スリランカ─強権化がすすむ2020年

小松泰介
IMADR事務局次長 ジュネーブ事務所

2019年11月、スリランカでは大統領選挙が行われ、野党スリランカ人民党(SLPP)のゴタベヤ・ラジャパクサ候補が有効票の52%を得票し当選した。選挙の争点の一つになった同年4月に発生した連続爆破テロ事件後の治安の回復について、2009年に終結した内戦時の国防長官としての経歴を強調し、また兄のマヒンダ・ラジャパクサ元大統領の後押しもあり、多数派であるシンハラ人からの圧倒的支持を受けて当選した。新大統領はすぐに兄を総理大臣に任命し、スリランカ史上初となる兄弟による政権が誕生した。

新政権になり後退した人権状況
前政権は2015年に国連人権理事会決議「スリランカにおける和解、アカウンタビリティと人権の促進(A/HRC/30/1)」に賛同し、戦争犯罪や人道に対する罪の疑いを含む、内戦時の大規模な人権侵害およびそれ以降の人権問題の解決に取り組むことを約束していた。決議には治安部門の改革や憲法改正をはじめ、真実と和解、補償、強制失踪、加害者の調査訴追といった内戦関連の問題を担う各機関の設置などを行うことが明記されている。しかし、2005年から2015年までそれぞれ国防長官と大統領を務めたラジャパクサ兄弟は、戦争犯罪に加えて拷問、強制失踪や超法規的処刑といった深刻な人権侵害の責任を問われており、前政権下で進められてきた「移行期の正義」と呼ばれるこれらの戦後処理の取り組みに強く反対してきた。
2020年2月24日に開会された人権理事会43会期は、閣僚級の各国代表が演説を行うハイレベル会合から始まった。26日にはスリランカのディネッシュ・グナワルダナ外務大臣が演説し、前述の人権理事会決議30/1および以降2回の更新決議に対する政府の賛同を撤回すると各国の前で宣言した。その上で、「①最高裁判事が率いる調査委員会を設置し、国際人道法・人権法違反の疑いに関する一連の報告書の再評価と実施可能な措置の提案」、「②持続可能な開発目標(SDGs)等の達成に必要な制度改革」、「③技術支援と能力強化の分野における国連との協力」を行うと発表した。
翌日、ミチェル・バチェレ国連人権高等弁務官は、2019年の更新決議により定められたスリランカにおける移行期の正義への取り組みと人権状況についての報告書を発表した。バチェレ高等弁務官は、新政府が従来のコミットメントと「非常に異なるアプローチ」を取ったことを憂慮し、和解、アカウンタビリティ、人権における努力が後退する危険性を指摘した。そして、失踪者委員会や賠償委員会といった2015年以降に設置された機関に対して政府が資金等を十分に提供することを求め、これら機関および司法の独立性と、市民社会やメディアの活動の自由が保障されることの重要性を訴えた。また、スリランカにおける過去の人権侵害の処罰や治安部門の改革が不十分であり、刑事司法が満足に機能していないことも指摘した。そして、2015年以前にスリランカ政府によって設置されてきた数々の機関が失敗に終わってきた経緯から、新たな調査委員会についても疑問を呈した。
バチェレ高等弁務官の発表に続き、スリランカの人権問題に取り組んできた7つの国際人権NGOによる共同口頭声明をIMADRが読み上げた。声明では、決議30/1に対する政府の宣言によって浮き彫りになったスリランカの人権状況の後退を懸念し、司法や関連機関の独立性を担保した憲法修正条項(19)の取り消しや失踪者作業委員会を設置した法令の見直しを当局が示唆したことについて警鐘を鳴らした。さらに、前述の調査委員会が11人の若者の強制失踪と殺害の罪に問われている海軍士官らの刑事訴追を中断させようとしたことも指摘した。2019年11月に防衛省がNGOの監督機関となって以降、人権団体やメディアが警察や諜報機関による嫌がらせのような訪問を受けていることも報告した。共同声明の最後では、このような現状に対し人権理事会に、スリランカにおける人権侵害の責任を問う国際的な仕組みを設置するよう求めた。
その後、3月2日にラジャパクサ大統領が議会を解散し、4月25日に総選挙が行われることとなった。総選挙では、大統領の政党であるSLPPとこれを支持する政党が大統領選挙の追い風を受けて議席の過半数を獲得する可能性が高いと予想されていた。その場合、議会による政策や法改正に対する抑制が無くなり、人権擁護者やジャーナリストをはじめとする市民社会に対する締め付けがさらにきつくなることを国内外の人権NGOは懸念していた。しかし、スリランカにも新型コロナウイルス感染拡大の波が押し寄せたことで、選挙委員会は総選挙の延期を3月18日に発表した。ただ、議会は解散されたままである。

混乱の陰で拡大する軍の影響力
一方で、スリランカの人権状況は後退の一途を辿っている。新型コロナウイルスによる混乱の最中、ラジャパクサ大統領は民間人殺害の罪で有罪判決を受けていたスニル・ラトナヤケ元陸軍伍長を大統領恩赦により釈放した。ラトナヤケ元伍長は2000年に5歳の子どもを含む8人の民間人を殺害した罪で2015年に有罪判決を受け、2019年5月に最高裁によって刑が確定していた。マイノリティのタミル人が犠牲となったミルスヴィルの虐殺と呼ばれるこの事件では、元伍長を含む5人の陸軍兵士が起訴されていたが、4人については証拠不十分として釈放されていた。この判決は内戦関連の様々な人権侵害の事件の中で国内の司法によって有罪宣告がなされた数少ない事例の一つであった。バチェレ人権高等弁務官は、「この大統領恩赦は被害者に対する侮辱であり、戦争犯罪、人道に対する罪およびその他の重大な人権侵害に対して意味あるアカウンタビリティをもたらすという国際的な人権義務を、スリランカが果たすことを怠った新たな例である。」と、強く非難した1。この大統領恩赦によって司法の独立性が弱められ、長年批判されてきた人権侵害の不処罰がより助長されることが懸念される。
さらに、「COVID-19感染拡大国家予防センター」の所長に内戦時の戦争犯罪と人道に対する罪の責任者の一人として国連の報告書等で名指しされているシャヴェンドラ・シルバ中将が就くなど、新型コロナウイルス対応のために設置された政府機関を通して軍の影響力が拡大することが懸念されている。また、メディアや政府関係者はイスラム教徒やキリスト教徒の宗教的慣習と感染の拡大を関連付けるような発表をしており、マイノリティに対する差別がさらに悪化する恐れがある。新型コロナウイルスによって生じた危機と混乱が権力の拡大に利用されないよう、市民社会による監視が今まで以上に求められている。

1 https://www.ohchr.org/EN/NewsEvents/Pages/DisplayNews.aspx?NewsID=25752&LangID=E