災害と差別  南アジアでIMADRが見てきたこと

小森 恵
IMADR事務局長代行

2004年12月26日、スマトラ島沖地震・インド洋大津波が起きた。2015年4月25日、ネパール地震が起きた。被災地にはIMADRのパートナー団体やダリットなど被差別コミュニティがいて、皆な甚大な被害を受けた。被災者支援を通して、災害は等しくもたらされるが、被害は等しくないということを再認識した。IMADRと現地パートナー団体が発信した当時の情報から、災害と差別についてあらためて考えてみたい。そして、今、猛威をふるう新型コロナ・パンデミックをインドの不平等な社会構造から見てみる。 

インド洋大津波救援
<スリランカ北・東部およびインド南東部でのIMADR活動報告より(2005年)>
第一に、被災者のなかでも差別され社会的に排除されてきた人びとが、復興過程から取り残されています。人びとは忘れられ、場合によっては「いない」あるいは「いなかった」ことにされています。救援・復興支援過程が差別や社会的排除を固定・助長し新たな「弱者」を生み出しているのです。
第二に、現地の草の根グループやNGO が復興の「主体」となることを阻まれ、また、被災者が受け身の状態を強いられています。政府や国際機関・NGOに流れ込んでいる巨額の支援金とそれによる大規模な救援・復旧事業は、被災直後から立ち上がり活動してきた人びとには届いていません。地域住民のニーズに必ずしも合致せず、短期間に多額の支援金を使い切ることを優先しているような「支援」もみられます。その結果、民族間・地域間の緊張がむしろ高まっている傾向もあるのです。また、多くの国際機関・NGOによる活動が、現地のNGOや草の根グループの活動を「縄張り」の外に追いやっている現状も確認されています。「外国からの支援」のあり方に対して、現地の人びとの不満が高まっています。 
第三に、権力者や政府、軍が、災害復興を機に自らの権限拡大を優先しています。外国から政府に流れ込んだ巨額の支援金は、インフラや軍事施設の再建に真っ先に充てられ、「人びと」にはなかなか届いていません。

<IMADRアジア委員会、ニマルカ・フェルナンドの2005年9月の日本での報告より>
津波で被災し、避難所などにいる女性たちが直面する問題には、(1) 暴力やセクハラ、(2) 健康面や衛生面での問題 (3)高齢女性の孤独や不安の問題などがあります。被災地の7か所に女性のためのセンターを作り、行政手続きの代行サービスを行いました。それらを通して、政府は何もやっていないことがわかりました。
外国から莫大な資金をもって入ってくる国際NGOも、ときには問題を引き起こしています。大規模な「復興事業」ばかりに着手し、草の根の人びととの関わりをもたずにお金だけが使われています。これでは被災者の生活再建やコミュニティの再建はできません。
IMADRはコミュニティありきの活動をしてきました。コミュニティが自立し、自ら組織することを支える活動を行ってきました。被災者や草の根グループが主体となり、差別、人種主義、ジェンダー不平等のない共同体を目ざし努力していきます。

ネパール地震と被災ダリット
<FEDO、ドゥルガ・ソブ、2015年6月の日本での報告より>
地震で8669人が亡くなりました。女性が4771人、男性が3887人で、年齢別では10歳以下の子どもが目立ちます。農村では多くの男性が産油国などに働きに出ているため、家に残る女性や子どもが被害を受けたと思えます。農村地域、とりわけダリットが住む地区は道路も整備されていないため、救援チームが入っていない所がたくさんあります。行方不明者も多くいるので、死者の数はまだ増えると懸念されます。
特に被害が大きかったのは、震源地よりも北や東側の山間部です。これらの地域には先住民族やダリットが多く住んでいます。家は土作りです。大きな揺れで土壁は崩れ、家の中にあった食料や生活道具はめちゃくちゃになりました。家屋倒壊で身分証明書もなくした家族が多く、証明がないために政府の救援物資を受けとれない事態も発生しました。これから雨期に入りますが、地震で地盤が緩んでいるので、雨量によってはさらに被害が起きる可能性もあります。校舎もたくさん倒壊しました。農村部では授業再開の目途はたっていません。
ダリットはもともと社会の周縁に追いやられてきました。今回の地震でさらに周縁に追いやられるかもしれません。とりわけ、ダリットの女性や子どもたちは脆弱な立場にあります。政府が発表した被災データは総合的なため、細かいデータの収集や実態調査を行う必要があります。
ダリットは辺鄙なところに住んでいることが多いため、救援で置いてきぼりにされました。町に住むダリットも、さまざまな資格やサービスへのアクセスを等しくもっていないため、本来手にできる救援を受けることができませんでした。農村地域のダリットがもつ唯一の財産は住む家です。耕す土地がないため債務労働者として地主に依存している家族がたくさんいます。今はその住む家さえ失くしました。
避難所や仮設住宅の提供においてもダリットが排除されたという情報が届いています。ダリットの子どもたちの間には児童労働者が多くいます。復興の中でこれら子どもたちへの配慮も必要です。ダリットの被災者については、短期的には飢え、栄養不良の進行、そして衛生環境の悪さによる伝染病の広がりが心配されます。

インドにおけるコロナ・パンデミック対応と
ダリット
新型コロナウイルスによるパンデミックへの対応として3月25日、モディ首相は全土ロックダウンを宣言した。そして世界の他の国や都市と同じように、ソーシャル・ディスタンシング、いわゆる社会的距離をとるよう国民に求めた。封鎖から1か月過ぎた4月末現在、都市に暮らす貧困層を中心に、食べる物に事欠く人びとが多数出始めている。インド全国ダリット権利キャンペーン(NCDHR)の事務局長ビーナ・パスカルは、この混乱について、「今後、多くの人びとが飢えで命を落とすかもしれない。この危機の最大の犠牲者はダリットになる」と懸念している。さらに、「今、暴力が加速的に広がっている。一つは物資配給の列での奪い合いなど混乱による暴力で、もう一つは感染に結びつけてダリットに向けられる暴力だ」と言う。
都市封鎖が起きても、通りから人影が消えても、ごみの収集やトイレ清掃、さらには品位を貶める素手による糞尿処理の仕事に就く人の姿は消えない。これらの仕事については、社会が機能するため必要であるとして、政府は休止を命じていない。これら仕事に従事しているのはたいていがダリットである。人びとは感染と背中合わせで仕事をしている。もとより、衛生具などはなかった。感染危機が始まったからと言って、マスクや手袋が支給されるわけではない。多くのダリットは貧困ゆえに感染しても病院にも行けない。家族、近所そして地域がクラスターになりかねない。ダリット居住区は「コロナ感染源」だという流言飛語が飛び交い、暴力を招くかもしれない。
ダリットはダリットであるがゆえにこれら職業につき、これら職業についているがゆえに隔離され差別されてきた。実際、歴史を通してダリットは厳格な社会的隔離の対象とされてきた。1950年のインド憲法は指定カースト(ダリット)に対する差別を禁止している。不可触制を禁じる法律もある。しかし、慣行は法を無視してきた。コロナ危機のもと出てきたこれら対応策は、ダリットコミュニティに何をもたらすのであろう。
「『ソーシャル・ディスタンシング』は世界語となった。でも私たちはこの言葉を使わない。『セーフ・ディスタンシング』(安全のための距離)を使おう」、ビーナはそう呼びかける。コロナ・パンデミックの矢面に立たされているダリットコミュニティに、最大の注意を向けていかなくてはならない。