名前が問うもの

松永 真純
大阪教育大学非常勤講師

被告の名前を口にしない
衆議院議長に宛てた犯罪予告の手紙から現在に至るまで、被告は自らの考えを実に饒舌に述べ続けてきた。事件を特集した番組が制作されれば被告との面会の記録が紹介されることになり、被告の手記をまとめた書籍まで出版された。ぼくはこの間、なぜこうも被告の言葉ばかりがメディアに取り上げられるのだろう、と思い続けてきた。それは、匿名報道になった被害者たちに対する社会の反応とあまりにも対照的である。
そのようなことを考えていたとき、ニュージーランドのクライストチャーチで起こった銃乱射事件に対するアーダーン首相の言葉はとても印象深かった。白人至上主義者がモスクを標的にしたこの事件では50人が犠牲となったが、首相は「男はこのテロ行為を通じて色々なことを手に入れようとした。そのひとつが、悪名だ。だからこそ、私は今後一切、この男の名前を口にしない」「皆さんは、大勢の命を奪った男の名前ではなく、命を失った大勢の人たちの名前を語ってください。男はテロリストで、犯罪者で、過激派だ。私が言及するとき、あの男は無名のままで終る」と議会で演説した(BBC NEWS)。
ここで正直に自分の気持ちを述べるならば、今現在、被告に対する関心はぼくにはほとんどない。というのも、ぼくにとって被告はどこまでもからっぽで、果てしなく空洞だからだ。2018年7月21日に放映されたNHKスペシャル「“ともに、生きる” ~障害者殺傷事件 2年の記録~」では、スタッフとの面会で、被告は「この年になってこのままじゃ何もないなあと思っていました。自分の人生は有意義だと思いたくてやりました」と答えていた。このような空洞に、何かそれ以上考えようという気持ちなど起こらないし、被告の言葉が取り上げられ続ける現状にぼくの違和感はますます強まっていく。

彭木港で呼ばれる名前
だからここからは被告の問題から離れて、まるで忘れ去られたかのような被害者について、それも名前がもつ意味について考えてみたい。この事件の問題の一つに匿名報道があると指摘されているのは、多くの人が知るところだろう。いずれにしてもその結果、自ら公表している人を除けば、被害者の名前をぼくたちは知ることができないでいる。なかでも、亡くなった19人の人たちの名前は明らかになっていない。
この名前に関わる問題について、韓国の作家キム・エランは次のように述べている。

名前を聞いた。高校生、行方不明者、犠牲者などと呼ばれるのとは違う、彼らの家族がいつもそうしていたように、本名で、愛称で呼ばれるのを聞いた。家族にとっては、生きていればあと何万回も呼びかけるはずの名前だったろう。その名前に込められた一人の人間の歴史が、時間が、誰もつづめて言うことなどできないその一つひとつの世界が、彭木港の暗闇の中で夜ごといんいんと鳴り響いた。
『目の眩んだ者たちの国家』(新泉社、2018)

これは、2014年4月16日に韓国で起こったセウォル号沈没事故について書かれたものである。修学旅行中だった高校生を含む299人が死亡し、今も5人が見つかっていないこの沈没事故を覚えている人も多いだろう。悪天候の中の航海であり、積み荷が過剰であったこと、沈没の最中に船内アナウンスでは「その場を動かないでじっとしていてください」と放送され、船長は真っ先に脱出したこと、海洋警察は船内へ救助に向かわず、船外に出てきた人を救助するだけであったことなど、多くの人為的な問題により発生した事故であった。沈没現場に近く、救助活動の拠点となったのが彭木港であるが、ここは多くの被害者家族が集まった場所でもあった。この港で、船に取り残された人たちの名前がどれだけ呼ばれたことだろうか。生存を信じ、救助を待ちながら、何度も何度もその名前が叫ばれたはずだ。それはキム・エランが書く通り、高校生でも、行方不明者でも、犠牲者でもない、生きていればあと何万回も呼ばれたはずの名前であり、それは他者が勝手に要約などしてはならない、その人の存在そのものが刻まれた名前だ。
ここで相模原事件の問題に戻るが、「心失者」という被告の造語がある。被告によれば、「人の心を失っている人間を私は〝心失者〟と呼びます。心失者は人の幸せを奪い、不幸をばら撒く存在です。今の言葉では重度・重複障害者がこれに当てはまると考えています」(『創』2017年10月号)ということだが、キム・エランが述べる「名前」とこれほど対極にあるものもないだろう。

呼びかけと名前
被告によって命を奪われた被害者の一人に、35歳だった女性がいる。その女性の父親が取材を受けた記事が、2017年7月22日付けの『毎日新聞』に掲載された。記事によれば、彼女は長女であり、母親の入院と治療のため2012年7月にやまゆり園に入所することになった。父親曰く、長女は「気まぐれでわがままで、甘えん坊だった」そうだ。
家族との生活の中で、彼女がどのような日常を送っていたのか、この記事は読む者に実に多くの情景を伝えてくる。例えば、朝は甘めのコーヒーを飲むことから始まり、足りないとテーブルをカップでコンコンとたたく。記事にはいつものマグカップでコーヒーを飲む彼女の写真も掲載されている。父親が本を読もうとすれば、「かまって」とばかりに本をはたき落とす。そんな二人のやりとりを父親は記者に伝えていて、だからこそ、彼女が生きていた日常が、知るはずもないぼくにもなぜか見えてくる気がするのだろう。それは事件がなければ、ぼくが知る必要などなかった、その人たちだけの大切で親密な日常である。
父親はがんと宣告され、延命治療は望んでいないのだという。記者の取材に淡々と応えているように見えるこの記事を読んでいると、父親は限りある自らの時間の中で、自分が発するすべての言葉は長女のために、ただそのためだけに残そうとしているかのようだ。
だからだろう。記事の中には、「もうすぐいくよ」「元気か?」「元気ってことはねえか」「早く会って、だっこしてあげたいなあ」といった、父親から長女への呼びかけの言葉にあふれている。そして、この呼びかけの傍らには、公表されていない長女の名前がいつもそこにあるのだとぼくは思う。

唯一無二の生と名前
名前についてこれまで考えてきたが、最後に、シベリアに抑留された経験をもつ詩人・石原吉郎の言葉を紹介したい。極寒の地で過酷な強制労働が続く、収容所のある日の朝、粗末な食事の最中に隣で突然男が居眠りを始めた。驚いて揺さぶると、そのときにはもうその男は死んでいたという。石原は述べる。

私がそのときゆさぶったものは、もはや死体であることをすらやめたものであり、彼にも一個の姓名があり、その姓名において営まれた過去があったということなど到底信じがたいような、不可解な物質であったが、それにもかかわらず、それは、他者とはついにまぎれがたい一個の死体として確認されなければならず、埋葬にさいしては明確にその姓名を呼ばなければならなかったものである。
『望郷と海』(みすず書房、2012)

人間らしい生から最もかけ離れた場所でおこった死。石原が揺さぶった死体は「皮だけになった林檎をつかんだような触感」であった。しかし、それにもかかわらず、埋葬にさいしてはその者の名を呼ばなければならないのだと石原は言う。死んだ者は歴史の教科書に出てくるような「シベリア抑留の被害者」などではなく、他とはかえることのできない、唯一無二の人生を生きた者として、その名前は呼ばれなければならないということなのだろう。
あらためて思うが、ぼくたちの社会は19人の死にいまだ何も向き合うことができていない。唯一無二の生と共にある名前。被害者の無事を祈り、必死に呼びかけられる名前。かけがえのない関係性の中で交わされる名前。他とはかえることのできない者の死を悼むための名前。名前がもつ意味について、これからもずっと考えていきたいと思う。

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