ベトナムの労働法に見るジェンダーと人権

波多野綾子
IMADR特別研究員

はじめに
2018年は、セクシャル・ハラスメントや性暴力に対する#MeToo運動が世界中に広がったことで、ジェンダー平等に対する注目が高まった年であった。また、2015年に国連で採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」で掲げられた17の「持続可能な開発目標(SDGs)」では、目標5としてジェンダー平等が掲げられ、国際社会及びあらゆる国が取り組むべき重要な人権・開発課題であることが確認されている。
近年経済成長が著しいベトナムにおいても、ジェンダー平等は重要な課題となっている(a)。2018年12月に発表された世界経済フォーラムによる男女格差の度合いを示す「グローバル・ジェンダー・ギャップ指数」2018年版によれば、調査対象149カ国のうち、ベトナムは77位であった。先進諸国及びアジア・太平洋諸国の中でも最低レベルである日本の110位に比べると、ベトナムのジェンダー状況は調査対象国の中でも平均的と思われるかもしれないが、実際は、特に雇用・労働関係においてジェンダーに関する格差は大きく、女性は様々な困難に直面している(b)。
例えば、ベトナムでは共稼ぎが一般的で、女性は結婚・出産後も仕事を継続する傾向にあるため労働参加率は男女ともに高水準にあるが、女性が管理的ポストに占める割合は低く、非正規労働者として低賃金で働く女性の割合も多い。ジェンダー・ギャップ指数でも、議員・政府高官・管理職などいわゆる指導的地位についている女性の割合が少ないことがベトナムの順位を低くしている。
このように、労働分野におけるベトナムのジェンダー平等の実現は喫緊の課題となっている。その法的障壁の一つに、2012年労働法(10/2012/QH-13、2013年5月1日施行)の規定がある。国連女子差別撤廃委員会(CEDAW)は、ベトナムに対する2015年の総括所見において、労働法におけるジェンダー差別的な規定を改善するように勧告している(c)。2019年初頭現在、ベトナムでは同法の改正の議論が大詰めとなっている。改正は労働法の全体に渡る範囲の広いものとなっているが、その中でも今回はジェンダーに関連する5つの主要分野に絞って紹介する。

ベトナム労働法の改正とジェンダー平等推進
(1)男女間の定年退職年齢の調和
現行労働法において、女性の退職年齢は男性より5年早く、55歳とされている(187条)。この定年退職年齢の違いにより、女性の生涯賃金が男性より抑制されるのみならず、女性の昇進が妨げられている。ベトナム人の女性からは早期退職はむしろ望ましいことであり、退職後をゆっくり過ごしたり、家族の世話をしたいという意見も少なくない。このような意見は一面において指導的な地位についている女性が少ないことの裏返しとも考えられる。つまり、ブルーカラー的な働き方をする女性にとっては、年齢を重ねると現場での仕事を続けることが困難になったり、やりがいや昇進可能性などの側面からも長く働くインセンティブが見えにくい状況にあると考えられる。この法定の定年退職年齢を上げることで、女性の選択肢を増やし、立場や希望に応じた退職年齢を可能にすることができる。また、女性が正規労働市場で5年長く働くことで、男女の退職後を保障する社会保険基金も拡大するとも指摘されている。
(2)セクシャル・ハラスメント関する規定の強化
現行労働法はセクシャル・ハラスメントを禁止しているものの、その規定は漠然としており、効果は限定的である(8条、37条、182条、183条など)。#MeToo運動にも見られるとおり、セクシャル・ハラスメントは職場における健康と安全のみならず、個人の尊厳に関する問題である。法改正では、セクシャル・ハラスメントの定義の明確化、様々なステークホルダーの責任の明確化、規制の強化が求められている。
(3)同一労働同一賃金の実現
世界銀行によれば、ベトナムにはいまだ賃金におけるジェンダー格差が残り、女性の給与は男性よりも平均11%低く、また、給与の男女差は技能レベルが上がるほど広がると分析されている(d)。この背景の一つとして、高等教育を受けた女性でさえも就職においては賃金以外の要素、すなわち有給や勤務時間の短さを賃金より重視することがあげられている。家事や育児などを主に女性が担っているため、職場における昇進や賃金よりも家庭に割ける時間を女性が優先する傾向が見える。
(4)女性に対するステレオタイプの除去
2012年労働法では、女性に対して禁止されている仕事が38種類、また妊娠中の女性および12か月以内の子どもを持つ女性に対して禁止されている仕事が39種類ある(160条)。これらは女性を差別するのではなく、危険な仕事から女性を保護する規定であるとも主張されているが、これもまさに「女性が弱い」というステレオタイプを反映したあり方である。職業選択に関しては、男女問わず個人の自由な選択可能性が確保されるべきであり、職場は男女かかわらず安全な場所であるべきだ。
(5)家事分担によるワークライフバランスの改善
現行の規定においては、産休(育休)をとることができるのは女性のみとなっており(157条)、また、病児の面倒を見るために休暇を取得することができるのも女性のみである(159条)。ここにも家事やケア・ワークを主に女性が担っている社会的背景がある。前述のとおり、ベトナムには働いて現金収入を得ている女性も多いが、同時に、女性たちは結婚して子どもを産むことも期待されている。この結果、ベトナム人女性は家の外で働きながら、家庭内の家事労働に加え、出産・育児という二重・三重の役割を担うことになり、そのために家庭外での仕事を抑制する女性も少なくない。しかし、家事労働や育児・介護などは男女かかわらず担う能力をもっており、そのための休暇は男性も取得できるようにするべきであろう。

まとめ
ベトナムの2012年労働法はジェンダー平等の観点から様々な課題があるが、同時にその改正及び改正後の法の効果的な施行は、ベトナム社会がジェンダー平等の達成に近づくための大きな契機であるといえる。多様なジェンダーの平等が実現された社会とは、すべての個人の尊厳が保障された働きやすい社会であるのみならず、会社の業績や国家財政にとっても望ましいことが様々なデータにより示されている。企業のみならず、国際機関や開発パートナーの助言や国連人権条約機関の勧告、市民社会や労働者の声を法改正プロセスに十分にとりいれていくことで、ベトナム政府はこの契機を最大限に活かし、他のアジアの国々から雇用と労働の分野におけるジェンダー平等実現の手本にされるような労働法改正を実現できると考える。

(a) 本稿は、筆者が国連開発計画(UNDP)ベトナム事務所でジェンダープロジェクトに従事した経験に基づくが、筆者の個人的見解に基づくもので、いかなる組織の考え方や方向性を反映したものでもない。
(b) ベトナムでは社会主義の看板のもと、男女平等を目指す施策が積極的に打ち出されてきたが、市場経済化政策の推進に伴い、ジェンダー格差が年々開いているという報告もある。実際、ベトナムのジェンダー・ギャップ指数における順位は2016年の65位、2017年の69位と年々低下している。
(c) 女性差別撤廃委員会「ベトナム第7回・第8回報告書に対する総括所見」(CEDAW/C/VNM/CO/7-8、29 July 2015)
(d) World Bank, Gender Gap in Earnings in Vietnam Why Do Vietnamese Women Work in Lower Paid Occupations?, May 2018.