「災害と女性の人権」 ~阪神淡路大震災から25年を経て

正井 禮子
NPO法人女性と子ども支援センターウィメンズネット・こうべ

阪神・淡路大震災で経験したこと
1995年の阪神淡路大震災発生直後に女性支援ネットワークをたちあげ、“女性のための電話相談”や女性たちだけで語り合う“女性支援セミナー”、“乳幼児を連れたお母さんの集い”などを開催した。電話相談の6割はいわゆるDVだった。ある19歳の女性は「彼と同棲していて文化住宅に住んでいて被災した。彼の実家に居候しているが妊娠8ヶ月。彼はもう子どもなんかいるもんかと言って殴ったり蹴ったりする」と。多くの方が最後に「皆さんが被災して大変な時に、家庭内のつまらない揉め事を相談する私はわがままでしょうか」と言われた。
性暴力についての相談も多かった。避難所である学校の教室に複数の家族が一緒に生活するなかで、障害のある娘さんが母親不在の時に同室の男性から性被害を受けた、という話を関係者から聞いた。女性だけで語り合う場では、仮設住宅にいるシングルマザーが「子どもが小さくてなかなか買い物に行けない時に、代わりに買い物をしてくれる親切なおじいさんがいて、お礼に夕食に招いた。夕食後に性被害にあい、ほんとうに口惜しかった」と淡々と語られた。同席した女性が「すぐに警察に訴えたの?」と聞くと「そこでしか生きていけないときに、誰にそれを語れと言うのですか?」と涙を一滴こぼされた。その言葉が忘れられず、このような事が二度とあってはならないと強く思った。

「捏造されたもの」にされた性被害
1995年7月に神戸で近畿弁護士会主催による「被災地における人権」という集会があった。分厚い配布資料には「高齢者の人権、子どもの人権、障害者の人権、外国人の人権」とあったが女性の人権は項目になく、たった一行「女性が性被害にあったという噂があったが、兵庫県警は『1件もない。デマである。』と否定した」と書かれてあった。
支援活動を通してDVや性暴力被害を聞いていたので、翌年3月に女性団体が集まり「神戸・沖縄 女たちの思いをつないで~私たちは性暴力を許さない!」という集会を行った。落合恵子さんの「あなたが悪いんじゃない」という基調講演と、被災地報告、強姦救援センター沖縄からの報告に240人の女性たちが参加。閉会後は「性暴力を許さない!」「夜道を安心して歩きたい!」「女のNOはNO!」などのプラカードを持ってデモを行った。ところがある雑誌から「被災地レイプ伝説の作られ方」というタイトルで「被災地の性暴力はすべて捏造されたものである」という記事がでた。私は実名でひどく叩かれた。「性暴力を許さない」と言うことが、なぜこれほどのバッシングを受けるのか、と信じられない思いだった。しかも女性のライターによるその記事は雑誌ジャーナリズム賞を受け、彼女の他のルポとまとめて単行本になった。深く傷ついた私は、DV被害女性の支援活動に専念し、その後10年間、災害や性暴力については沈黙した。被災地では毎年のように防災フォーラムが開かれたが、多くの場合男性の研究者がずらりと壇上に並び、活断層の話やライフラインの話に終始し、女性たちが災害時に経験した困難については誰も語らなかった。

スリランカの女性たちの力
2005年1月、新聞の社会面で小さな記事を見つけた。「インド洋津波で大きな被害が出たスリランカで、女性被災者が性的ないやがらせで苦しんでいるとして、女性団体が政府に対処を求めている。被害者は自分から訴えるケースはほとんどなく実態が掴みづらかったが、避難所生活が長引くにつれて新たな問題として浮上している。女性団体は政府に対して避難所の運営に女性を参加させ、女性のプライバシーを守るよう訴えたが、政府は『多数の避難者でごった返す現状ではどうしようもない』と答えた」という内容だった。しかし、彼女たちは諦めず、報告書を世界女性会議へ持っていき「被災地での性的暴力は重要課題である」などの提言が世界に向けて発信された。
この行動に勇気づけられた私は、県内の女性団体に阪神淡路大震災を女性の視点からもう一度きちんと検証しよう、と呼びかけ、「災害と女性~防災・復興に女性の参画を~」という集会を開いた。女性の人権に関する活動団体の代表やスリランカの女性ジャーナリスト、女性議員などを招き、災害時に女性たちに何が起こり、何が問題であったかを話し合った。その後「災害と女性」資料集の発行や「災害と女性」情報ネットワークというHP(ホームページ)も開設した。アジア諸国の女性人権ネットワークの勇気ある行動によって、再び「災害と女性」について取り組むエネルギーをもらえた。

東日本大震災で経験したこと
東日本大震災発生から2ヵ月後、被災地の避難所を訪問した。被災地での女性や子どもへの暴力防止のために県警が動いたり、避難所運営に女性の視点を入れるように内閣府が自治体に通達していたり、暴力ホットライン開設が早期に始まるなど、阪神淡路大震災の時にはなかった新しい取り組みが見られた。しかし一方で、避難所の運営が男性主体であり、プライバシーの確保が不十分なことや性別役割が強化されていること、女性のニーズが反映されにくいこと、復興会議への女性の参画が少ないことなどは16年前とほとんど変わっていなかった。
それらの改善のためには、避難所や仮設住宅での被災女性の実態やニーズ調査、避難所・仮設運営のリーダーの男女別の数などのジェンダー統計、公的な相談機関や医療機関・警察・民間団体による女性への暴力被害調査を定期的に実施するなどの取り組みが必要だと痛感した。そこで、これまでの活動を通してつながった女性や団体と東日本大震災女性支援ネットワークをたちあげた。活動内容は、①調査、②研修、③女性団体の後方支援、④メディアチームなどで、女性の視点から防災や復興に関するさまざまな政策提言も行った。被災地の女性たちとも連携し、街づくりへの女性の参画、雇用の創出、経済的支援と居住の権利の保障などを実現し、ジェンダー平等に基づく新たなコミュニティの再生を図るためにさまざまな提案を行った。

その後「災害・復興時における女性と子どもに対する暴力」の調査をまとめたが、衝撃だったのは、避難所のリーダーなどから、被災女性への物資提供などを利用した対価型の性暴力被害が起きていたことだった。夫も家も失った女性が、家を提供してくれた夫の親族から性行為を要求された事例もあった。より弱い立場の女性が更なる被害にあう。災害状況下でこのようなことが繰り返し起きている現状を変えるには、災害時に支援者になる人を対象にしたジェンダートレーニングを性別に関係なく、平時から行うことであり、避難所運営に女性が半数いることだと思う。

阪神・淡路大震災から25年を経て
25年前、被災したシングルマザーが「賃金は半分でも家賃は平等ですから」と苦笑いしていたが、今でも彼女らの平均収入は全国平均世帯の3割である。神戸では女性が1000人多く亡くなっている。多くが高齢の女性たちだったが、その大きな要因は貧困である。2020年、ジェンダー・ギャップ指数で日本は世界121位(153ヵ国中)と、先進国としては最低である。男女の賃金格差も一向に縮まらず、女性の役員もわずか5%。国会議員における女性の参画は144位。女性が意思決定の場にいない国では女性たちが抱える問題は解決されない。防災は日常から始まる。災害時に女性の人権が守られるには、平時においてジェンダー平等社会の実現が不可欠である。ジェンダー・ギャップ指数がアジアで1位、世界6位の台湾には、ジェンダー平等教育法があり、幼稚園から大学に至るまでジェンダー平等教育が実施されているとのこと。日本でも昨年4月からフラワーデモが年齢・性別を問わず全国各地で広がっていることは希望である。あきらめず、点と点が繋がり、面になることで、社会を変えていきたい。