東日本大震災「外国人被災者」の今

佐藤 信行
福島移住女性支援ネットワーク代表

東日本大震災から9年
2011年3月11日、東日本を襲った大地震と津波、そして福島第一原子力発電所の崩壊事故によって住民は甚大な被害を受けた。災害救助法が適用された149市・町・村に住んでいた外国人は7万5281人。しかし、被災した外国人に関する情報は、震災直後も、9年たった現在でもきわめて部分的である。それは、外国人の被害が微少だったからではない。むしろそれは、政府の認識に大きな欠落があったからである。政府はこれまで、日本で生活する外国人の存在を無視して各種の社会制度を作ってきた。そして、外国人の出入国・在留管理制度を除く日本の諸制度は、外国人が日本社会に暮らしている実態を無視して運用されてきた。このような「自国民中心主義」の認識は、未曽有の震災に直面しても―今回の新型コロナウイルス事態に対しても―修正されることなく維持されている。
政府や自治体が行なってきた被災者支援事業において、国籍による排除や制限はない。しかし外国人の多くは、支援情報を得ることも、それを利用することも困難である。いわば「構造化された差別」の中で、外国人被災者は今も生活再建の道を阻まれている。

宮城県沿岸部の実態調査
被災地に住む外国人は、震災によってさらに脆弱な立場に置かれたが、政府は外国人被災者の実態調査を行なっていない。一方、津波で市街地の大半を失った宮城県石巻市と気仙沼市は、震災後の2012年と2013年に私たちNGO・研究者と共同で外国人実態調査を実施した。とくに被害が甚大であった福島県・宮城県・岩手県に住む外国人の多くは、移住女性であった。彼女たちは1980年代後半以降、日本人男性と結婚して東北の農村・漁村、中小都市部へ移住して来た中国人・韓国人・フィリピン人・タイ人女性たちである。移住女性たちは日本に来て10年、あるいは20年以上になる。しかし彼女たちは、日本語での日常会話ができても、日本語(とくに漢字)を読むこと、書くことは困難である。石巻・気仙沼調査では、日本語での会話は「まったく問題がない/あまり問題はない」と回答した移住女性は60%近くになるが、日本語を読むことは36%、日本語を書くことは24%と、下降していく。
膨大な移民・難民に直面している諸外国では、政府予算によって移民に対する言語教育・職業訓練・雇用サポートが行なわれている。ところが日本の場合、政府が予算措置を講じて語学・就労研修プログラムを実施したことはない。自治体や国際交流協会、市民ボランティアによる日本語教室が行なわれているだけである。
震災前、移住女性の多くは、「ツナミ」という言葉を知っていた。しかし、地震直後に呼びかけられた「高台に逃げなさい」の「タカダイ(高台)」という言葉を知らなかった移住女性は39%にも上る。このことは、地震と津波、台風が多発する日本で、外国人住民に配慮した防災計画や防災訓練が不在であったことを示している。また震災前、移住女性の多くは、無職・専業主婦(34%)、あるいは水産加工場や水産物販売などの職種に非正規雇用されていた(34%)。ところが、地震と津波によって彼女たちの職場は失われてしまった。そのため移住女性たちは、経済的な支援(81%)、就労についての情報(61%)を強く求めた。被災者に対する就労支援や就学支援、育児支援、住居支援、健康診断などの各種行政サービスは、自治体を通して行なわれる。これらの生活情報を求める移住女性は多数に上る(77%)が、言葉の壁のためにこれらの生活情報を利用することが困難なのである。生活情報や避難情報、放射能汚染情報などの多言語による発信と、申請段階の同行支援などが必須である。このことは政府が予算措置を講じて実施しなければならないが、いっさいそのような措置はとられなかった。
―以上、宮城県沿岸部の調査に見る外国人被災者が置かれた状況である。これは、被災地全域の外国人、とりわけ移住女性に共通する困難さでもあった。

福島県の移住女性と移住労働者たち
東日本大震災から10年目に入り、多くの政府関係団体・民間団体が被災地から撤退した。しかし福島県においては課題が山積みである。さらに2019年10月、関東・東北地方を直撃した台風19号は、福島県にも甚大な被害をもたらした。原発事故による帰還困難地域から避難して県内に新住居を構えた家庭が今度は水害に遭うなど、その惨苦に言葉を失ってしまう。
震災前、東北の被災地には国際結婚移住女性が小さな村に1人、小さな町に2人と、広く点在して暮らしていた。彼女たちは地域社会で周辺化され、不可視の存在であったが、震災をきっかけに福島県の多くの移住女性たちは大きく転換していく。震災直後、福島県では移住女性たちによる自助組織が結成された。フィリピン人女性たちは福島市と白河市で、中国人女性たちは須賀川市といわき市、郡山市で、それぞれ団体を結成した。彼女たちは、大震災と放射能汚損の過酷な状況の中で子どもたちの健康を守るために、また家計を支えるために苦闘していた。
私たちは震災の翌年から彼女たちの就労支援、日本語学習支援、また彼女たちが自力で始めた子どもの継承語教育に対する支援から始めた。そして2014年、これら日本語教室と継承語教室を起点として、放射能被害に関する調査と情報提供、保養プログラム、「やさしい日本語」による防災ワークショップ、子どもフォーラム、からふるフェスティバル、相談・同行支援など、移住女性たちや地元市民のボランティアたちと協働してさまざまなプログラムを実施してきた。

震災前から過疎化と少子高齢化の波が始まっていた福島県では、震災後それが加速している。ところが福島県内に住む外国人住民は1万4191人となり、この4年間で4000人も増加した。ベトナムや中国、フィリピン、タイなどから技能実習生が働くようになったからであり、その数は3337人となる。いま県内の地場産業は、移住労働者なしでは成り立たない状況になりつつある。今、彼・彼女たちは、次のような状況に置かれている。
◆福島第一原発の「事故収束」はまだ終わっていない
◆全国で外国人住民290万人となる現在でも、福島県内の外国人数は1万4000人の「外国人散在地域」であり、関東や中部・関西などの外国人集住地域と比べて、外国人支援の社会的資源がきわめて限られている
◆政府の「中長期計画なしの住民帰還政策」、さらに昨年の台風19号災害、今回の新型コロナウイルス猛威によって、混乱し疲弊する県内の自治体には、新たな外国人住民政策を打ち出す余力がない

福島県に暮らす外国人住民、とりわけ移住女性たちや移住労働者たちは、いわば徒手空拳で、このような困難な状況に立ち向かわなければならない。
9年前の「未曾有の大災害」の教訓が忘れ去られつつあった中で、私たちは新型コロナウイルスという「未曾有の世界的危機」を迎えた。9年前も、そして今も、もっとも危険にさらされるのは女性や子ども、障がい者であり、外国人や先住民族など民族的マイノリティである。そのような中にあっても、福島の移住女性たちは、「闘い」を止めようとしない。そして私たちも、彼女たちとの「協働」を続けていきたい。