障害のある先生の体験が語るもの

松波 めぐみ
大阪市立大学ほか非常勤講師

はじめに
「障害があって学校の先生をしている人にインタビューをしています」と答えると、驚かれることがしばしばあった。「そんな先生、いるんですか?」という反応もあれば、「あ!24時間テレビで見た。すごいよね」といった反応もある。実際に「障害のある先生」に教わった経験のある人にはほとんど出会わなかった。それだけ、まだまだ「障害がある先生」は見えにくい存在なのだろう。
昨年(2018年)3月、私は友人たちと『障害のある先生たち-「障害」と「教員」が交錯する場所で』(羽田野真帆、照山絢子、松波めぐみ編。生活書院)という本を出版した。この本は16人のさまざまな障害種別(視覚、聴覚、肢体、発達障害等)の、小・中・高・支援学校で働く教員へのインタビューをもとに編んだものである。人づてを頼ってお話を聞きにいくと、そのたびに「目からうろこ」であった。
2018年夏、官公庁が障害者雇用の数字をごまかして発表していたことが発覚した。当然社会的な批判が巻き起こったが、一方で「仕方がない」という声も聞こえてくる。「確かに不正だけど、多忙な職場で“障害者でもできる仕事”をつくるのは難しい」といった声を私は行政や企業関係者から何度も聞いたのである。そのたびに私の脳裏には話を聞かせてくださった先生たちの姿が浮かんだ。かれらは「障害者でもできる仕事」が用意されているわけではない学校という職場に入り、自ら工夫するとともに、周囲の協力をとりつけながら働いてきた。かれらの経験には、広く知られるべきヒントがあるはずだ。
本稿の目的は二つある。まず2016年から始まった「改正障害者雇用促進法」と、キーワードである「合理的配慮」を知ってもらうこと。もう一つの目的は、さまざまな障害のある先生が実際どのように働いているのかを描くことだ。それを通して、「障害者と仕事」に関わる固定的なイメージをほぐしてもらえると幸いだ。

障害のある人の働く権利を守る法律と「合理的配慮」
改正障害者雇用促進法が画期的なのは、働くうえでバリア(社会的障壁)があれば、それを取り除くのが職場の義務になったことである。障害のある人にとってバリア(社会的障壁)になっているものを取り除くことを「合理的配慮」(環境の調整)という。車いすユーザーにとって職場の机が通常の高さだったら。聴覚障害のある人が筆談を断られたら。難病で定期的に通院する必要がある人が勤務時間の配慮を認められなかったら。―いずれも、持てる力を発揮できないだけでなく、孤立し、体調を崩して退職に追い込まれるかもしれない。そうならないように、職場の責任者に対して、「ここをこのように改善してほしい」と伝え、配慮を求めることができるようになったのである。障害のある人の側から「手話通訳を手配してほしい」「車いすで行ける会場で試験を行ってほしい」と求めれば、雇用主は極力、応えなくてはならない。少なくとも、対話や検討をしないままに却下することは許されなくなった。

障害のある先生はどのように働いているのか
実際、どんな先生がどのように働いているのだろう。簡単に紹介したい。
◆聞こえにくく(難聴)、小学校で教えるA先生の場合
A先生は30年以上のベテランで、音楽以外のすべての科目を教えている。時間をかけて、自分に合った教え方や働き方を構築してきた。
A先生のクラスでは「2メートル以内で、一対一で話せば聞こえる」という聴こえ方を児童に説明し、協力を求めている。教室の机の配置はコの字型で、お互いの顔が見えるようになっており、発表するときは「紙に大きな字を書いて、全員に見せる」のがルールだ。常に声だけでなく視覚的に表現することで、コミュニケーションの活発なクラスになっているという。
A先生は「教室内では問題ない」と語るが、むしろ職員室で難しさを感じるという。電話で話すことはできないため、保護者から電話があった時は、同僚の先生の助けを借りる。だが、その分家庭訪問をまめにするなどして保護者の信頼を得ている。職員会議の時は、発言する場合は2メートル以内の定位置に来てもらうようお願いし、諸連絡を聞き漏らさないようにしているそうだ。
◆車いす使用で、中学校で教えるB先生の場合
B先生は黒板に板書するのは難しいため映写機を使い、分かりやすく説明する工夫を重ねている。エレベーターがなく、階段に手すりがついていない学校で勤務していた時は、通りすがりの生徒に肩を貸してもらっていた。現在は物理的なバリアは除去された環境で勤務しているが、授業中にプリントを配布するときは生徒に手伝ってもらう。そのたびに「ありがとう、助かるよ」と伝える。自分が誰かの役に立つと思える(自己効力感をもつ)ことは生徒にとって喜びであるとB先生は語る。
◆視覚障害(全盲)で、高校で英語を教えるC先生の場合
C先生は教育実習に行ったときに、生徒たちが「点字」や視覚障害に興味をもってくれることから「教師は、障害があることを生かせる仕事」と確信したという。教員採用試験では「点字による試験、時間延長」など視覚障害者への合理的配慮を受けた。
授業で使う教科書や参考書は、新学期の前に出版社よりデータをもらって、すべて音声変換して聞いたうえで、点字で出力している。授業はチームティーチング(二人の先生でペアになって教える)で行い、生徒とのやりとりにも支障はない。4月には、保護者から「全盲の先生で、大丈夫なのか」という心配の声が保護者からささやかれることはあるが、そのうち生徒たちから情報が伝わり、問題になったことはないという。
◆学習障害があり、高校で教えるD先生の場合
文字を読み取るのに時間がかかり、手書きで文字を書くことが苦手な特性をもつD先生は、タブレット等のICTの活用によって教えやすい環境をつくってきた。「職員会議の資料は(読むのに時間がかかるため)前日にデータでもらう」などの合理的配慮を受けている。
苦手なこともある一方、発達障害については専門家であることから、発達障害のある生徒への指導や教材作成、保護者との面談は得意であり、同僚の先生たちにも信頼されている。
さまざまな先生の姿を少しは想像していただけただろうか。これらの先生たちは、自身の障害と向き合い、環境整備を(合理的配慮という言葉がなかったときから)求めてきた人たちだった。その過程には、「異なる身体をもつ人」と共に働くためのヒントがちりばめられている。

おわりに
これまで、ほとんどすべての職場は、障害のある人と共に働くことを想定していなかった。そこに社会的障壁の根っこがある。学校もまた、生徒でなく先生に障害がある場合を考えてこなかった場所だ。それでも本稿で紹介したように、多様な障害のある先生たちが現に働いている。法律の後押しもあり、その数は今後も増えていくだろう。
しかし法律が施行されても、障害者への固定観念から雇用に消極的だったり、障害者と対話することを避けようとする事業所は少なくない。法律の普及や啓発は大切だが、同時に、「障害のある人と共に働くこと」による積極的意義をもっと発信していくことも大切だと感じている。紙面の都合で触れられなかったが、障害のある先生から教わる児童生徒、ともに働く同僚も、多くのことを学んでいることは言うまでもない。
「障害者だけの職場」を別につくるのではなく、多様な人がともに働けるように職場をひらいていく。そうした取り組みが社会全体に広がっていくことを願っている。