避するような言動も見聞きする。
私たちは一般に、罪を犯した人は刑務所で「反省」してほしいと考える。だが、実際の彼らは(全員がそうというわけではないが)過酷な生い立ちなどから自分の経験を振り返ることが難しかったり、他人がどう傷つくのかもわからなかったりする。
コロナ禍による自由の制限と、罪を犯した人の服役は、むろん全然違う話だ。だが、「他のことが考えられない」パニック状態を経験している今、2月に見たこの映画の意味を改めて振り返っている。

映画「プリズン・サークル」の舞台は、島根あさひ社会復帰促進センター。受刑者同士が対話しながら犯罪の原因を探り更生を促すというプログラム(治療共同体=TC)を導入する日本で唯一の刑務所だ。受刑者たちはこのTCを通じて、自身が犯してしまった罪に向き合う。それは必然的に、貧困、虐待、いじめ、差別といった幼い頃に経験した苦い記憶とも向き合っていくことになる。聞いてもらえる経験を重ねることで、はじめて自らの経験を言語化できる。他者の痛みを想像できるようになるにはさらに時間をかけたやり取りが必要だ。映画は、何人かの受刑者に焦点をあててその過程を丁寧に描き出し、「人は変わりうる」という暖かな希望を灯す。
誰も、自分がうまれてくる環境を選べない。過酷な子ども時代を生き延びるためには、寂しさ、恐怖、悲しみ、恥といった感情に蓋をするしかなかった。殴られ放置されても「あなたはそんなことをされていい存在じゃない」と言ってくれる人は誰もいなかった。そうして生きていく中で罪を犯してしまった人に対し、ただ厳しい刑罰を与えて何になるだろう。ただ刑期の間「がまん」するだけで、過去も感情も凍り付いたまま、人を信用することもできないままだ。当然、出所後の再犯率は高くなる。犯罪の被害者は(当然だが)加害者を憎み、世間は「こんな奴を野放しにするな」などと言う。
この悪循環を断ち切るために本当に大切な試みの一つが、このTCだ。映画では、出所後に繋がる場を持つ人たちの姿も映し出している。人は大事にされ、聞いてもらえてこそ、人間として生きなおせる。刑務所の大多数がそうした場になっていないことを、もっともっとおかしいと思うべきではないか。
今回、坂上監督は6年かけてこの映画を撮るための取材許可を得たという。そしてこの映画は、(現在上映中断の地域が多いものの)高い評価を得ている。この映画が、日本社会における「罪を償う」や「更正」のあり方を大きく変えていくきっかけになってほしい。同時に、どんな不遇な環境にうまれても、生きなおせるための仕掛けや場がたくさんある社会をつくっていかなくてはならないとも思う。私は何ができるだろう。コロナのことで頭が占領されそうな今、ゆっくりでも考え続けたい。

監督 坂上香 2019年製作/136分
5月16日より「仮設の映画館」で全国一斉配信