優生保護法問題が投げかけるもの

藤原久美子
自立生活センター神戸Beすけっと

2018年1月、宮城県内の知的障害女性の佐藤由美さん(仮名)が、障害があることを理由に強制不妊手術をされたのは憲法違反であり、国は被害者がいることを知りながら謝罪や補償をする法律を作ってこなかったことは立法不作為であったとして国家賠償請求を行った。同年5月に提訴した飯塚淳子さん(仮名)との併合裁判が、今年3月22日結審、5月28日に判決が言い渡された。
旧優生保護法が違憲であり優生思想を根付かせたこと、障害者差別がある中で被害者らが声を挙げることはできなかったことも認めながら、被害を受けてから20年以上が経過したと除斥期間を適用し、原告の損害賠償請求はすべて退けられるという信じがたいものだった。原告の思い、ことさら高齢であり体調不良をおしてまで被害を訴えてきた飯塚さんがどんな思いでこの判決を聞いたのか、想像するだけで辛かった。
2人はいずれも控訴し、現在彼女らを含め全国20名の被害者とその家族が裁判をしているが、被害者の数を考えると非常に少ない。知的障害などで自分が手術されたかどうかもわからない人や、周囲に知られたくない人など、声を挙げられない人たちもたくさんいるのである。

●これまでの経緯 
旧優生保護法(1948〜96)は、戦前の「産めよ増やせよ」から戦後の食糧難対策として「量から質」に人口政策を転換するにあたり成立。刑法堕胎罪がある中で、女性が安全に中絶できるようにする「母体保護」と共に、「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止」する目的で行われたのが優生手術である。厚労省統計では25000人以上が受けたとされ、その中でも遺伝性の障害や病気、知的や精神障害のある人に、同意がなくても行えたのが強制不妊手術で、被害者16475人の約7割は女性だった。医者が優生保護審査会に申請して認められたら、例え拒否しても身体拘束や薬を使うこと、また、例えば盲腸の手術だと騙して行うことも認められていた。
20年以上前から故・佐々木千津子さんや飯塚さんが被害を訴え、優生手術に謝罪を求める会や女性団体、障害者団体などが、謝罪や補償・調査を求めて国内外に働きかけてきたが遅々として進まない中、2016年3月に国連女性差別撤廃委員会が日本に勧告、これが国会で取り上げられたこともあり、やっと被害者と厚労省職員との面談が始まり、全国初の提訴へと結びついた。すると超党派議連や与党ワーキングチームが立ち上がるなど、その動きは早く、判決の出る約1か月前の4月24日、『旧優生保護法に基づく優生手術等を受けた者に対する一時金の支給等に関する法律』が成立した。高齢である被害者を鑑み、急いで立法したことは評価するが、その被害を考えると320万円という額はあまりに低く、障害のある人の人権を低く見積もられた感が否めない。また、再発防止につながる調査や検証がなされるのかどうか疑問の残るものとなり、今後改正が求められる。

●被害の実態~兵庫県の事例から
1960年代半ば、国はこの政策を推し進めるため、各自治体に通達を送るなどして奨励した。1966年、兵庫県では他県に先駆けて『不幸な子どもの生まれない県民運動』を展開した。障害者だけでなく、保育に欠ける子ども、虐待を受けている子どもなど対象を拡大し、全国30もの自治体に波及していった。国費のでない手術や、当時行われ始めた出生前診断(羊水検査)にも県独自で予算を付けて力を注いだのである。
その兵庫県では、現在3名の被害者と配偶者2名が提訴している。聴覚障害の高尾辰夫さん(仮名)は、手話による情報保障もなく、聴覚障害女性との結婚の条件として訳が分からないまま不妊手術を受けさせられた。また小林喜美子さんは、妊娠した時母親らに病院に連れて行かれ、後になって中絶と不妊手術を受けさせられていたことを知る。 
全日本ろうあ連盟の調査で148名(2019年5月現在)の被害者がいることが判明していて、ろう学校や勤務先、家族が一緒になって手術を奨めたという背景があった。医療、福祉、教育という障害者にとって身近な機関の人々を巻き込んで、非人道的な行為へと駆り立てた。

●障害者と女性の自己決定権
判決では、リプロダクティブ権が日本では議論の蓄積がないことも請求棄却の理由とされた。リプロダクティブヘルス/ライツ(性と生殖の健康/権利)は1995年第4回世界女性会議の北京行動綱領で採択、また1996年に優生保護法が母体保護法に改正された時の付帯決議にも記載されている。それでも議論してこなかったとするなら、それは国会や司法の怠慢と言うべきである。
脳性まひの障害がある鈴木由美さんは、12歳の時に手術を受けさせられ、その後遺症で22年間もベッドで寝たきりの生活を送った。就学免除で教育を受けることもできず、「私に青春時代はなかった。障害者には当たり前の権利がない」と悔しさを訴える。年頃になっても生理がないので祖母に聞いたら、「ママはあんたのために(手術)したんだよ」と言われた。子宮を摘出されたと考えられている。法律で定められた目的や術式の範囲を超えて手術が行われたり、別の病名を付けるなどして手術が行われていた。つまり月経介助を楽にするため、障害女性に対して子宮摘出や放射線照射が行われていたのである。これらは施設入所の条件とされたり、中には自立のために必要だと考え、自ら申し出る人もいた。
今でも障害のある身体は健全とされず、患者であり治療の対象である。あくまで保護される側で、治療という名目で手術やリハビリを強要される。結婚・出産・育児など無縁だと思われてきた。佐藤由美さんの手術痕について義姉は「ギザギザで、犬猫でももっとマシな傷」と話す。そこには一人の15歳の少女(当時)という認識はなく、治療でもない不妊手術をして、「産む/産まない」の自己決定権を奪ったのである。

●残された課題の解決のために
私自身は中途視覚障害者で、障害のない時は周囲から「子どもを早く産め」と言われ、障害者になってから妊娠したら「障害児が生まれるのではないか」「障害があって育てられるのか」と、医者と親族から中絶を勧められた。2004年のことである。現在でも障害のあるなしに関わらず、女性たちは出産・育児に関して抑圧を受ける。そして出生前診断で障害児とわかった場合、ケア労働を担う女性たちのほとんどが中絶を選んでいる。
こうして、障害者と女性は対峙させられてきた。
日本は2014年に障害者権利条約を批准、2016年4月には障害者差別解消法も施行されたが、一方で同年7月には相模原市で障害者殺傷事件が起き、容疑者は「障害者は不幸しか生み出さない」と語っている。法律は無くなっても、優生思想は社会に根付いているのである。昨年8月「すべての女性、とりわけ障害女性の、性と生殖の健康の権利を保障する障害者権利委員会と女性差別撤廃委員会との共同宣言」*が出されたことは、この分断を解決する道標となると期待する。ここでは、障害者に対するバイアスのない情報を得られること、及び障害児の親への社会的サポートを行った上で、女性たちが自律した意思で中絶を選択できることを求めている。
障害があるから不幸なのではなく、人として扱われてこなかったことが問題なのである。この宣言を実践していくためにどのような取り組みが必要か、今後の議論に発展させていく事が、優生保護法により奪われてきた、障害者と女性の尊厳を取り戻すことにつながるのではないかと考える。