「差別ゼロを求める」─インドの学校教育

小森 恵
IMADR事務局長代行

カースト制度が社会の構造そのものを支えているインドでは、最下層に置かれてきたダリットはもとより、カースト制度の枠外にある先住民族やムスリムなどの宗教的マイノリティも、社会の周縁に追いやられている。学校教育もその構造のまっただなかにあり、被差別コミュニティの子どもたちは就学年齢から厚い壁にぶつかる。全国ダリット権利キャンペーン(NCDHR)は2015年から16年にかけて調査分析を行い、報告書「学校における排除」を発表した。報告書はすべての州における学校教育の統計数字、国際・国内基準、教育の意味、学校における差別と暴力などを詳細に網羅し、ダリット、先住民族あるいはムスリムなど宗教マイノリティに属する子どもたちが教育の面で被っている不利益の実態を明らかにした。

進歩の光と影
インド政府は子どもの就学率や識字率を高める計画を州政府とともに進めてきた。初等学校の数を増やし、6歳から14歳までの子どもへの無償の義務教育を定める法律を2009年に成立させた。その結果、学校の数は数10年前に比べると倍増し、指定カースト(ダリット)の子どもの入学者数は、30年前と比べて初等学校で 2.3 倍、中等学校で6倍に増えた。とはいえ、ダリットおよび低位カーストの子どもやマイノリティの子どもが通う学校はほとんどが公立学校であり、学校の設備も含めた教育の質にさまざまな問題がある。国は公立学校への予算をGDPの6パーセントと定めているが、実際には3パーセントしか執行されていない(2015年)。近年では私立学校が急増しており、インド全体の学生数の29パーセントは私立学校に通っている。そこでは英語教育も含め、公立学校にはない内容の教育が提供されており、教育の世界においても格差が進んでいる。報告書は、私立学校のブラーミン化(上位カースト)が鮮明になったと指摘している。
政府の教育計画で多くの子どもたちが就学するようになったが、その一方で初等、中等学校における中途退学も、特にダリットや先住民族の子どもの間で増えている。その理由はさまざまだが、一つには学校における差別と暴力がある。差別に関しては、子どもの出身に基づいた直接的な差別と、出身ゆえの管理怠慢・無視がある。前者では、ダリットの生徒に廊下やトイレの掃除をさせる、質問しても答えない、ダリットの生徒の席を他から離す、遅刻をしたら皆の前で叩く、などさまざまだ。後者では、意図的な奨学金の遅配や、学校がダリットや先住民族の集住地にある場合に教員が平気で遅刻・欠勤する、などがある。学校では給食が出るが、他の生徒の前で、(ダリットの子どもの)〇〇さんは給食だけのために来ると言い放つ教員が少なからずいる。
暴力については、体罰と称する暴力や、教職員による女子への性暴力も深刻な問題である。性的虐待、嫌がらせ、レイプ、さらには殺人にまで及ぶ。学校側による暴力の正当化として、「普通」の家庭でも行われている子どもの躾と同じだ、などの言い訳が通用している。インタビューでは、校長用の蛇口から水を飲んだことに対する体罰、男性教員によるダリット女子生徒のレイプと脅迫、クラスメートの集団暴行によるダリット男子生徒の死などの暴力事件が次々と明らかになった。

「差別ゼロを求める」
政府は何のために教育の普及を目指してきたのか?一握りのエリートを輩出し、多数の子どもたちを負の循環に置き去りにするためなのか。法律や政策では包摂をうたいながら、実際にはその真逆につながるような措置がとられている。「差別ゼロを求める」、報告書はそう訴える。

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